第40話 微熱えすおーえす


 風邪ひきました。

 いやぁー……なぁんででしょうねぇ……お風呂上がりに髪も乾かさないままクーラーガンガン効かせた部屋でアイス食べたからかなぁ……まさかなぁ……


「もう、絶対理由それでしょ」


 一見、呆れた風に言う羽須美さんだけど、声音と眼差しはいつも以上に優しい。場所は私の部屋。あ、幻覚とかじゃないよ? 本物の羽須美さんだよ? 幻覚見えるほど重症じゃないし。微熱よ微熱。


「ごめんなさい」


 ベッドに横になったままあごを引く。軽い気持ちで〈風邪引いたかもー〉とかLINEしたらお見舞いに来てくれて、申し訳ないやら嬉しいやらだ。幸い症状は軽いし、夏祭りもまだ先。デートの予定とかも入ってなかったタイミングで、それもラッキーだった。だからこそ気が緩んでたとも言えるけど。強いて懸念点をあげるなら……


「来てくれたのは嬉しいけど、うつしちゃわないか心配」


「だいじょぶ。あーし生まれてこのかた風邪ひいたことないから」


 強い。説得力もある。そして力こぶを作る様子に癒やされる。ほっこりしていたら、くぅーっとお腹が鳴ってしまった。さすがは私、お腹の音すら可愛いぜ。


「そうだそうだ。りんご、お母様方から預かってるよ」


「わーい」


 おかーさんもお母さんもこういうときはわりと冷静っていうか、症状の見極めが上手いんだよねぇ。だからまあ、大丈夫でしょってことで諸々羽須美さんに任せてくれてるんだろう。すっかり信頼を勝ち取ったものだ。


「ちょっと待ってね」


「何から何までありがとうねぇ」


「あはは、まだ何もしてないでしょ?」


 ちゃぶ台の上でするすると皮を剥いていく手付きは手慣れたもので、さすが羽須美さん略してさす羽須。そのあいだに私も上体を起こして……それで初めて、背中の方が思ったより蒸れちゃってることに気付いた。というか全身、汗でベタついてる。どうしよ、確かその辺にタオルがあったはずだけど、うーむ……


「汗、気持ち悪い?」


「ちょっと」


 仕草だけで察したのか、すぐにナイフを置いて濡れタオルを差し出してくれる羽須美さん。ありがたく受け取って、まずは顔周りや首の汗をぬぐう。よく絞られていて、ひんやり気持ちいい。次いでタオルケットを被ったまま服の下に手を入れ、もぞもぞからだも拭いていく。羽須美さんはすでに視線を手元に戻し、食べやすいようにりんごを小さく切り分けてくれていた。ちょっと残念な気持ちになりつつ手足も拭けるだけ拭いて、最後に背中も。ふーい、だいぶ不快感が和らいだ。

 

「すっきりした?」

 

「うん、おかげさまで。あーでも、あれだなぁ」


「?」


「折角だし、羽須美さんに全身くまなく拭いてもらってもよかったかもなーなんて」


 テンパり彼女さん成分を補充したい。そんな邪な気持ちから口をついて出てしまった言葉に、羽須美さんは一瞬きょとんとして。


「こーら。病人が変なこと考えないの」


 それから、とびきり優しい顔でこちらを嗜めてきた。これはちょっと予想外の反応だ。なんというか、包容力がものすごい。

 

「はぁい」


「ん。はいりんご、自分で食べられそう?」


「だいじょぶ。いただきます」


 めっされちゃった手前へんなこと(あーんして♡とか)言うわけにもいかず、皿ごと受け取って健全にいただく。おいしい。普段はもっぱら濃い味が好きな私だけど、さすがに風邪ひいてるときはこういうスッキリめなものの方が落ち着く。目の前で羽須美さんが切ってくれたって付加価値も合わさって、しゃくしゃく食べ進む。


「おいしい」


「よかった。食欲もそんなに落ちてはないみたいだね」

 

 食べてるあいだもずっと、羽須美さんは包み込むような穏やかな視線をこちらへ向けていて、なんというかこう、ただならぬおねえちゃんヂカラを感じるというか──あ、実際おねえちゃんか。いやしかし、くぅ、これはなかなか……


「……良い」


「え?何が?そんなにおいしかった?」


「羽須美さんが」


「……調子もいつもの感じだし、そんなに心配しなくても良かったかな?」


 すごい、全然動じない。このイタズラっ子め、みたいな慈愛のオーラが全身から吹き出してる。前に階段から落ちかけたときとか、家勉モードとかもそうだったけど……やっぱり羽須美さん、気持ちの切り替えスイッチみたいなのがばっちり入るタイプなんだなぁ。今はもう完全に看病モードに入ってる感じだ。こーれは仁香ちゃん的にはかなりキュンですよ。危うくカード出してって言いそうになっちゃったくらいには。でもがまん、まだがまん。


「…………」

 

 ひとかけひとかけりんごを咀嚼して、早まりかけた気持ちごとゆっくり飲み込んでいく。ひんやりした甘酸っぱさが喉を通るたびに、微熱で浮かされてた頭もちょっとずつ落ち着いていくような感じがした。そう、がまんだ。羽須美さんもだいぶ気合い入れてるっぽい夏祭りまで、もう少しだけ。

  

「羽須美さん」


「んー?」


「夏祭り、楽しみだねぇ」


「うん。めっちゃ楽しみ」


 だからそれまでにちゃんと治してよ?

 あんまり優しい笑顔でそう言うものだから、またしてもタオルケットの下で、指が勝手にスタンプを探そうとしてしまった。危ない危ない。


 それから少しだけお話したあと、長居するのもなんだからって羽須美さんは帰っちゃって。ちょっとだけさみしくなったけど、でもそれ以上の安心感が、残り香のように部屋中をずっと漂ってるような気がした。で、その日はそのままぐっすり寝ちゃって、起きたときには熱も無事下がっていた。


 夏のある一日にまた羽須美さんの新しい一面が見られたって、まあそういう話だ。

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