第32話 準備段階


 夏休み前半戦でのおっきなデートとして、私と羽須美さんはプールに行く約束をしていた。舞台は最寄りから四駅先にある巨大ウォーターレジャー施設。課題の進捗も上々ってことで、満を持してそこへ行く──のは、もうあと少しの話。私の部屋で課題をがんがん進めてから数日後の今日は何をするのかと言うと、はいそうですね。水着の新調ですね。

 

 というわけで私たちは今、最初のデートでもお世話になったショッピングモールに来ているわけなのですが。


「ぬ、ぅ……っ! うぐぐぐぐぅ……!!」


 夏まっただ中で広ーく展開された水着コーナーの一角で羽須美さんが、それはそれはものすごーく悩んでいらっしゃる。その手に持った選択肢は二つ。左のワンピースか、右のビキニか。着るのは彼女ではなく私だ。


「どっちがいいー?」


 この質問はもう……何回目だろう?

 お互いに相手に着てもらいたいものを選ぼうってな趣旨で始まったこの水着物色デート、羽須美さんの分は私がけっこうさっくり決めちゃったんだけど……他方、私が着るやつ、どうにか二択まで絞った彼女さんはこの最後の選択で延々と苦悩していた。まあ、待つのは全然苦じゃないから良いんだけどね。むしろ見ていて面白いし。


「ぐぉぉぉぉ……!」


 ついには控えめなドラゴンみたいなうめき声まであげ始めた。実際に着ている姿は当日のお楽しみってことで、かわりに羽須美さんの頭の中では今、ワンピースの私とビキニの私とが彼女の両腕を引っ張り合ってるところだろう。がんばれ脳内仁香ちゃんズ。


「うーむ」


 悩む彼女さんの後ろから、私も改めて水着を見比べてみる。左手に持ったワンピースは露出も少なめなAラインタイプに近いもので、控えめなフリルや淡いブルーの色味もあってかなり清楚な印象だ。対する右手の真っ黒ビキニ、まあ当然ながら前者に対して露出が多い。とはいっても上はチューブトップで面積大きめ、下はホットパンツってほどでもないショートパンツタイプで、これだってまあビキニの中ではだいぶ大人しい方だと思う。


「うーむむむむ……っ!」


 いつの頃からか羽須美さん、私の口癖の“うーむ”が伝染ってきてるみたいで、本人的には無意識だろう共鳴がちょっと嬉しかったりする。というのはさておいて、水着に次いで覗き込んだその顔には難しい表情が浮かんだまま。ただ、視線はビキニの方に行きがちにも見える。さしずめ“折角の水着なんだから露出のある方も見てみたいけど自分が耐えられるか分からないし何よりそれを他の人に見られるのはちょっとこうもにょもにょ……”って感じの顔付きだ。夏休みに入るまで、終ぞ私の着替えを見ない見せないを貫いた羽須美さんらしい葛藤ではある。

 ……ただまあ、個人的には下着は下着、水着は水着って思ってるし、羽須美さんには本人が見たいものを見せてあげたいという気持ちもある。折角の夏休みなんだし、もう少し欲望に正直になっても良いんじゃないかな?

 

 というわけで、彼女さんの背中を押してあげるべく、すすーっとその場を離れる。目当てのものがずらりと並ぶ一角で、羽須美さんセレクトのビキニと合いそうなものを探す。私はこういうとき、あんまり長くは悩まないたちだ。ざっと眺めて目に留まったものが、きっと私に着られたがってるもの。その直感に従って一着を手に取り、細部を確認。良い感じ。サイズもヨシ。ささーっと羽須美さんのもとに戻る。恐らくタイムは二分を切ってるだろう。RTA走者になれるかもしれない。


「羽須美さん羽須美さん」


「ぅーー…………あっ、ごめん黒居さん、時間かかっちゃってて」


「んーん、だいじょぶ。私は羽須美さんが一番見たい方を着たいから」


「ぅ、嬉しいけど、難しい……っ」


「じゃあほら、こういうのはどう?」


 後ろ手に隠していたそれ──ラッシュガードを差し出してみる。白を基調とした、前ファスナーのパーカータイプ。黒ビキニの方を意識した提案だって、一発で分かるだろう代物。


「これで素直になれる?」


「こ、れはぁ……!」


 ビキニとラッシュガードを高速で行き来する羽須美さんの目の奥に、めちゃくちゃ良い感じの格好をした脳内仁香ちゃんが覗き見えた。いやもちろん、清楚系ワンピースタイプの私もめっちゃ可愛いのは間違いないんだけど。でも羽須美さんはこう……ちょっとアレな言い方になっちゃうけど、私の体にもばっちり興味があるみたいだし、そこは全然素直になってくれても良いよって、今の私はもう、そう思っちゃってるから。上から羽織れて前を見せるも隠すも自由自在なパーカー型なら、羽須美さんは安心もできるし期待もできるんじゃないかなって。


「どう?」


 お見通しだぞーって表情を作って、斜め下から覗き込む。目が合って、赤面されて、楽しくて。やがて彼女は、小さく言った。


「……こ、こっちにしますぅ……」


「はーい」


 掲げられた右手からビキニを預かる。左手のワンピースさんは、残念ながら今回は落選だ。また今度、機会があればよろしくね。準備段階からこんなに楽しくて良いのかなぁなんて思いつつ、サイズ確認のために試着室へ向かう。


「じゃ、ちょーっとだけ待っててね。ちょっとだけね」


「ぅ、はいぃ……」


 気持ち小さくなりながらワンピースを戻しに行く羽須美さんがとても可愛くて、私も私で、選んだやつを着てもらうのが今からわくわくしてしょうがなかった。

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