第17話 校内デート
教室に二番乗りで来るようになって以降、羽須美さんは毎朝、ほかのクラスメイトたちがいないあいだだけ私の髪を梳いてくれるようになって。興が乗ってきたのか櫛やら寝癖直しやらオイルやら持ち出してきたものだから、それは流石にとお金払おうとしたら「むしろあーしがお金払いたいくらい」と固辞された。
ならばとご厚意に甘え、日毎にへそ曲がりな私の御髪様も懐柔されていく。そんな感じで梅雨の日々もさらさらーっと過ぎていき、気象予報的にはそろそろ明けるんじゃないかなって頃合いのある日。
「デート……」
「うむぅん」
羽須美さんのデートしたい欲が限界を迎えた。
とはいえ問題は天気。明けそうとはいっても梅雨前線はまだ過ぎ去ってはおらず、しかも午後から激しめに降りだしたものだから「小雨だし、放課後どこか行くのも良いかもね」「う、うんっ」なんて朝のうちに立てたプランに水をさされたような気分だ。プランって言うほどちゃんとしたものでもなかったけど。梅雨好き民の羽須美さんもこれには顔をしかめていて、いやまあ土砂降りだろうが遊びに出られないってわけではないんだけど、ねぇ?
「でーとぉ……」
みんな帰っちゃった放課後の教室で変わり種のゾンビみたいなうめき声をあげる姿も可愛いではあるけれど、それはどっちかっていうとかわいそう混じりの可愛いであって、つまりこう……かわいそう。なにか良い代案を……と少し考えて、一つ思いつく。いつかやろうかなと頭の片隅においていた、ちょっとしたこと。
「デートって言えるほどのものかは分からないけど……校舎の探検でもする?」
「たんけん……」
入学してから三ヶ月足らず、校舎内にはまだ行ったことのない場所もけっこう多かったりする。他学年のフロアには踏み入りづらいけど、それ以外の校舎内を色々見て回るというのも、個人的には悪くない気がしてるんだけど。特に別館なんかは移動教室以外で行ったことないし。
「……校内デート?」
「まあ、そうとも取れるかもねー」
「いくっ!」
めっちゃ元気になった。分かりやすくて大変よろしい。
鞄……は、置いてって良いか。貴重品だけポケットにしまって、私と羽須美さんは軽い足取りで教室をあとにした。
◆ ◆ ◆
別館へ向かうべく、私たち一学年のフロアである三階から一階まで降り、そのまま渡り廊下へ出る。雨脚は強いままだけど風はないのが幸いして、濡れ鼠にはならずにすんだ。屋根を叩く雨音は大きく強く、でも別館に入った途端にそのボリュームがギュッと絞られるのが、エリア移動しました感ある。
「……静かだね」
「だねぇ」
別館、梅雨時期、放課後と揃えばまあこんなものなのだろうか。外からの雨音以外何も聞こえず、私たち以外の人影も見当たらない。もちろん廊下の電気はついているけれど、外との明闇が夜と錯覚させるような、しっとりとした雰囲気。
この学校は特別長く伝統があるわけでも新進気鋭というわけでもない公立校で、校舎も改修はまだ必要ないかなぁくらいの築年数らしい。まあ多少黄ばんでるんじゃないって塩梅のリノリウムの床を、二人で小さく鳴らしながら歩いていく。
「……」
「……」
無言、ではある。だけど気まずい感じじゃない。それこそ毎朝、二人で教室にいるときと同じような空気感。誰も廊下を通らない少しの時間、まるでフロア一帯が私たちだけのものになったように錯覚する瞬間があって。今はそれがさらに拡大されたような、この校舎自体が私と羽須美さんのためのものになったみたいな。
「……」
「……」
ここ最近の、傘をさしながらの下校よりもずっと近い距離で、肩を並べて歩く。ゆっくりゆっくり。景色って意味では代わり映えしない廊下を。確かこの先、別館一階の一番奥には図書室があったはず。行ったことないけど。何となくそっち方向に向かいつつ、通り過ぎる空き教室やら何やらはどこも無人で、それがますます、二人だけって感覚を助長する。
静かな中で、羽須美さんと二人っきりでいるのは心地良い。朝の時間ですっかりそう覚えてしまった私の体はどうも上機嫌のようで、うなじの辺りが少しだけちりちり痺れる。羽須美さんはどうだろうなと横目で窺ってみれば、パチリと視線が合った。僅かに頬が色を持って、だけど目を逸らすことはない彼女さん。どちらからともなくもう半歩距離が詰まって、そしたら私の右手と羽須美さんの左手が僅かに掠めた。
「っ」
小さーく、息を呑む音。
途端にいたずら心が湧いてきて、私の右手がするりと動く。まるでうなじのちりちりに突き動かされるみたいに。羽須美さんの左手を捕まえて、握る。指を一本一本絡める、恋人繋ぎってやつ。恋人なのでね。
「ぁ、わっ……」
驚く声も控えめに、だけど顔は明確に真っ赤になってるのが可愛らしい。
「ちゃんと手ぇ繋ぐのって、これで二回目かなー?」
「そー、だね、うん、そう……」
一回目の、初デートのときはキススタンプカードなんてけったいなアイディアを実現するのに頭が一杯で、正直手の感触とかはあんまり覚えてなかったんだけど。今右手に触れてる羽須美さんのそれがしっとりしてるのは、梅雨のせいなのかどうなのか。
廊下から覗き見た図書館は、静かながらもぽつぽつと人がいて。私たちは足音を殺して、その前を通り過ぎた。
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