印刷室の前で立ち止まると、南部なんぶ先生に背中を押され中に押し込まれた。

「わ、ちょっと」

「楽譜はあずまが持っていったから大丈夫だぞ」

 そう言うと眼鏡を外して雑に置いた。

「え?じゃあ何でおれを呼んだんですか?」

 壁際に押され、逃げられない体勢になった。

 顎を少し上にあげられたかと思えば、南部先生の顔が近付き唇が重なった。口内に入り込んでくる熱いものが舌であると分かるまで数秒かかった。

 困惑するおれは身動きが取れなかった。

 ゆっくりと唇離した南部先生は甘さを含む吐息を漏らした。

「お前はすぐ流されるからなあ。誰かに先越されるのは嫌なんだよ」

 熱っぽく湿る瞳がギラついている。

 先越されるのが嫌と聞いて、先生がタイミン良く教室に来たのは意図しての行動だったとしたら、すごいなと思った。


 おれのワイシャツのボタンがひとつずつ外れていく。汗ばんだ体に南部先生の舌が這っていく。不快と羞恥が混ざり合った。先生の荒くなる息とベルトのカチャカチャという音が耳の奥に流れていく。


 今日のことをぼんやりと思い出し、おれは思った。バンドやったらモテたな、と。


 不意にバンッと激しい音がしたと思えば、印刷室のドアが開いていた。

 そういえば南部先生、鍵かけてなかったなと思った。

「……何してんだてめえ」

 佇む東が持っていた楽譜を投げ捨てた。

「おいおい、東……邪魔するなよお」

 南部先生は少し焦ったようにベルトを締めた。

「この楽譜、頼んだページじゃねえんだよ。まあ、わざわざ来たのは正解だったな」

 東はおれを見て、早く服着ろと促した。

 おれは今更、羞恥で死にたくなった。

 東と南部先生は睨み合っている。

「教師が生徒にサカってんじゃねえよ」

「北川以外にはコーフンしねえから安心しろ」

「ふざけんな死ね」

「お前には関係ないことだろお?」

「関係ある、俺は北川が好きだから」

「先生だって北川が好きだぞ?もちろん性的な意味でな」

「死ね」


 二人の言い争いが聞くに堪えなくて、おれはそっと印刷室を出た。

 さっさと帰ろうと廊下を急ぐと、西園にしぞの先輩が前の方に見えた。

 見つかれば確実に家に連れて行かれるだろう。

 前も後ろも行き止まりという感じだ。

 おれは壁にもたれかかり、しゃがみ込んだ。


 モテるって大変なんだなとため息混じりに呟いた。蝉の鳴き声が、おれを笑っているかのようだった。

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蝉が鳴く夏休み 鷹野ツミ @_14666

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