第3話 星間棄民船ハントレス
(……せ)
深い海の底に沈んだような恭莉の意識が、徐々に浮かび上がる。
(……ませ、……人)
誰かが自分を呼んでいる。誰だ。誰なんだと、揺らぐ精神で問う。
(目を覚ませ、地球人)
凛々しい女性の声が恭莉にははっきり聞こえた。瞬間、視界に光が差し込み、恭莉は覚醒した。
◆
目を覚ました恭莉はまず、ふたつのことに驚いた。
まずは目覚めた場所が自分のアパートの部屋ではないことに。恭莉の体はベッドのような物の上で仰向けになっていた。白い天井を見て病室かと思ったが、すぐに違うと分かった。布団が掛けられておらず、点滴台や看護師を呼ぶナースコール用のボタンなども手元にない。服も病院着ではなく、家で着ていた私服だ。それなのに部屋は壁も床も真っ白。窓どころかドアも見受けられない。なのに部屋は柔らかな光に照らされている。光の中、見知らぬ場所にも関わらず、恭莉はこの空間に安心感を覚えた。だが、
(目を覚ましたか)
「わぁぁぁっ!」
自分の上に跨るエルフの少女を見て、心臓が飛び出たように高鳴った。
エルフは恭莉が助けた個体とは少し差異があった。緩やかで胸元が見えそうな白いドレスを着ているのは同じだったが、その肌は美しい褐色をしていた。ドレスからは艶めかしい肢体が伸びていて、恭莉の膝のあたりにペタンと跨っている。髪は助けたエルフと同じ金色だが、腰のあたりまで長く伸びていた。褐色のエルフは切れ長で金色の眼を恭莉に向けている。
(驚かせてすまない)
エルフは口を動かしているが、その声は恭莉の脳内から響いているように感じた。不可思議な感覚に混乱しつつ、恭莉は自分の置かれた状況を飲み込もうとした。
「お、俺は死んだんだ。きっとなんか病気かなんかで。これは俺が死ぬ間際に見てる夢か、もしくはもう死んであの世にいるんだ。だからこんなワケわかんないところにいるんだ……!」
(きみはある疾病に罹患したが、死んではいない。私がきみを助けた)
「え……」
(ここが、どこか。という疑問への答えだが……地球の言葉に訳せばそう、ここは『星間棄民船ハントレス』と言ったところだ)
「星間、棄民船……? つまり宇宙船ってことか?」
(相違ない。そしてここは、きみたち地球人が『ダンジョン』と呼ぶ場所だ。位置はきみたちに倣って言えば『五層』。我々にとっては上級船員用の居住エリアだ)
「は? じゃあ、ダンジョンが宇宙船だとしたら、その中にいるきみたちはもしかして……」
(宇宙人、外星人、地球外生命体。好きに呼んでくれて構わない)
情報の洪水に恭莉は寸刻前よりも混乱していた。ダンジョンに関しては世界中の学者が日夜研究をしていて、地下で暮らしていた未知の生物とその住処が、何らかの理由で地上に表出した、という説が一般的だった。その知識はもちろんのこと、恭莉の中の常識が根幹から揺るがされていた。この宇宙に人類以外の生命がいて、その存在と言葉を交わして、平静でいられる訳がない。
しかも自分がいる場所のことも恭莉は信じられなかった。ダンジョン配信に興味は無くとも、ダンジョンの街に住む以上、そこで起きていることは嫌でも耳に入る。ダンジョンは現状二層までしか冒険者による攻略は進んでいない。目の前のエルフの言葉を信じるなら、恭莉は誰も到達したことのない、未知のエリアにいることになる。
「宇宙人って……しかも、なんでダンジョンに俺が……さっきまで自分の部屋にいたのに……」
(瀕死のきみをハントレスの私の部屋に転移させた。事態は切迫していたため、きみの承諾を待たず実行した)
ジャは自分を手で指した。
(申し遅れた。私の名は『ジャ』。きみが介抱していた……きみたちの呼び名でエルフ、か。そのエルフ『リャ』の双子の姉にあたる)
「あのエルフの、お姉さん……」
(きみの名前も伺ってよいだろうか)
「あ、えと。殻打 恭莉、です」
(恭莉、まずは詫びたい。きみは私たちのせいで命を落としかけた)
てっきり、自分がエルフ――目の前のエルフの妹リャを殺した人間として糾弾されると思っていた恭莉は、安堵感よりも困惑が勝り、眉をひそめた。
(リャが冒険者に襲われているところを助けようと、彼女と共に転移をしようとしたが、攻撃を受け失敗。きみたちの住むところに彼女だけが誤転送される形になった。リャの匂い分子を辿り追跡を試みたが、白昼堂々、姿を見せるわけにもいかず、発見に時間がかかってしまった)
ジャの言葉と、みさおが見ていた冒険者の配信とが結びついた。
「あのエルフを助けようとした……ってことは、きみが魔王レプト?!」
(正確に言えば『元』レプトだ。いま、レプトの力は私の意識と共に恭莉、きみの中にある)
恭莉は跳ねるように上体を起こした。慌てて自分の体と顔をまさぐる。少なくとも変化は感じられない。だが、自分の体に魔王の力が、なぜ、という疑問で頭が覆いつくされる。
(手を)
ジャが差し伸べた手に恭莉は恐る恐る触れとうとする。が、できない。恭莉の手がジャの褐色の手をすり抜けたからだ。
「えっ」
(今の私に実体はない。きみにレプトの力を引き継いだ時に、私の肉体は消滅した)
「じゃあ、今俺が見てるのは?!」
(この姿はきみの網膜に内側から投影されたものだ。船とレプトスーツの機能を連動させれば、船内で他の者にも見れるよう、可視化することはできる。今、他の者はいないのでそうはしていないが)
ジャは表情を変えないまま話を続けた。
(きみは船内の病気にかかった。船内の病原菌がリャの衣服に付着していて、そこから感染したのだろう。私たちが感染しても、きみたちで言うところの風邪程度の症状しか出ないし、冒険者たちには耐性がある。だが耐性のない恭莉、きみには致命的だった。緊急的な措置として、レプトの力を引き継ぐことで、きみの体を再構築。なんとか命をつなぎとめた)
「なら、その力で妹さんを助ければよかったじゃないか」
(力の譲渡は生存者にしか適用できない。リャは発見時に死亡していた。この方法では助けられなかった)
「……ごめん」
恭莉は両の拳をきつく握った。爪が食い込み血がにじむほどに。
「俺は妹さんを助けられなかった。俺がもっと賢ければ。医者とかだったらあんたの妹さんは死なずに済んだのに。本当にごめん」
(きみが最善を尽くしてくれたのは、リャの遺体の状態を見て理解している。それにきみたちの敵であろうリャを匿い助けようとしてくれた。私たちはきみに感謝すべきだし、巻き込んでしまったことを申し訳なく思う)
恭莉は謝罪には応えず、握りしめた手を開いてまじまじと見る
「俺が……引き継いだ……魔王の力を」
(誤解を招くのは当然だが、レプトの力は侵略のためのものではない。きみが私から引き継いだのは守護の力だ)
「守護?」
(レプトは個人名ではなく役職名だ。きみたちの言葉なら『警察官』が近いかもしれない。船の安全を守り、争いを調停し、外敵から難民たちを守る者。私はその最後の一人だった)
「難民って……ここは棄民船って言ってたけど、あんたたちはどこからか逃げたり、追い出されたのか?」
(そうだ。この船、ハントレスは自分たちの星で迫害された種族や、星間戦争で行き場を失った者たちの寄る辺として、遥か昔から宇宙を旅してきた)
「じゃあ、あんたたちは宇宙難民ってわけだ」
(ああ。だが旅の途中、不明勢力より襲撃を受け、船の航行を司る基幹機構に重大な損傷を負った。逃れることはできたが、この船は飛び立てなくなり、止む無くこの惑星に留まることとなった)
「そんな事情が……」
(そして現在、船の損傷部からきみたちの星の戦士、冒険者から襲撃を受けている。予告もなしに現れたのだ。侵略と誤解されても無理はない)
ジャの言葉を聞いて、恭莉は思わず叫んだ。
「なら政府に事情を説明して、冒険者たちを止めさせないと!」
(無論、きみたちの国の政府や他の国家にも我々は接触を試みた。我々の現状を伝えたが黙殺されている。冒険者による攻撃で我々の持ちうる技術を奪った方が得策と判断したのだろう)
「なら、政府に限らずみんなに訴えよう! 宇宙を旅してきた凄い船なんだろ?! 中で配信も出来るみたいだし、ネットに繋いで世界中に助けを求めることくらい――」
(それも試行した。しかし、発信した情報は全て削除されている。仮にメッセージが届いたとしても、我々の言葉を信じてもらえるかは別だ。姿かたちも、文化も、言語も違う我々を受け入れる者はそう多くないだろうしな)
「でも今、俺はあんたと話せてるじゃないか!」
(それはレプトの力によるものだ。船の治安維持を円滑にするため、レプトはあらゆる宇宙言語を理解、行使できる力を持つ。現在の乗員たちは船内公用語を使用するから、私もこの星に来て初めて力を使ったが)
流れるような説明を聞いた恭莉は首の後ろをかきながら確かめる。
「つまり、あんたたちは宇宙を彷徨う難民で、トラブルで動けなくなったうえに孤立無援で、ぼくたち人類に攻め入られていると」
(そうだ)
「さらに、きみは船を守るための大事な力を、あろうことかその敵である地球人の俺に渡したと」
(端的に言えばそうなるな)
「バカなのか?!」
(なっ!)
恭莉と邂逅してから、眉一つ動かしていなかったジャだが、予期せぬ罵倒に大きく目を見開いた。その様子を見ても、恭莉の舌は止まらない。
「何やってんだよ! あんたが冒険者を退けてたんだろ! あんたがいなくなったらみんなが困るだろ?!」
(だ、だが、そうしなければ恭莉、きみは死んでいたんだぞ)
「そーこーがーそもそもの間違いなんだよ! なんで敵を助けてんだよ! 見捨てとけよ! 殺しとけよ敵なんだから! 宇宙人の思考回路意味不明すぎんだろ!」
鬼のような剣幕の恭莉に対し、ジャは目を泳がせながら遠慮がちに返した。
(そ、それを言うならきみもだぞ!)
「あぁん?!」
(だ、だってリャもきみたちから見れば敵だった。助けて恭莉にメリットがあったように思えない。私だって疑問に思っているんだ!)
「そ、それは、その……」
恭莉が答えに窮していると、部屋の中でけたたましく、不安を煽るような音が響いた。
恭莉には宇宙人が自分を助けるに至ったその思考は分からない。無論彼らの文化も。だが耳が痛くなるほどのこの音が『警報』だということは本能で理解した。
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