第5話 ホームディフェンス


 恭莉の体は今、配信の画面の中で見るダンジョン、その二層にあった。だが周囲の様子は、恭莉がみさおのスマホを横目で見ていた配信の時とは大きく違っていた。

 周囲は火の海と化し、画面越しには感じられない血の焼ける臭い。そして、冒険者の標準装備であるアクションカメラの指向性マイクでは拾われない悲鳴と怒号、子供の泣く声、断末魔の叫びが其処彼処から聞こえてきた。


「なっ、なんなんだよ……これ……」

(火災だ)

「そんなの、見りゃわかるよ……」


 目の前に広がる光景が理解できなかったわけではない。恭莉はこの悲惨な状況が起きた不条理を受け入れられなかったのだ。そして、戸惑う恭莉は強化された視力でふたつのものを見つけた。


 ひとつは火に包まれながらテントから這い出るモンスター。火に体を舐められ、もはやどんな姿かたちをしているか分からない。だが、その両腕の中に小さい何かを抱いている。子供、恐らく赤子だと恭莉は認識できた。ふたつの命は自らを喰らう炎に為すすべなく絶命した。


 そしてもうひとつは炎の中踊る、人間の男女だった。装備から冒険者と分かる彼らは笑顔で、この世にこれ以上の喜びはないとでもいう風に浮かれ、楽しんでいた。


 ジャは後悔した。自分たちへの同情を引くためにこの光景を恭莉に見せようとしたわけではない。ただ、即座に冒険者に対処するため、彼らの不意を打てるよう察知はされないが、遠すぎもしない位置で転移したつもりだった。しかし、この悍ましい景色を見て、自分が力を託した青年の心が壊れてしまうかもしれないと思った。異種族を懸命に助けようとした、この青年ならそうなってしまってもおかしくはない。


 そしてジャは同時に怒りに燃えた。同じ種族であるにも関わらず、この恭莉という優しい青年とは真逆の、冒険者たちの非道さに憤った。


 ジャの怒りの熱は肉体を共有している恭莉にも伝わった。だが、恭莉はそれをすぐさま感じなくなった。恭莉の怒りの炎の方が、より強く燃え盛ったからだ。


「……ジャ。俺がおかしいのかな。わからないんだ。こんなに悲鳴が聞こえてきて、生きたまま命が焼かれていて、なんで、あいつらはあんな風に笑ってられるんだ? なんであんなに楽しそうなんだ?」

(恭莉……)

「なぁ、教えてくれよジャ。宇宙を旅してきたんだろ。俺の知らないこと、いっぱい知ってるんだろ?」


 ジャは伝える言葉を慎重に選んだ。恭莉の――地球人に対する尊厳を傷つけないように。


(自らと大きな差異がある、他生命体に対する嫌悪感と、それを排除した際の安心感は全宇宙の生命体共通で持つ感覚だ。彼らは宇宙規模で見ても生命として正常な反応をしている。何もおかしくはない)

「なら、俺は……!」


 恭莉は強く歯を噛みしめた後、吠えた。


「俺はおかしくていい! 正常じゃなくていい!」


 仮面の奥で、恭莉は止めどなく涙を流した。涙で潤んだ瞳を見開いて、目の前の少年少女の蛮行を目に焼き付けた。そして、どこからともなく声が聞こえた。


「助けてくれ! レプトォォォォォ!」


 焼かれながら助けを求める声に、恭莉から自然と獣のような咆哮があふれ出た。


「Gurrrrrrroaaa!」


 冒険者たちが自分に何かを言っているが、恭莉の耳には届かない。焼ける地面を蹴って、一陣の風のように冒険者たち目掛けて駆ける。が、炎の波でその進撃は阻まれる。


「ぐぅぅぅっ!」

(恭莉! スーツはこの程度の炎に耐えられる。だがきみの体は再構築したばかりだ。無茶すると体がもたないぞ!)

「知ったことかぁ!」

(落ち着いてくれ! こういう時の武器がある。どちらでも良い、手を伸ばせ!)


 恭莉は炎の流れに逆らって右腕を突き出す。


(そして炎を遮るものを思い浮かべるんだ。しっかりと、明確に!)


 恭莉は記憶の中から、昔ファンタジー映画で見たタワーシールドを思い浮かべる。巨漢の男たちが、敵の攻撃を跳ね除ける要塞のような盾。そのイメージを思い描くと、伸ばした手の先から銀色の水のようなものが溢れ、一瞬にして恭莉がイメージした通りの盾を形成した。


(これは『ヴァル』。初代レプトから使われていたとされる神聖な武器で、望む形の武装を象ることができる)


 盾は炎を退け、恭莉の体を火の津波から守る。その津波を恭莉は一歩ずつ進んでいく。そして不意に、前方の火の勢いが弱まると同時に、背中から熱が恭莉の体を焼いた。


「Gurrrrrraaaa!」


 恭莉は背中の爆風を利用しながら、一気に冒険者たちに詰め寄る。そして自分から見て近くにいた少女の細首を掴むと高く持ち上げ、力を入れた。少女は恭莉の手の中で死の運命から逃れようと必死にもがく。


「……っが……かはっ!」

(恭莉! 彼女を離してやれ! 冒険者は普通人より身体的耐久力が高いが、レプトであるきみが本気を出したら簡単に死んでしまう!)


 ジャの制止を聞いて、逆に恭莉はより強く力を込めた。


(やめろ恭莉! このままではきみが同族殺しになってしまう!)

「知るかそんなこと!」


 恭莉の目には仄暗い憎悪の炎が宿っていた。


「こいつらみたいな外道、死んだほうがいい! 誰もやらないなら俺が殺す!」

(彼らは我々の事情を知らない! それなのに、きみに命を奪われたら理不尽だ!)

「理不尽ならこいつらこそだ! 難民であるあんたたちを対話もせず虐殺した! こいつらは悪魔だ!」

(そうだ、我々は難民だ! だからこそ止めるんだ!)


 激しくばたついていた少女の足は次第に動きが少なくなっていく。


(我々は、ハントレスは本来ここにいないはずのものだった。この世界への訪問者は我々だ。そんな存在が圧倒的武力で攻撃を加えたり命を奪ってしまえば、それは侵略行為になってしまう!)

「だけどっ……!」

(我々の中には戦火から逃れ、この船に乗った者もいる。彼らは同じ光景を見ることを望まない)

「……」

(頼む恭莉。どうか私たちのため、その怒りを鎮めてくれ)


 恭莉は意識を失った少女の首から手を離した。糸の切れた人形のように少女が地面に落ちる。


(ありがとう恭莉。優しいな、きみは)


 恭莉は見下ろした先、そこには少年の持ったスマホがあった。画面の向こうでは、少年を鼓舞するような――もしくは見世物小屋の観客のヤジのようなコメントが流れていた。


:負けるな始!

:お前ならやれる!

:男なんだろ? だったら立ち上がれよ! 守れよ!

:魔王を倒して地雷ちゃんとセッ久! →これはラブホ代 +10000円


 醜悪な画面の向こうの存在に、鎮火しかけていた靖莉の怒りが、再点火された。


(恭莉! 直上!)


 ジャが少年の能力による攻撃を警告する。だが、恭莉は強化された感覚でその攻撃を既に感じ取っていた。そして思い描く。本で読んだ『西遊記』。孫悟空が使っていた如意棒を。生成した棒で冒険者の少年の見据えたまま、落下してきたテントの骨組みを打ち払う。目の前の少年が絶叫するなか、恭莉は棒を振りかぶる。


「いや、俺は――」


 そして怒りを力に変えて


「優しくなんかないね!」


 少年の頭を横薙ぎに打った。

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