小噺 其の十四 林檎は真っ赤に熟れたやつほど旨い
「そう言えば聞いた?! あの話!」
「ああ、レイ侯爵とベルジェ侯爵のアリエッタ様の話ね」
月の初め、毎月定例の国王陛下への報告をするために、ガヴィとイルはアルカーナの王城を訪れていた。
報告、と言っても、報告義務があるのはガヴィだけでイルは単なるオマケだ。
ガヴィが国王の所に行っている間はシュトラエル王子のところへ行ったり、ゼファーのところへ行ったりと自由に過ごしている。
今日は今からゼファーのところでお茶を飲むことになっていたので、王宮の庭師さんのところで分けてもらった花の種を持って、近道をしようと王宮の侍女の詰め所の脇道を通った。
そこで聞こえてきた自分の相棒の名前に、イルは思わず足を止めた。
「流石のレイ侯爵様もびっくりなさってたわねえ」
「そりゃそうよ、まさか白昼堂々と城内の庭園で恋文を渡されるとは思わないものね!」
窓からこぼれてくる会話に、イルは固まった。……今、彼女達はなんと言った?
休憩中であろう侍女達の話を盗み聞きするなど、はしたない行為であると思いつつ、話の主役はイルの相棒兼、最近恋仲に昇格した赤毛の剣士ガヴィだ。気にするなという方が無理な話であろう。
イルは息を自然と殺すようにして聞き耳を立てた。
「レイ侯爵様もあんなお顔されるのねぇ」
「嬉しそうに受け取ってらしたわね。見てるこっちも微笑ましくなっちゃっ……」
侍女達のお喋りを、最後の半分は聞かないようにしてイルはその場から足早に立ち去った。
そのままずんずんと歩いて侍女達が休憩していた詰め所を抜ける。彼女達の声が聞こえなくなったところで足をピタリと止めた。
「……」
意味もなく自分の足を眺める。
(……ベルジェ侯爵のお姫様? ……恋文……?)
どの単語もイルの知っているガヴィとは全く結びつかない。
ガヴィが他の貴族の令嬢と話をしているところ(しかもにこやかに)なんて見たことがないし、
しかし侍女達がどれだけお喋り好きだとしても、そんな作り話なぞするはずもない。
王宮勤めの侍女があらぬ噂を流そうものなら処罰ものである。
と言うことは彼女達は口にしても大丈夫だと思うことを言っていると言うことだ。
すなわち、ガヴィが侯爵家の令嬢から恋文を嬉しそうに受け取ったというのは事実だと言うことになる。
先ほど自分で思った通り、ガヴィは自分が気のない相手から明らかに恋文と分かるものを受け取るとは思えない。そもそも、一応イルとガヴィは『お付き合い』している仲なのだ。
「え……?」
イルは混乱した頭のまま、しばらくそこから動けなかった。
「……どうかしましたか?」
ガヴィが陛下への報告に行っている間、予定通りゼファーの執務室でお茶をご馳走になっていたイルだが、先程の件のせいで心ここにあらずだった。
いつもとは違うイルの様子にゼファーが訝しげに声を掛ける。イルは何でもないよ、と言いかけたが、ゼファーのなんでも話してごらんと言う顔を見て、少し迷ったのちにボソボソと思っていることを話しだした。
「……ガヴィって、侯爵様なんだなって」
「はい?」
イルの言いたい事がわからなくてゼファーは思わず聞き返す。
イルは揺れるカップの中身に目を落としながら話し始めた。
「ガヴィ、侯爵家のお姫様から恋文を貰ったんだって。
まえ、セルヴォさんにも言われたけれど、ガヴィって周りから見たら凄く仕事もできて立派なんだなって。元は平民だったかもしれないけど、今は侯爵で、貴族の女の人から見たら結婚したい素敵な男性なんだって気付いたと言うか……」
イルの前でのガヴィは、優しい時もあるけれど、軽口を叩いたり時にはケンカをしたり。イルへの言動にも容赦がないし、ぐしゃぐしゃと乱暴に頭を混ぜっ返してきたりする。別にそれが嫌なわけではないけれど。
一応、ただの『相棒』から、世間で言う『恋人』の立ち位置に昇格したはずなのだが、そんなに甘い雰囲気になることもないし、以前と何が変わったのかはよく解らないのが正直なところだ。
前回のガヴィの出張時に手紙を出そうとしたら「いらん」と言われてしまったのは記憶に新しい。
それなのに、全然知らない女の人からの手紙は受け取ったと聞いたら、なんだか胸がモヤモヤとした。
「私、偉くも何ともないし。子どもだし。……やっぱりガヴィも大人の女の人がいいのかな」
侯爵家のお姫様なら、同じ侯爵位のガヴィにはピッタリのお相手だ。
地位も家族もいない、田舎から出てきたただの小娘と本物のお姫様とでは天と地の差がある。口に出したらなんだか泣きたくなってきた。
ゼファーは一瞬ガヴィに殺意を覚えたが、イルの言葉で気になった部分をちゃんと尋ねた。
「ガヴィは誰から手紙をもらったのですか?」
イルはグスッと鼻をすすると膝を抱えて
「……ベルジェ侯爵家のアリエッタ様だって」
ああ、もう少しでガヴィが迎えに来るのに。こんな顔をしていたらまたお子様だと思われる。
「ベルジェ侯爵? ……ベルジェ侯爵のアリエッタ嬢……。イル、それはもしかして――」
ゼファーがなにか言いかけた時、コンコンと執務室のドアがノックとともに開かれた。
「待たせたな。イル、帰るぞ」
渦中の赤毛の侯爵様の登場に、イルは素早く零れそうになった涙をゴシゴシとやって、何か突っ込まれる前にすっくと立ち上がった。
「ゼファー様、紅茶ごちそうさまでした!」
そう元気を振り絞って無理矢理笑ったイルは、ペコリとゼファーに頭を下げると振り返らずにガヴィの腕をグイグイと引いて執務室から出ていった。
「……」
イルから聞いた情報で事の
きっとここは、彼らの兄貴分として見守るのが得策であろう。
「……妹の恋路を見守るのは、なんだか複雑な気分になるものですね」
次にイルがガヴィのことで泣きついてきたら、今度は絶対に一発お見舞いしてやろう、とゼファーは誓った。
「……」
「……」
マーガに道を繋げてもらいノールフォールの屋敷に戻ってからも、イルは無言で顔をあげられずにいた。
絶対にガヴィには不審に思われている。
この心のモヤモヤを、絶対にガヴィには知られたくないと思っていたのに、ゼファーに吐き出してしまった感情はちっとも治めることができなくて、グルグルとイルの中を渦巻いていた。
「……具合でも悪いのか?」
先程まで登城時の荷物をレンに預けて何やら二三話していたガヴィは、居間のソファーで膝を抱えているイルの隣にやってきて腰を下ろした。
城に登城する時はご機嫌だったのに急に態度が変わったイルに、ガヴィからすると困惑するしかない状況だが、「何
はぁ、とため息をつかれるのが怖くて、でも何か言わなくてはと言う気持ちだけが焦る。
しかしイルの予想に反して、ガヴィはため息を付くこともなく、ポンポンとイルの頭に手をおいて、くしゃりといつもより控えめに髪を混ぜた。
イルは、なんだか今ならガヴィに聞ける気がした。
「……手紙」
「うん?」
「……手紙、貰ったの? こないだ、お城に行った時」
「手紙? 手紙なんてもらって――」
無い、と言いかけて、一つだけ思い当たる節のあったガヴィは「ああ、あれか」と思い至った。
どうやらイルの不機嫌はあの手紙を貰ったことに
イルはポツポツと、今日城で休憩中の侍女たちがガヴィが侯爵家のお姫様に恋文を貰った話で盛り上がっていたのを聞いた事を吐き出した。
思わず吐き出してしまったが、イルは口にした瞬間に後悔した。……ガヴィがそんな人ではないと解っていても、これで「やっぱりお前とは付き合えない」と言われたらどうしようという思いが胸を支配する。
だが、ガヴィはあっけらかんとした口調で、事もあろうにその手紙を「見るか?」と言ってきた。
イルは困惑した。
ガヴィにその気がないのなら、まず彼は手紙を保管するなどという行動には出ないタイプだ。それがなんとノールフォールの屋敷に持っているという。それは、つまりガヴィはその手紙を大事にしているということで――
混乱中のイルの心情などお構いなしに、ガヴィはしばし離席し戻ってくると、無情にもその手紙を広げて見せた。
「ほらよ」
そこには覚えたての
『せんじつは ありがとうございました。わたくしは こうしゃくさまが だいすきです。』
と書かれていた。
「……へぁ?」
変な声が出た。
「一生懸命書いてあってよ、可愛いよな」
ガヴィがハハハ、と笑う。
それは、どう見ても幼い子どもが書いた手紙で。
ガヴィによると、ベルジェ侯爵の令嬢 アリエッタ姫は御年五才。
口は乱暴で時には
幼いベルジェ侯爵家の令嬢の手紙を
自分だって同じ様な事があったら、ガヴィのように受け取るだろう。
ガヴィの行動に何も疑問はない。ないけれど――
「……可愛いなんて、私には言わないくせに」
口に出したつもりはなかったのだが、思わず本音が小さくこぼれてハッと口を抑える。ガヴィはイルの呟きを耳ざとく拾うと目をパチクリとさせた。
そしてゆっくりと口の端を上げる。
「……ちなみに、アリエッタ嬢はシュトラエル王子のお妃候補で、本人たちはそうとは知らされてねぇけど、顔合わせの為に薔薇の庭園で会ってたわけよ」
シュトラエル王子が贈った可愛らしいレースのハンカチが風に拐われて木の枝に引っかかってしまい、泣きべそをかいている所に仕事で国王の所に寄っていたガヴィが木に登って取ってあげたらしい。急に現れて颯爽とハンカチを取ってくれた国一番の剣士に、幼い姫君が心を奪われたのも無理はない。
後日、頬を染めながら震える手で手紙を渡してきたアリエッタ嬢をどうして拒むことが出来ようか。
「手紙は受け取ったけど、アリエッタ嬢には『将来を決めた伴侶がおりますので』ってちゃんと断ったぞ」
なんと言うか、健康そうな黒髪で目をクリクリとさせながら「すきです」と言ってくるその瞳が、ガヴィの中の誰かを
彼女が小さな時も、こんな感じだったのだろうか、なんて考えて、その微笑ましさに思わず手紙を受け取ったのだ。
「……何お前、五才児に嫉妬してんの?」
ガヴィの言葉にカッと顔が熱くなる。イルはうつむいた。
恥ずかしい。
ただでさえ九つも歳が離れていて、いつもお子様だなんだと言われている。あんなに、子どもっぽい事を言ってガヴィに嫌われたくないと思っていたのに。
ガヴィの呆れた顔を見る事ができなくて顔を上げられない。
「……コラ、ちょっとこっち向けよ」
ガヴィにそう言われたけれど、とても今彼の顔を見られそうになかった。
恥ずかしさで死んでしまいそうだ。だんだん視界が潤んできた。
「イール?」
顔、上げろ。
もう一度そう言ってイルの名を呼んだ声が、聞いたことが無いような柔らかさで。
イルはびっくりして恐る恐る顔を上げると、イルの額に羽根のように優しく唇が触れた。
目の前にあったのは、少し困ったように微笑んだガヴィの赤と菫色。
お前は、仕方ねえヤツだな。
そう言われたけれど、流石にイルもガヴィのその
ガヴィの大きな手が、イルの頭を優しく
ただそれだけで、イルはさっきまでの胸のモヤモヤが溶けて無くなっていくのを感じた。
「……もぉ、自分の単純さがイヤだ」
恥ずかし紛れにそう呟くと、
「どおってことねーよ。俺なんかもっと単純だぞ」
ガヴィはそう言って笑うと、今度は素早くイルの唇を食べていった。
イルの顔はもっと真っ赤に染まったのだった。
2024.4.12 了
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❖あとがき❖
ひみつの小噺は時系列があっちに行ったり、こっちに行ったりしているので「あれ?」と思うことがあるかと思いますがすみません(^_^;)
ちなみにこのお話は、イルとガヴィがノールフォールに居を移した後のお話、と思って読んで下さい。
どこだよ?!と思った方はお話の時系列を見てくださると幸いです。
☆物語の時系列☆↓
https://kakuyomu.jp/works/16817330668440716307/episodes/16817330669167529209
東雲は主役カップルにおいて、ひっついたり離れたり、という男女の仲ハラハラ展開はあまり好きでは有りません。
ヒーロー以外の男が出てきてそこで主役の心が揺れ動いちゃったりした時にはスンっとなってしまうタイプです(笑)
なので個人的には主役カップルは相思相愛、どちらかと言うと男性側が女性側に激惚れタイプがお好みです。
ただ、そうなってくると、話的には仲の良い老年夫婦みたいなホノボノ展開しかなく(ホノボノ展開大好きですけどね!)話的には盛り上がりに欠けるよね~!と思いつつ、今回の話が浮かんでイルをハラハラドキドキさせました(笑)
キャラクター紹介の時にお気づきになった人もいるかも知れないのですが、実はガヴィには年の離れた妹がいたのです。エピソードには出てきてないのですが、ガヴィの母の死因の一つは妹の出産の肥立ちの悪さでもあり、幼い妹の世話は父と協力してガヴィも行ってきました。……と言う経緯があって、ガヴィは小さい子供の世話や相手に長けているのです。ガヴィみたいなタイプは「これだからガキは嫌いだぜ!」みたいなキャラが多いと思うのですが(笑)ガヴィはわりと子ども好きなのです。「しゃーねぇしゃーねえ! ガキってそういうもんだろー? 俺もそうだったし!」ってなタイプですね(笑)
世の中にはハラハラドキドキカップルや悲恋等、色々なお話がありますが、相思相愛ほのぼのカップルをモブ気分で見ているのが私は一番好きですヽ(=´▽`=)ノ
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☆ここまで読んでくださって有り難うございます!♡や感想等お聞かせ願えると大変喜びます!☆
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