小噺 其の四 独占欲②
心地よい日差しが温かく、風までもが優しく頬を撫でていく。
城内のどこを歩いても目に飛び込んでくるのは色とりどりの花、柔らかな若草の葉色の木々。
窓を開ければ一面真っ黒な木々に覆われ冷気が肌を刺す自国とは大違いだ。
「はぁ……」
少年はもう何度目になるか解らないため息をついた。あんなに国を出たいと思っていたのに、実際に出てみればあまりに違う自国との気候と雰囲気、そしてふとした時にもたげてくる劣等感。
昨日アルカーナ王宮に着いたばかりだというのに既にもう帰りたい。それは決してホームシックなどという物ではないが。
到着の際に挨拶に伺ったエヴァンクール国王とその王妃は聞かされていた通りの聡明で優しそうな、絵に描いたような賢王であった。姉弟である実母にも面差しが似ている。
他国の王とはいえ、自分とは血が繋がっているのだからそんな彼が自分の叔父だと思えば普通は誇らしいが、今の自分からすればちっとも嬉しくない。ますます惨めな気持ちになってしまう。
広い世界を見てこいとの父王や兄の命であったが、厄介払いをされたような気持ちだ。
微かに遠くで自分の従者が自分の名前を呼ぶ声が聞こえたが、聞こえないふりをしてクリュスランツェ国第三王子、ヒューバートは繁みの中にぽっかりと空いた空間に寝転がっていた。
どうせ後でお小言を喰らうのだ、それならば少しでも遅い方がいい。そう決め込んで目を閉じた。
……が、ガサガサと繁みの葉が揺れたと思うと「きゃあ!」という悲鳴と共にドスンと何かが振ってきた。
明らかな人の重みに何事かと閉じていた目を開ける。目を開けて視界に飛び込んで来たのは、今にもこぼれ落ちそうな朝焼けの
自分の上に乗っかっているのは漆黒の髪に金色の瞳の少女だった。
ここはアルカーナ王国城内の庭園脇にある繁みの間の空間である。
こんな所には誰も来ないだろうと踏んで転がっていたのに少女が飛び込んできたことに目をぱちくりとさせる。少女の方もまさかこのような所に人が寝転んでいるとは思いもしなかったのだろう、転んだことにも呆然とし、まじまじとこちらの顔を見つめている。
ぶしつけに見つめられているのだが不思議と不快感は感じなかった。
――でっかい目。落ちてきそう――
見開いた瞳が今にもこぼれてきそうで、思わず手を差し出した。
「ご、ごめんなさい!!」
少女ははっと我に返ると慌ててヒューバートの上から飛び退いた。
「ま、まさかこんなところに人が寝転がってるとは思わなくて! ごめんね? 怪我してない?」
本気で心配そうにヒューバートの顔を覗き込んでくる。
確かに、普通こんなところに人がいるとは思わないだろう。ある意味彼女は悪くない。
けれどもまた、まさかこんな所に人が飛び込んでくるとも普通は思わないだろうが。
「……平気。君も大丈夫?」
そう聞くと少女は印象的な金の瞳を細めて笑った。
「平気! 丈夫が取り柄だから! ……なんでこんなところで寝てるの?」
少女はイルと名乗った。王宮に住んでいるらしい。
……侍女か何かだろうか?
「……俺はヒューバ……ヒュー。ちょっと、その……ここ、日差しが気持ちいいからつい……」
まさか従者から逃げ回っていますなんて言えるはずもなく、苦しすぎる言い訳を思わず口走ったがイルはキョトンとした後に納得! といった顔で朗らかに笑った。
「わかる! 本当に気持ちいいよね! 草の上でのお昼寝は最高だよねっ」
人好きのする笑顔でにこにこと同意する。イルは飛び退いた体勢から三角座りに座り直すと物おじせずに聞いてきた。
「ヒューは初めて会ったね? あんまり見ない顔だけど誰かにお仕えしてる人?」
ヒューバートは王子とはいえ第三王子で上に兄が二人、そして姉が一人。なので王位継承にはほど遠く、父の次に王になるのは一番上の兄と既に決まっているので王になることはほぼない。
クリュスランツェでは王子といえど、王位を継ぐ者以外は婚姻を結べば城を出て一貴族として国の槍となるべく仕えることになっている。
王子という肩書など子ども時代だけのものだ。すぐ上の兄は防衛の仕事を担っているし、既に姉だって結婚して城を出ている。二人とも自分とは違い立派に父や長兄の役に立っている。
アルカーナに来たのは建前は留学が目的だが、父王の真の目的はヒューバートの伴侶探しの為だろう。
王子なんて肩書は自分の人生においてなんの役にも立たないし何の自由もない。
……だからと言って何か出来るほど、なんの実力も持ち合わせていやしないが。
反抗してやろうなんて思っているわけではない。でも父の思惑通りにすんなりとなりたく無くて、どうせ自分の思い通りになんてなれやしないのに他国に来てまで「王子王子」と言われるのが煩わしく、名目上留学しに来ているのだから一生徒として見られた方がよほどましと王子の割には簡素な服を着ていた。イルはまさかヒューバートが王子だとは思っていないのだろう。
「……いや。今度王立学校に入ることになってて……今日は手続きに」
当たり障りなく、事実に近いことを言う。イルはヒューバートの言葉をすんなり信じたようで、「王立学校!! すごいね!」としきりに感心していた。
「別にすごくはないよ。その辺の貴族なら誰だって行ってる」
行きたくなくても行かされるし。ヒューバートは少々投げやりな気持ちで答えたがイルはそんなヒューバートには気が付かず素直に称賛の言葉を並べた。
「そんなことないよ! 私なんて学校行ったことないし。王立学校に行った人は大体その後国王様に士官するんでしょ? すごいよ」
「……君だってここにいるってことは王様に仕えてるんじゃないの?」
ここは王城内の庭園だ、許可がなければ一般人は入れない。
城の内部にいると言う事は身分が低くても国に従事していると言う事になる。
「それは……私も、陛下のお役には立ちたいとは思っているけれど……」
さっきまでのはつらつとした態度とは打って変わってもごもごと口ごもる。
「?」
「私はお仕えしているというか守られてばっかりで……」
「……そういえば君、なんでこんな所通ったの?」
ヒューバートの素朴な疑問にイルがハッと顔を上げた。
「そうだった! 私、急いでたんだった!」
急にガバリと立ち上がる。
「ごめんね! ヒュー! またお話してね!!」
そう言って飛び込んできた繁みをガサガサとかき分け、風のように去っていった。
一人取り残されたヒューバートはまるでつむじ風の様な少女にあっけにとられる。
ポカンと固まっているところに頭上から声がかけられた。
「……ヒューバート様……」
声の方を振り仰ぐとこめかみに青筋を立てた幼馴染の従者が立っている。
「貴方は! こんな所でなにをやってるんですか!」
いつまでも子どものように……とお説教が始まるが、ヒューバートの耳には従者の声よりも過ぎていった風の事しか考えられなかった。
***** *****
あっという間に王妃に誘われた晩餐会の日になったが、皆さんお察しの通り、ガヴィは晩餐会の話を聞いた途端「俺はパスな!」と早々に欠席の意を評した。
友好国の王子を歓迎する晩餐会ということで、創世祭の時の舞踏会ほどではないが貴族達や王子のお妃の座に収まりたいと思っている姫君達がこぞって参加するらしい。
貴族同士の社交場が特に苦手なガヴィが参加するはずもなかった。後に彼に聞いたところ「自分じゃない男狙いの女が着飾って集まる場所に何が嬉しくて俺の時間を割かなきゃなんねぇんだ」といってた。
イルは王妃に誘われていたし、ガヴィが出ないならとゼファーがでは私と出席しましょうねと言ってくれたので出席することになった。
「……ゼファー様、これ、ちょっと気合い入りすぎじゃありません?」
イルは困惑気味にソファーに座ってニコニコとこちらを見ているゼファーに視線を送った。
「我らの姫は一番可愛いですよ」
最早すっかり兄馬鹿と化している銀の髪の公爵は最近イルに関してお金に糸目をつけない。
イルに対してお金を使うことを楽しみにしているフシすらある。
イルは創世祭の時に王妃に頂いたドレスとはまた別の、シャンパンゴールドの金糸をふんだんに織り込んだエンボスフラワーをあしらったジャガードドレスを身にまとっていた。
前回のドレスよりか少し大人っぽく、綺羅びやかな総柄のドレスであったが落ち着いた色なので派手すぎない。
前より少しばかり伸びた黒髪をゆるく編み上げて、頭には可愛らしい造花が編み込まれている。化粧も綺麗にしてもらい立派な貴族の姫君の出来上がりだ。
「ガヴィはすぐに面倒くさいと同伴を断りますけどね。自分の大切な人を放っておくとどうなるか、少々学習したほうがいいんですよ」
「え?」
まあ変な虫は私が追い払いますし、とニコニコと笑うがその笑みがちょっと怖い。
晩餐会自体にそんな興味はないけれど、年の近い王子様がどんな人かは気になったし、可愛いドレスで着飾ってもらえたのはやはり嬉しい。まるで自分じゃないみたいだ。
(……せっかく可愛くしてもらったのに、ガヴィに見せたかったなぁ……)
そんなことを思いながら、ハイと差し出されたゼファーの手を取ってイルは晩餐会に向かった。
クリュスランツェ第三王子殿下の歓迎晩餐会は気軽に交流出来るようにとの国王の配慮で立食形式で行われた。
すでに会場には着飾った紳士淑女達が集まっていたが、陛下や第三王子への挨拶にはゼファーの身分が高いため真っ先に行くことになった。
「アヴェローグ公爵様、
ゼファーに続いて陛下や王家の面々に挨拶をする。
ゼファーやガヴィと一緒にこの様な場面に何度か参加していたのでイルの挨拶もなかなか様になってきていた。綺麗にカーテシーをきめて顔を上げると「え? イル?!」と驚いた声が上がる。
「え?」
名を呼ばれた先に視線を向ける。
そこには、先日繁みの中で会ったヒューと名乗った青年が目を丸くして立っていた。
【つづく】
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