小噺 其の八 嫌よ嫌よも好きのうち


 アルカーナの赤毛の剣士こと、レイ侯爵の屋敷は城下街から馬車で約半刻の郊外にある。


 若き武人侯爵と名高い彼の屋敷は周りを小さな森に囲まれ、邸まで道は付いているが森の外からは中の様子は容易にはうかがえない。

 森の中ほどにある小さな屋敷も、黒く背の高いアイアンの塀と生け垣に囲まれ、門の正面から屋敷の玄関は見えるが裏側の様子は全く見えない仕様になっていた。

 正面の門の前には城から派遣されている通いの衛兵が二人立っているだけで、あとは特に人の影はない。

 小さな馬車が何とか通り抜けられるくらいの門を抜けると、大きくはないがよく手入れされた前庭に色とりどりの花が品良く植えられている。敷地内には他に馬屋と裏庭があるだけの、侯爵邸とは到底思えない大きさの屋敷だ。


 領地を持たぬ侯爵の屋敷を訪れるのは、城から派遣される衛兵と伝達の早馬、赤毛の侯爵と懇意こんいにしている銀の髪の公爵くらいで、後はよっぽど侯爵に恨みのある者か、のっぴきならない事情のある者位しか来ない。


 幸いにも、今の所恨みのある者が訪れたことはないが。


 であるからして、赤毛の侯爵ことガヴィの登城がなく、休暇の日で在宅時には屋敷は本当に静かで穏やかな空気に包まれている。



 最近この屋敷に居候しているくれないの民の娘イルは、屋敷の唯一の家人である執事のレンと朝食の片付けを炊事場で一緒にしたのち、レンに「手伝って下さったお礼です」と彼お手製の焼き菓子の袋をもらって鼻歌交じりに屋敷の居間に向かった。

 屋敷の南側にある居間には暖炉の前に大きなローソファーがあり、庭に面したガラス張りの壁から零れ落ちる光が当たりとても心地良い。そこから、木々に囲まれた小花やハーブに溢れた秘密の花園のような庭を眺めるのがイルは大好きなのだ。


 レンが後でお茶を淹れてくれると言っていた。

外を眺めながらお茶を飲もう、とイルはウキウキしながら居間の扉を開けてソファーに向かった。


「あ」


 ソファーに近づいて庭に視線を向けると、テラスのベンチに人影が見えた。赤い髪をした彼は、言わずもがなこの家の主人あるじだ。

(ガヴィ、起きてたんだ)

 昨晩急な仕事が入ったとかで、夜中に単身馬で出かけて明け方帰ってきたとレンに聞いていたイルは、ガヴィが自室で休んでいるものとばかり思っていた。朝食の時はいなかったのでイルとレンが炊事場に行っている間に階下に降りてきたらしい。


 夜通し仕事をしていたらしいガヴィは起きてきたとはいえ、流石に睡魔に勝てなかったのか、珍しくテラスのベンチでうたた寝をしている。

 イルはそおっとテラスにつながるドアを開けた。よほど疲れているのか、いつもは気配に敏感なガヴィが腕を組んだ態勢ですやすやと寝息を立てていた。


 イルはガヴィの隣に音を立てないように神経を使って座ると、寝ているガヴィの顔を覗き込んだ。こんなに無防備な赤毛の剣士も珍しい。



 先日、お城の部屋付きの侍女のリズと、年の近い侍女仲間に出来た恋人の話になった。


 リズはその侍女からしょっちゅう「彼が優しい」だの「彼の寝顔が子どもっぽくて可愛い」だの惚気けられて、少々辟易しているらしい。ただ、幸せそうな彼女の顔を見ると、恋も素敵だなと思うようだった。

 その侍女曰く、恋とは、相手が男であろうが可愛く見えてしまうものらしい。


 ガヴィを改めてまじまじと見る。


 筆でシュッと一筆書きした様な切れ長のまぶた、すっと通った鼻筋、いつも勝ち気に上がっている薄い唇は今は真一文字に結ばれている。


 どう見たって子どもっぽくも可愛くもない。


 どこからどう見てもガヴィは大人の男で、なんならあの菫色すみれいろの瞳が開いている時の方がよっぽど子どもっぽい表情かおをしている。


 ただ、ガヴィの赤い頭髪だけが、テラスに注ぐ日差しを受けて、パチパチとぜる炎の様に風に揺れて綺麗だなと思った。


 目を閉じているガヴィは、イルの知らない人のようで、まるで彫刻みたいだ。なんだか落ち着かないイルは、いつもの菫色すみれいろの瞳と意地悪く上がった唇がみたいな、と思った。


(寝てると、ムダに整ってて腹が立つ)


「――意地悪、無神経、おたんこなす。 

 …………すき」



 思いつく悪口を小さく呟いて、最後に零れた思いと同時に溜め息が出た。


 ……目を、開けてくれたらいいのに。

 いつもみたいに笑って欲しい。


 疲れて眠っているであろうガヴィに今言うことではないと、わかってはいるけれど。

 無性に言いたくなった小さな我儘を、イルはぐっと呑み込んだ。



 ふと、居間のガラス戸の向こう側に、仕事を一段落させてきたであろうレンがちょいちょいとこちらに向かって手招きしている。イルはそっとガヴィの側を離れると、音を立てないように屋敷の中に戻った。


「お茶が入りましたよ」

 ダイニングのテーブルの上には、イルの好きな林檎の香りの紅茶が淹れられている。

「あ、ありが――」

「ガヴィ樣はどうされます?」

 続いたレンのセリフに、イルはビクリと動きを止めた。

「俺にもくれ」


(え?……え?!)


 恐る恐る振り返ると、そこには先ほどまで確かにテラスで寝ていた男が欠伸あくびを噛み殺しながらすぐ後ろに立っていた。


「……ガ、ガヴィ……い、いいいつ、いつから起きて……?!」


 炊事場でレンにもらった焼き菓子の袋を握りしめながら震える。

ガヴィはイルの手の中からひょいと袋をとると「それくれ」と自分の口に放り込んだ。


「――お前さ。さっきの、最後以外ほとんど悪口じゃねーかよ」


もっといい所あるだろうがとブチブチ文句を言われて、イルは真っ赤になってワナワナと震えた。

「ホイ」と焼き菓子の空袋を渡される。

レンに「俺、濃いめで頼むわ」と呑気に言うガヴィの背中に、イルは「意地悪! 無神経! おたんこなす! ……だいっきらい!!」と涙目で叫んで空袋を投げつけた。


 空袋は、ガヴィにひょいと避けられて、虚しく床に転がったのであった。


2024.1.12 了

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❖あとがき❖


 よく、好きな人の寝顔がいつもより幼くて可愛い……ってシチュエーションはあるけれど、可愛くないってパターンあんまりなくない? ……うちのヒーローは果たして可愛くなるだろうか……ならんな!(笑)そして、大人の朝を迎える展開以外で気配に過敏なガヴィの寝顔を見られるチャンスってほとんどないよな……という所から思いついたお話です。


 ガヴィって好きな子や心を許した人には意地悪してしまうタイプの人だと思います(笑)自分のテリトリー外の人には気を使うし割と丁寧なのにね。この人なら大丈夫と思った相手には、正直者なので思ったことは口に出してしまう。


 寝込みを襲われるでもなく(きっとガヴィは少しは期待していたに違いない)好きな子が寄って来て、何だろうな〜いつ起きようかな〜なんて思ってる所に悪口と告白のダブルパンチ。

仕返しのつもりが、あたふたしている彼女を見るのもまた可愛いんでしょうな。


 テレビの恋愛ドラマとか苦手で殆ど見ないのですが、幸せそうなカップルを見るのは好きです。


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