第28話 あなたのペースに乗せられてたまるか
馬車に乗り込むと、殿下がなぜか自分の膝に私を座らせた。
「怖い思いをさせてしまってごめんね。でも、怪我がなくてよかったよ」
そう言って殿下が微笑んでいる。
「私が油断したのが悪かったのですわ。あの…助けていただきありがとうございました」
「どういたしまして。それにしても、ヴィクトリアもやっぱり女の子なのだね。あんな風に泣くだなんて」
しまった、不覚にもこの男の前で泣いてしまったわ。涙は女の最大の武器。そんな武器を、人前で演技以外で見せるだなんて、一生の不覚だわ…
「そんなに落ち込まなくてもいいじゃないか。僕にだけはヴィクトリアの弱い部分を見せてくれたことが嬉しくてたまらないんだ。今日は君と森に来られてよかったよ。それに、すっかり機嫌も直ったみたいだしね」
機嫌?
「別に私は怒ってなどいませんでしたわ。とにかく、もう大丈夫ですので」
すっと殿下の膝から降りた。
「本当に君は見ていて飽きないね。僕の可愛いヴィクトリア。水にぬれて寒いだろう?風邪をひくと大変だ。こっちにおいで」
再び殿下に抱き寄せられた。気安く触らないで欲しいわ!そんな思いで殿下の腕から抜け出そうとするが。本当にこの男、どこにこんな力が隠されているのかしら?全く動かない。結局殿下の腕から抜け出すことが出来ないまま、王宮についてしまった。
「ヴィクトリア、僕が君の部屋まで抱っこして送ってあげるね。さあ、行こう」
再び私を抱きかかえようとする殿下。そうはさせるものですか。するりと殿下の腕から抜け出ると
「今日は色々とありがとうございました。私は大丈夫ですので、ここで失礼いたしますわ」
満面の笑みでカーテシーを決めると、タオルを羽織り足早にその場を後にする。
「待って、ヴィクトリア…」
後ろで殿下の声が聞こえるが、無視してそのまま自室に戻ってきた。
部屋に着くなり
「お嬢様、一体どういうおつもりですか?湖に入るだなんて。その上溺れて。お嬢様は泳ぎだけは苦手なのですよ。もう私、寿命が10年は縮まりましたわ」
クロハがギャーギャー怒っている。
「クロハ、あなたここに来てから、随分と寿命が縮まっているみたいだけれど、大丈夫なの?て、そんな事よりもすぐに湯あみを。さすがに濡れたままだと寒いわ」
「申し訳ございません。すぐに湯あみを行いましょう。て、大丈夫な訳ないでしょう。どうかこれ以上、私の寿命を縮めさせる様な事はしないで下さい!」
怒りながらもクロハがすぐに湯あみの準備をしてくれた。
湯あみを済ませると、ソファーに腰を下ろし、今日の事を思い出す。
よりにもよってあの男の前で不覚にも泣いてしまうだなんて情けないわ。でも、殿下に抱きしめられた瞬間、なんだか物凄くホッとして涙が溢れだしたのだ。人前であんな風に弱みを見せる事なんて今まで1度もなかったのに。
あの男と一緒にいると、なぜか調子が狂うのだ。私ったらどうしちゃったのかしら…
出会った頃は人形みたいだったのに、どんどん表情が豊かになっていく殿下の事が、なぜか無性に気になるのだ。後2ヶ月もすれば、私は王宮を去ると言うのに…
「お嬢様、急に頭を抱えてどうされたのですか?もしかして体調が悪いのですか?そろそろご夕食のお時間ですが…」
心配そうな顔で声をかけて来たのは、クロハだ。もう夕食の時間か。今日は疲れたし、なんだか殿下に会いづらい。それにマーリン様もいるし。という事はやっぱり!
「クロハ、なんだか体がだるくて…今日溺れかけて私、本当に怖かったの…ショックであまり食欲がなくて、とても食堂になんて行けそうにないわ…お願い、今日だけはお部屋で夕食を食べさせて欲しいの…」
目に涙をたっぷり浮かべ、上目使いでクロハにお願いをする。ちょっと体調が悪い風を装い、そっとソファーにもたれかかる。
「お可哀そうに、よほどおぼれた事がショックだったのですね。分かりましたわ、お食事はお部屋に手配いたします。お嬢様、ベッドに横になってください」
「ありがとう、クロハ。少し横になっているわね」
フラフラとベッドに向かい、横になる。相変わらずクロハは騙されやすいわね。心の中でガッツポーズをする私を他所に、クロハは部屋から出て行った。
そうよ、この感じ。これこそが私よ。これ以上あの男に心を乱されてたまるものですか。
満面の笑みでクロハと食事を待っていると…
「ヴィクトリア、体調が悪いのだってね。可哀そうに。今日は僕が食べさせてあげるよ。きっとステーキが食べたいと思うから、ステーキを準備したよ。それから、新鮮なサラダに具沢山のスープ。デザートは今日摘んできた木の実を使ったケーキだよ」
何と満面の笑みでやって来たのは、殿下だ。どうして殿下がここにいるのよ!
「殿下、申し訳ございません。私は溺れたショックで体調が思わしくなく…どうか今日は1人にして頂けないでしょうか?」
あなたのペースに乱されてたまるか!そんな思いで、目に涙をいっぱい溜め上目使いで訴える。
「そんな可愛い顔で訴えられたら、これ以上何も言えないな。分かったよ、それじゃあ僕は部屋から出ていくね。それからそんなに体調が悪いなら、ステーキもサラダもスープもケーキも食べられないだろうから僕が食べるよ。クロハ、ヴィクトリアには食べやすいミルク粥を食べさせてやってくれ。ヴィクトリア、君が摘んできたケーキは、僕が責任を持って全部食べるから安心してね」
何ですって!あの美味しそうなステーキもサラダもスープも持って行くですって。その上、楽しみにしていたケーキも取られるだなんて。ふざけないで欲しいわ!
「殿下、食欲はありますので、どうかそれらのお料理は置いて行ってください」
「なんだ、食欲があるのならよかったよ。それじゃあ、一緒にこの部屋で食事をしよう。すぐに僕の食事も準備してくれ」
「いや…私は1人で…」
「はい、アーンして。今日は怖い思いをしたから、沢山食べてね」
私の言葉を遮り、口の中にステーキを放り込む殿下。このステーキ、柔らかくて美味しい。
「次はこのスープを食べて。体が温まるよ」
次から次へと殿下が私の口へと食べ物を放り込んでいく。
もうこの男に極力関わらないと決めたのに…結局デザートのケーキまで、殿下と仲良く頂く羽目になったのだった。
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