小噺 其の四 独占欲③
「いや、驚いたな、本当に」
晩餐会参加者による主賓への挨拶が終わり閑談時間になって、ヒュー改めクリュスランツェ国第三王子ヒューバートは正面に立つイルを見て表情を崩した。
「私もびっくり! まさかヒューが王子様だったなんて……あ。ご、ごめんなさい!」
失礼な口を聞いて、と慌てて居住まいを正そうとするイルにヒューバートは首を横に振った。
「いいや。俺は王子とは言え第三王子でそんなに大した者じゃないよ。
アルカーナには留学させてもらっている一生徒だし。どうか普通に接してほしい」
そう言って人懐こく微笑んだ。正真正銘の王子だというのに、初めて会った時と変わらずひとつも偉ぶったりせず気さくだ。
ヒューバート王子は御年十七歳。
アルカーナにも多いがクリュスランツェの国民もほとんどが黒髪だ。ヒューバートはあまり癖のない青味がかった黒髪に、瞳は深い海のような青色をしていた。
身長はガヴィほど高くはないが、スラッとしていてなかなかの美男子である。
「イルはあの
「紅の民を知っているの?!」
ヒューバートの口から故郷の名が出てきてイルは驚いた。
ヒューバートによると、ノールフォールとクリュスランツェは森続きで繋がっている事、アルカーナの創世記に出てくる希少価値の高い少数民族ということでクリュスランツェでは関心が高いと言う。
クリュスランツェは気候が厳しい土地故にアルカーナよりも精霊や目に見えない物に対しての信仰心が高い。
紅の民の祖先も、元々はクリュスランツェの土地からノールフォールの森に移り住んだのではないかという一説もあるのだそうだ。
先の事件でクリュスランツェの王宮に連絡がいっていたこともあり、紅の民の姫が一人生き残ったのだということも知っていたらしい。
「紅族の里はクリュスランツェからアルカーナに向かう時には中継地点になるからね。クリュスランツェの商人は必ず里を通るだろう? 精霊や黒狼と絆を交わす一族の事はクリュスランツェでは関心が高いんだ。ある意味アルカーナの国民よりか紅族の事は話にのぼるんじゃないかな」
ヒューバートの話にイルは心底驚いた。
「だから先の件は残念でならないし、心からお悔やみ申し上げるよ」
「……有難う」
深い蒼に見つめられて、イルはじんわりと心があたたかくなった。哀しみに寄り添ってもらえることが、こんなにも慰めになるのだと知った。
里の事を思い出すと辛くて、鬱々とした気持ちになってばかりだったけれど、不思議と心穏やかな気持ちで久しぶりに里の民達の笑顔が浮かんでイルは微笑んだ。
「……イルは花の精みたいだね」
ヒューバートが眩しそうに目を細める。
「え?」
「……俺の上に飛び込んできた時も驚いたけれど、今は凄く可愛くて、素敵だよ」
そのドレスも似合ってると手放しで称賛されてイルは真っ赤になった。
「あ、ありがと……王子様って本当に人を褒めるのが上手だよねえ」
シュトラエル様も凄くお上手なんだよ、とイルが言うとヒューバートはきょとんとした後「イルが本当に素敵だと思ったから言ったんだよ」シュトラエル王子もきっとそうなんだろうねと屈託なく言われて増々赤くなってしまった。
普段言われ慣れていない称賛の嵐に暑くなってしまった頬をパタパタと手で仰ぐ。
ヒューバートはそんなイルを見て気になっていたことを尋ねた。
「……アヴェローグ公爵はイルの婚約者なの?」
少し離れた場所では先ほどまで一緒にいたゼファーが数人に囲まれて閑談している。
「え?!」
イルは一瞬何を問われたのか理解できなくて、視界に入ったゼファーとヒューバートの顔を交互に見た。
「いや、だってアヴェローグ公爵と同伴で挨拶に来られたからさ。そうなのかなって」
何故か少し緊張した面持ちで尋ねられる。
イルは慌てて首を横に振った。
「ち、違うよ! ゼファー様は、なんて言うか……凄く私の事を気にかけてくれて……色々助けてくれる、お兄さんみたいな方なの」
ゼファーが自分の恋人なんておこがましい。
全力で否定するイルを見て、ヒューバートはホッと緊張を解いた。
「そうか、良かった。確かにアヴェローグ公爵と君とじゃちょっと歳が離れてるなとは思ったんだけどさ」
イルに魅力がないって意味じゃないよとちゃんと付け加えられる。
「……俺、実はこの留学にあまり乗り気じゃなかったんだ。知り合いもいないし、アルカーナは全然クリュスランツェとは気候も違うしさ。でもイルと話せて凄く楽しかった。
……俺と友だちになってくれる?」
クリュスランツェの第三王子のまさかのお願いに、イルの胸がドキンと跳ねた。
「う、うん。もちろん。私でいいなら」
「本当に?! 有難う!」
パッと破顔して心底嬉しそうに笑うヒューバートに、イルもなんだか嬉しくなって二人でにっこり笑いあった。
そんな二人を見て、近くに控えていたヒューバートの従者は驚きを隠せない顔を主に向け、ゼファーは遠目からおやおやと言う顔をした。
晩餐会も後半に差し掛かってきた頃、ヒューバートと離れ、ゼファーと一緒に各所を周っていたイルにそろそろ会場の裏手の庭にガヴィが警備巡回で通るから行っておいで、とゼファーがこっそりと耳打ちした。
今日のドレス姿を本当は一番にガヴィに見せたかったイルは、ゼファーの心遣いに感謝して会場を抜け出した。
庭に続く外通路は賑やかな会場の喧騒が嘘のように静かになる。
もう外はすっかり夜の闇に覆われているが、所々に設置されている外灯が仄かに足元を照らしてくれているので不安はない。
転ばないようにドレスの裾を少し持ち上げながらしばらく走ると、奥の通路から燃える赤が見えた。
「ガヴィ!」
名を呼ばれてイルを見た赤毛の剣士は微かに目を見開く。イルは嬉しそうになんの迷いもなくガヴィの胸に飛び込んだ。
「おまっ……なんでここにいるんだよ?!」
「えへへ〜。ゼファー様がここにガヴィがいるよって教えてくれたの!」
イルは上機嫌で答えた。ガヴィは晩餐会警備の為、朝から打ち合わせで今日は顔を合わせていなかったのだ。
「見て見て! ゼファー様がね! すっごく可愛くしてくれたんだよ!」
そう言ってガヴィの前でくるりと回って見せる。
シャンパンゴールドのドレスの裾はふうわりと夜の闇の中に浮かんで、いつもとは違う髪型もむき出しの肩も、薄くひかれた薄紅色のルージュも、いつもの少女とは違って、確かにそこだけ少し輝いているようだった。
浮かんできた言葉を素直に口にはしなかったけれど。かわりにいつものように自分らしい言葉を敢えて選んで音にした。
「……いつも枯れ草体につけて走り回ってる餓鬼には見えねぇわな」
あ、狼だっけか? と言われて途端にイルの唇が尖る。
「もお〜っ!」
眉間にシワを寄せてポカリとガヴィの胸を拳で叩く。ガヴィはいつもの癖でイルの頭をくしゃりとやりかけたけれど、緩く編み込まれた髪や花を見てやめた。
「あー、嘘うそ。可愛いカワイイ」
心が籠もってなーい!! 暗闇でも解るほど顔を赤くしてプリプリと怒る。せっかくのおめかしが台無しだ。すっかりいつものイルだった。
思わず口の端が緩む。
「……嘘じゃねーよ。ちゃんと可愛い。
でも……お前はいつものまんまでいーよ」
着飾らなくても、泣いても怒っていても。それがイルだから。
「どんなお前でも、お前がお前らしくいられるなら俺はそれでいい」
何気なく呟かれた一言が、思いの外柔らかく響いて、イルは怒っていたのも忘れてしまった。
かわりに忙しなく胸が騒ぎ出す。
「……ガヴィって、本当にずるい」
「なんでだよ」
思っていた言葉はくれないのに、いつも忘れられない言葉を残していく。
可愛いと言われたかったのに、そんなことはもうどうでも良くなってしまった。
物語の騎士様やお姫様のような夢みたいな事があるわけではないけれど、自分達が今ちゃんと幸せなのだと言う事は二人共解っていた。
「……そう言えば、ちょっとお前に頼みたい事があるんだけどよ」
ふわふわとした空気の中、唐突にガヴィが訊ねる。
「うん?」
「ちょっとばかし借して欲しい物があって――」
夜の帳が下りる中、誰もいない庭園で顔を寄せながら密やかな二人の話し声が響いていた。
【つづく】
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