第12話 梅雨入り


 羽須美さんと梅雨がどうこうってやり取りをしてから数日のうちに、予報通り梅雨の時期が始まった。

 窓の外はしとしと静かな雨が降っていて、空は灰色一色。だけど、今までなら曇天だーくらいにしか思わなかったそんな空の色も、なるほど確かに“明る過ぎない良い塩梅”って捉えることもできる。羽須美さん様々だね。


 ……とかなんとか風流なことを考えていられたのもここまでで、というのも机に突っ伏す私を見た上山さんが──


「黒居めっちゃ髪跳ねてる!!」


「てる」


 って駆け寄ってきたから。

 いつも通り下谷さんも一緒に、そしてちょうど教室に入ってきた羽須美さんもすすすーっと。


「お、はよう黒居さん。今日はまた一段と……」


「可愛い?」


「かっ……わいいのは、いつもだし。そりゃもちろん今日も可愛いけど……っ」


「ありがと。おはよー羽須美さん」


 まあまあ、色めき立つ諸姉の言わんとすることは分かる。っていうか上山さんが最初に言ってたし。私の、今日の髪の具合の話。


「毎年、梅雨の時期はこうなんだよねー」


「湿気で跳ねちゃうんだ?」


「そうそう」


 元々癖っ毛気味な私のお髪様、この時期はその反骨精神に磨きがかかるのか、勝手に巻くわ跳ねるわでもう好き放題しなさる。普段から髪型はお髪様にお任せしてる私がそれを直そうとしたとて、いくら時間があっても足りないのだ。つまり諦めてる。まあこれはこれで可愛いし。黒居 仁香、梅雨限定verってことでここはひとつ。


「黒居って普段は猫っぽいけど……これは犬じゃんね。もふもふのやつ」


「もふもふ」


「うーむ…………ほいっ」


 両手を頭の上にやって、髪を一房ずつ掴んで見せる。それだけで「うはー犬耳っ。めっちゃ犬っ」「いぬ」と上下コンビが分かりやすくはしゃぎだし、羽須美さんも口元を手で抑えていた。可愛かろう可愛かろう。しかーし、実はこれ犬耳ではないんだなぁ。羽須美さん気付くかなーどうかなー。

 ……おっ、“はっ”て感じの顔になった。上山さんたちの後ろでさり気なくスマホを取り出して、ウミウシストラップをふりふりしだす。そうそうそれそれ。私も、髪の毛で作った耳あらため触角をふりふり。


「……っ!!」


 めっちゃ悶えてる。私が可愛いということを差し引いても反応が良い。羽須美さんってウミウシ好きなのかな。それともウミウシ好きになったのか。ウミウシ系女子としてはぼちぼち気になるところだ。


「犬ー、撫でさせろーっ」


「ろー」


 おっと、彼女さんの前で不用意に体を触らせるのは良くないね。


「撫でたら噛みつきます。この身朽ち果てるまで」


「狂犬じゃんっ!」


「じゃん」


 うわー逃げろーっ……とか言いながら、上下コンビはうるさすぎない程度の小走りで私から離れて……うわ、そのまま教室から出ていっちゃった。元気だねぇ。まああの二人が程よく元気なのはいつものことで、むしろ梅雨でも変わらずな姿に安心感すら覚えるというか。他のクラスメイトたちもちらりと一瞥しただけで各々の世界に戻っていく。


 そうしてまあ、私と羽須美さんの二人になって。手をおろし、横向きに机に頭を乗せてから、私は羽須美さんに言ってみた。


「特別サービスで、羽須美さんには噛みつきません」


「っ」


 ごきゅり。きょろきょろ。

 不審な挙動で教室を見渡したあと、何故かカニ歩きで私のすぐ横まで来た羽須美さん。そのまま私の方を見ることなく、“机にもたれかかってるだけですけど?”みたいな姿勢でさり気なく手を伸ばしてきた。


「どうぞー」


「ど、どうも……」


 少し頭を傾けて撫でられ姿勢に。こわばった指先が近づいて、近づいて、そっと触れた。まさしく恐る恐るといった様子で、撫でてくる。


「どうですかな、触り心地は」


「く、くしゃくしゃ」


「くしゃくしゃかー」


 確かに、私の髪はサラサラとか艶々とかじゃないからなぁ。むしろそっち方面は羽須美さんの髪の領分だろう。湿気をものともせず、今日はハーフアップに仕上がっている。あーでも、日を浴びてキラキラしてるさまが見られないのは、梅雨の残念なところかも。


「ずっと撫でていたくなる感触」


「ずっとはー……ちょっと困っちゃうかも」


「だ、だよねっ……」


「うん」


「……」


「……」


 会話は止まったけれど、撫でる手はそのまま。髪の表面にそっと触れるような、繊細すぎる手付き。ビビりすぎとも言う。それはそれで気持ちいいけど、どうせセットなんてしてないんだしもっとぐわーっと来ても良いんだけどなぁ……って気持ちを込めて、頭を擦りつけてみた。ぐりぐりすりすり、なるほど確かに、気分は犬だか猫だかだ。


「っ」


「……」


「っっ」


 触れてる手のひらからなにやら葛藤めいたものを感じて、だけども直後、羽須美さんの手付きが変わった。指を軽く曲げて、手櫛を通すみたいに。優しすぎるくらい優しいのは変わらずに、髪を梳く指の感触が心地良い。ときおり指先が頭皮を掠めて、不規則に繰り返されるそれが、良い感じに眠気を誘発する。


「羽須美さん」


「っ、何?」


「撫でるの上手いねぇ……」


「あ、ありがと」


 確かそんな感じのやりとりをして。結局そのままうとうとしちゃったから、いつまで撫でられてたのかは分からないけど。まあ少なくとも、ホームルームが始まる頃には、羽須美さんは自分の席に座って私を見つめていた。

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