小噺 其の十五 赤毛の剣士の箱庭


 アルカーナ王国最北に広がるノールフォール森林。

王国最北と言えど、アルカーナ王国は東西に広がる国なのでノールフォールに隣接する北の国ほど寒さの厳しさはない。

暑くも寒くもない気候の良い土地に広がった森は青々とその葉を繁らせ、風に吹かれるとザワザワと揺れていた。


 この森には昔何度も足を運んだことがあるが、ここ最近はとんとご無沙汰で、最後に足を踏み入れたのは二年ほど前になる。

店の馴染みだった赤毛の青年に頼まれて精獣と対決する羽目になり、なかなか危ない目にあったりした。

 それからここには訪れていないが、くだんの青年となんと黒狼に変化できる黒髪の少女との交流は未だに続いている。今日はその青年である新領主となった赤毛の侯爵、ガヴィ・レイの新居に初めてお邪魔することになったのだ。


 王宮勤めをしていた頃に来たことのある王家縁の避暑地近くに魔法陣を繋げ、歩いて避暑地の屋敷からしばらくの所にある彼らの屋敷に向かう。

 新しいレイ侯爵家は、侯爵位に就いている者の邸宅とは思えない程ひっそりと立っていた。

避暑地の屋敷から一応舗装されているが、初めて来た者はそこが侯爵邸だとは思わないだろう。

侯爵邸にしては小さな屋敷を木々とアイアンの高い塀がぐるりと囲い、そのアイアンの所々に野薔薇が巻き付いている。門の前には信じられない事に衛兵すらいない。

 男、ポルトの魔法使いドムはそのアイアンの門扉を自分の手で押して開けた。

扉はなんのいらえもなく開く。

「いやあ、セルヴォも腕を上げたねぇ〜」

 ドムは後輩魔法使いの腕前にピュウと口笛を吹いた。近い将来、自分を越えそうな勢いの後輩の実力に嬉しくなる。

 この屋敷には衛兵がいない代わりに、国王の専属魔法使いセルヴォ・マーガによる特殊な結果魔法が施されているのだ。

と言っても外部からの侵入を完全に防ぐものではなく、屋敷の人間以外が侵入しようとするとすぐに内部の者に伝わる結界で、ドムは事前に結界を通り抜ける為の印を受け取っていた。

不可侵の結界ではないとは言え、屋敷の周りは野薔薇の伝った高いアイアンの塀に囲まれているし、門扉は印を持った者以外が無理やり開けようとすると強い電力が流れた様な衝撃を受けるらしい。

よしんば入口を突破したとしても中にいるのは生ける創世の剣士である。しかもここは精獣、黄昏たそがれの縄張りであるノールフォール。基本的に勝ち目はない。

 ドムは五体満足のまま門扉を通過した。

 しかし前庭には誰もおらず、裏手にある馬屋の方に回るとこの屋敷の主人である赤毛の侯爵が上半身裸で薪を割っている所だった。


「お邪魔さん」

「!……よォ」

 顎につたう汗を拭いながら斧を置く。

「……なんだね、侯爵様のやることかよ」


 国の頂点である魔法使いの地位に着きながら、それを捨てた自分に言えたことではないが、いささか呆れながらドムはガヴィに持ってきた手土産を渡した。

「別にいいだろ。人に世話されんのは性に合わねえし、自分の事くらい自分ですらぁ」

今レン出かけてんだよ、と土産を受け取って屋敷にドムを促した。



 そう言う青年は日に焼け、城に勤めていた頃よりもより精悍な顔つきになっていた。

無造作に伸びたくせのある髪をひとまとめに縛っている姿は整ってはいるが完全に森に住まう者だ。

元は平民出身の侯爵なのだから滲み出る気品なんてものは元からないが、城暮らしよりもこちらの方が余程性に合っているらしいのは一目瞭然だった。

「お嬢さんはどうしたんだ?」

 ガヴィと一緒に暮らしている黒髪の少女を目で探しているとバタバタと足音が近づいて来た。

バタン! と勢いよく扉が開く。

「いらっしゃい! ドムさん!」

 よほど慌てて走ってきたのか、息を切らしながら暁色の瞳の少女イルが元気よく部屋に入ってきた。

「遅れちゃってごめんね? ドムさんが来るって聞いてたから、前に欲しいって言ってた薬草を摘みに行ってたの! 後で干しておくね!」

 今日は泊まって行くでしょう? と矢継ぎ早に話す。

 昔より少し背や髪が伸び、体つきも随分女性らしくなったが、中身は初めて会った頃の彼女のままだ。

ガヴィによれば、確かもう十七になるはずだが相変わらず毎日外を走り回っているらしい。

「おお、ありがとさん。お嬢は今日も元気だねぇ!」

「それだけが取り柄だもん! 今日のお夕飯はレンと一緒に私も作るからね!」

 楽しみにしてて! 言うだけ言ってまた風のように台所に去っていった。

小さな台風のような彼女に思わず笑いが込み上げる。

「いやいや、……相変わらずだなぁ……!」

「……だろ? この屋敷に三人しか人間がいねえのに、それはそれは毎日にぎやかだぜ」

いつになったら落ち着くもんかね、アイツは。……などとガヴィはぼやくが、実際にはさほど困っていないことはドムにはお見通しだ。

「……お嬢が大人になっちまったら色々困るのはお前さんだと思うけどねえ?

 ……それとも何かな? もうとっくに悪い赤毛の狼さんになっちまったのかな?」

 ニヤニヤと意地悪く混ぜっ返すドムにガヴィは半目になると「オヤジくせーんだよ馬鹿野郎」と悪態をついた。

「……アイツには保護者が多すぎるんだよ。

 狼になんかなってみろ。本物の狼が出てくらぁ!」

 と洒落にならない冗談を言ったのでドムはそれは怖いなと本気でガヴィに同情した。



「……しかしなんだ、お前さん達がこっちに居を移してからもう一年くらいか?」

いい年齢の男と女が一緒に暮らしていてこの様子とは。お前さん仙人かよ、とのドムのからかいに仙人からは程遠い見た目の赤毛の青年はチラリとドムを見ただけで顔色一つ変えずに答えた。

「……前の時は十年以上こじらせてたんだ。一年や二年なんてどってことねーよ」

 ガヴィの返答にドムはあからさまにうへぇ……と顔をしかめた。


 ガヴィがこの時代に生きることになったきっかけの初恋の少女は幼い頃からの幼馴染だったと言うから、このいかにも剣士然とした到底優男には見えない青年は男女の事に関しては信じられないくらいに純愛思考である。

「そんな如何にも遊んでますみたいな面して中身は乙女かよ。お嬢見ててドキドキしないわけ?」


「はぁ……?」


 まるで汚物を見るような視線をドムに向けたが、ドムは至極真面目に問うているのを感じてガヴィもふむ、と考え込んだ。


「……ドキドキっつうか、……あいつといると息がしやすい。

 生きてんの、実感する」


 イリヤを好きだった時は、確かにイリヤが隣に来ただけで胸が高ぶっていた気がする。見た目にも、少女の一挙一動にも心を揺さぶられていた。


 ただただ少女が眩しくて、光って見えて。

 溺れている様にもがいて息ができなくて。

 だからこそ、苦しかった。


 陽光を受けてキラキラと煌めく水面のような輝きでイルも光っているけれど、彼女はイリヤと違ってガヴィの手を取った。

イルは隣にいるのが当たり前のように、ガヴィに好意を向けてくる。

ドキドキするというよりも、ガヴィが生きるために必要な酸素のようにガヴィに入ってくるのだ。


(……う、わぁお。マジかよ)


 空気のような存在と言うと、一般的にはあまり良い意味ではないし、そう言われて喜ぶ女性はまずいないだろう。

女性を口説く台詞としては百パーセント間違っている。

 しかし、この赤毛の剣士のこれまでの生い立ちや性格を考えると、彼がふざけたり照れ隠しで適当に言っているわけではないのはドムには解る。

(……お嬢がいると息がしやすいって?

 ……じゃあお嬢がいねえと生きていけねえって事じゃねえか)

 ガヴィの無意識の盛大な惚気に、ドムは不覚にもすぐには言葉を発する事が出来なかった。


「……お前さん、恋愛すっ飛ばして伴侶を手に入れちゃったわけね」

 一呼吸置いた後でようやく発せられたドムの言葉にガヴィは僅かに片眉を上げた。

そして一瞬だけ口の端を持ち上げる。

その表情に、気のせいか何か不穏な物が混じったような気がしてドムは訝しげな顔でガヴィを見た。


「ん?」

「いや……。

 黄昏やゼファーが保護者よろしくイルの心配してるけどさ、俺だって一応分別のある大人なわけよ。

 別に幼女趣味でも年下が好きってわけでもねーしな」


 たまたま好きになったのが、結果十近く歳が離れていただけ、と言うのがガヴィの言い分で。

イルがちゃんと大人になるまで待つくらいの心意気は年上の矜持として勿論ある。

 しかし、

「……俺もこの数年でちゃんと学んだわけ。

 今までの俺は生きるも死ぬも、ほとんど自分以外の誰かの為に、が基準で、そこに自分の幸せっつうもんはあんま入ってなかったな……と」


 今でも自分だけの為に何かしようとはあまり思わない。いつも自分の原動力は大切な者の為にと言う気持ちである。


 けれど自分を蔑ろにするとそもそも大切にしようと思っている人達を傷つける結果になるという事も嫌というほど学んだ。

 なので、ちゃんとそこに幾分か自分も入れることにしたのだ。


「……待つのはいくらでも待ってやる。

 ただ……もう逃してやる気はない」


 こんなに息のしやすい世界を知ってしまった。

 もう、知らない頃の世界には戻れない。


 息のし易さの根源がイルなのだから、彼女が生きやすくなる為の努力は勿論惜しまずにやる。

彼女が自分を好いてくれているのだから彼女が望むような男でもいよう。

誰かのためにする努力は得意だ。特技は遺憾無く発揮させた方がいい。自分の数少ない長所だ。


 ……ドキドキしないのかだって?

 そんなもの、今からいくらでもさせてもらえばいいし、させてやればいい。


 しかし、イルと共に在る事が己の幸せなのだから、解っていながら今さら手放すなど、愚の骨頂なのだ。

 己の箱庭の中に、イルの好きなものをこれでもかと詰め込んだ。外堀も内堀も埋めた。なんなら周りを新しい塀で囲ってしまったので逃げ出すことなど到底不可能。

 そう言って不敵に笑い、昨日森で狩ってきた鹿を夕飯用に捌いてくるわ、と部屋を出ていった赤毛の青年の背中をドムは引きつった表情で見送った。

「……なんだアイツ」

 コワ……。とドムはブルリと体を震わせた。


2023.5.12 了

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❖あとがき❖


 このお話は本編3を書いたしばらく後に書いたので、番外編は色々ありますが実は番外編としては最初の方に書いたお話です。


 二人の数年後の雰囲気をオマケ感覚で書こうと思ったのですが、気がつけば番外編だらけになってしまいました(笑)なので満を持して(笑)


 ガヴィはイリヤに対してはきっと凄く『恋』をしていたんだと思います。何しても可愛く見えて、隣に来るだけでドキドキするような。


 イルには恋と言うより愛情なんだろうなあ。ガヴィを認めてくれて、隣にいるのが当たり前みたいな……生きる為に必要な酸素みたいな存在になったのかなあと思っています。


 基本今までとはあんまり変わらない二人なのですが、ガヴィはイルの匂いを嗅ぐのが好きなようです(笑)あ、変態じゃないよ(いや、変態?)

猫吸いみたいなやつです(笑)疲れてくると吸うらしい(笑)人間の姿の時も、狼姿の時も吸ってイルに嫌がられてます。


 淡白そうに見えて、割と独占欲は強い気がしている赤毛の剣士くんです。

あ、あとノールフォール移住後のガヴィが長髪になっている所も密かにこだわりです(笑)彼の性格上、お洒落を気にして……のわけはないので(笑)きっと切るのが面倒くさい! 伸びたら伸びたで邪魔だな。あ、結べば解決! みたいな事を想像しながら書くのも楽しかったです♪


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