第2話 エルフ


【始と夏菜のダンジョンアタックの三日前】


 19歳の青年、殻打からだ 恭莉やすりは黄色いエプロン姿で、自身のバイト先のコーヒーショップで本日最後の客である男に、テイクアウトのコーヒーのカップを渡していた。


「いつもありがとうございます。お疲れ様です」


 渦巻き柄という少し変わったネクタイをしたスーツ姿の男性客がコーヒーを受け取る。恭莉は180センチ以上ある大柄な体を丁寧に折り曲げ礼をする。しばらく散髪に行けておらず、伸ばしっぱなしの髪が指摘されないか恭莉は不安になったが、渦巻きネクタイの男は恭莉に「ご苦労様」と礼を言って店を出た。

 この客はいつも決まって閉店間際に来てテイクアウトをするので、恭莉のなかで時計代わりになっていた。客が帰った後、店の外の黄色いのぼりをしまい、看板をクローズにする。店舗のドアには『ダンジョン前店』の文字。店内の掃除をし、レジの〆作業をする。

 恭莉が管理表に金額を記入していると、彼の横から少しねちっこい少女の声が聞こえてきた。


「先輩、あの人のネクタイいっつも変っすよね」


 恭莉は横目で隣の少女、みなと みさおを見る。店舗規程ギリギリの明るい髪をサイドテールにしたみさおは、吊り目を細めてクスクスと笑っていた。彼女が笑う度にサイドテールとエプロンが揺れる。みさおは一年前にバイトとして入ってきた。店舗ルールでは役職の上下関係に関わらず『さん付け』での呼び方を奨励しているが、みさおは三年前から働いている恭莉に対し、からかうように『先輩』呼びを貫き通していた。


「客の外見をいじるな。〆は全部やっとくから、もう帰っていいぞ」


 みさおは恭莉の一つ下で、まだ高校三年生だった。学生である彼女を気遣った発言だったが、カウンターにもたれかかるみさおにはそれを受け入れるつもりはない様子だ。


「え~可愛い後輩が先輩を気遣って待ってるんすよ~もっと嬉しそうにしてくださいよ~」

「手元のスマホで動画を見てなかったら信用したかもな」


 みさおは「てへっ」と言ってから視線を手に持ったスマホに移す。スマホの画面は冒険者がダンジョンを進む生配信を映していた。そこそこの有名冒険者らしいが、ダンジョン配信に興味がない恭莉はこの冒険者の名前すら覚えていない。画面の中の冒険者が言う。


『あれってエルフじゃないかな……やっぱりそうだ!』

:超レアモンスじゃん

:エルフマ?

:討伐して図鑑登録不可避


 画面の中の冒険者は自身の【斬撃】スキルで逃げるモンスターの背に遠距離から攻撃を当て続ける。遂にモンスターが倒れ、冒険者がトドメを刺そうとした時、そのモンスター、エルフが弱々しく吠えた。


『Re……p…t』


 瞬間、画面の中に白い装甲服の魔王、レプトが現れた。魔王は倒れたエルフを抱きかかえると、体が青白く発光し始める。


『も、もしかして他のモンスターからパワーを吸収してる?! やばいやばいやばい!』


 焦った冒険者は攻撃を乱発する。すると魔王に抱えられたエルフだけが、その場から消えた。攻撃で何かの行為が中断されたのか、魔王は少し逡巡したあと、


『Urrrrua!』


 と吠えて冒険者に飛び掛かり、冒険者の悲鳴が響いたあとカメラの映像は乱れ始めた。みさおが配信画面を閉じたので、恭莉は問う。


「見てなくていいのか?」

「いいっす。こうなったらどの冒険者もおしまいなんで。いっつも、誰でも同じ展開っすね。魔王が出てきてゲームオ-バー」

「……楽しいのか?」

「いや? 惰性で見てるだけっす。それより先輩は冒険者にならないんすか?!」


 恭莉は目を輝かせるみさおから目を逸らして、作業をしながら首を振った。


「スキル検査は陰性だったよ。だからなれない」

「ちぇー。先輩が冒険者なら毎回配信見てあげるのに」

「魔王にやられるところを見て笑いたいだけだろ」

「正解っす。あっ、じゃあ……」


 何か思いついたみさおは恭莉の脇腹をつんつんと突いてから、小走りでカウンターの反対、客側に立つ。


「スキルもない、お金もない、可愛そうでなっさけない先輩に自分、コーヒー奢ってあげるっす。ああ、先輩は幸せものっすねぇ。現役JKに貢いでもらってぇ」


 みさおはわざとらしく体をくねらせながら500円硬貨をトレーに置く。恭莉はすぐ受け取らず、管理表から顔を上げ、みさおを睨んだ。


「仕事増やして困らせたいだけだろ」

「……それも正解っす」


 みさおはカウンターから身を乗り出して、にっと笑う。恭莉はやれやれと言って首を振ってからコーヒーマシーンを起動しなおした。


 ダンジョンの近くにあるチェーンのコーヒーショップ。その夜シフトを生意気な後輩とこなしながら、ダンジョンとは縁のない生活をおくる。これが恭莉の今の暮らしだった。


 ◆


 店の前でみさおと別れた後、恭莉は11月の冷たい風に吹かれながら帰路につく。照明に照らされたダンジョンの横を通りながら、左手にみさおからのコーヒーを、右手で指折り計算をする。


「水道、光熱費、食費、スマホ代。あと家賃。きついな……」


 恭莉はダンジョンが現れる前からこの街の住人だった。だがダンジョンの恩恵を受けたことは、今の勤め先が東京から出店してきて働けていること以外にはなかった。

 ダンジョンの影響で開発が進み、人口は増え、街は栄えたが、地価や税金は大幅に上昇した。恭莉の年頃なら一人暮らしの生活に困ったら親に頼るのが一般的な対処法だ。だが、恭莉にはその選択肢はなかった。両親が幼い時に蒸発したからだ。


「高卒だったら社員試験、受けられたのになぁ……」


 がっくりと肩を落とす。バイトリーダーで仕事もこなせるが、中学も途中から行けていない恭莉には、安くこき使われる正社員登用の最低条件すら満たせない。安定した生活は夢のまた夢だった。今は昼間の時間は宅配アプリの配達をして、なんとか生計を立てている。だがそれも厳しくなってきた。


「睡眠時間削って朝もなんかやるか……」


 虚しいアイデアを口にして、冷めたコーヒーを啜った時、恭莉は気が付いた。


 それは裏路地に続く道で輝き、倒れていた。透き通るような白い肌。薄く肌が透けて見える白いドレス。ショートながら美しい金髪の女性。恭莉が見た輝きはこの金髪で、その持ち主は地面に横になって倒れている。恭莉は最初、伏したそれを酔っ払いか何かと思い素通りしようと思った。が、引き返した。それは違和感を覚えたからで、酔っ払いをまじまじと見て、違和感が確信に変わった。


「おい、マジかよ……」


 倒れていた酔っ払いは女神のように均整の取れた顔立ちをしていて、そして横に伸びた尖った耳がついていた。


「エルフがなんでこんなとこに……」


 恭莉の目の前にいたのは本来、ダンジョンの中にしかいないモンスターだった。さっきまでみさおのスマホの向こう側にいた存在を目の当たりにし、恭莉の頭は真っ白になる。


「そ、そうだ、通報。通報しないと」


 恭莉は少し慌てながら片手で上着のポケットにしまっているスマホを取り出そうとした。

 モンスターをダンジョンの外で見つけた場合、駆除のため警察への通報が義務付けられていた。だから、恭莉も一市民としてそうしようとした。が、できなかった。

 恭莉は気づく。目の前のエルフは息が荒いが、それは何かに酔っているからではない。酷い怪我を全身に負っていたからだった。体にいくつもの切り傷がついていて、赤い血が絹のような美しい肌とドレスを朱に染めている。しかも――


「――っ」


 エルフの左腕は手首から先が無くなっていて、断面からとめどなく血があふれ出ていた。あまりの痛々しい状態に、恭莉の過呼吸気味に息を吸う。


 理性が警察への通報を求める。しかし恭莉の中の別の部分が。目の前の存在を助けたいという情動が、理性の判断を頑なに拒んだ。拒んでしまった。


 ◆


 恭莉は何度も悪態をつきながら自分の住むボロアパートに帰った。血まみれのエルフを抱えて。


「ああ、くそくそくそ。俺のバカバカバカ」


 恭莉は殺風景な部屋に一組しかない布団を敷きエルフをそこに寝かせると、血の付いた服から急いで着替えて玄関に戻る。


「すぐ戻るから!」


 言葉が通じるか分からないが、そう呼び掛けた後、部屋を飛び出し夜の街を走る。時刻は午後11時。既に薬局は閉店しているので、恭莉はアパートの近くのコンビニで揃えられる、可能な限りの医療品を買った。薬局で買うよりも割高なことも、恭莉が男性なのに生理用品を買い求め店員から不審な目で見られたことも、今の恭莉は気にしなかった。

 

 部屋に戻るときも恭莉は全力疾走した。部屋に戻るとエルフは同じ態勢で横たわったままだった。死んでしまったのではないかと焦るが、微かに息をしていることを確認して恭莉は安堵の息をもらす。だが、状況は最悪だった。

 恭莉は懸命に怪我の手当を行った。切り傷にガーゼを当て、傷が深い箇所にはタンポンをあてがい包帯できつく止血した。切断されてしまったような左手首にもナプキンを当て、肘の少し下をきつく縛った。だがそれだけだった。素人の応急処置以上のことはできず、夜が更ける中、恭莉はただエルフが額に浮かべる汗を拭いながら見守ることしかできなかった。


 ◆


 翌日。朝日がだいぶ高く昇ったころ、エルフの目が開いた。青い眼が恭莉を見る。恭莉は眠たい目をこすりながら、エルフが意識を取り戻したことを喜んだ。


「よかった! 目が覚め――」


 エルフは違った。彼女は無事な方の右手を振り回し、取り乱したように叫ぶ。


「Opkj wfqjst! Npvszp usbnuijusv!」

「ちょ、落ちつけ! 大怪我してるんだぞ!」

「Oawfn sfwfsbodp ftu! Oawfn sfwfsbodp ftu!」

「大丈夫! 誰にもげほ、言わげほ……大丈夫だから!」


 恭莉は少しせき込みながらも、体を無理やり起こしたエルフを抱いて押さえた。傷口に触れないよう、優しく背を撫でる。


「Zya……」


 エルフは体力を消耗したからか、徐々に脱力し再び眠りに落ちた。恭莉はエルフを起こさないよう、こみ上げる咳を堪えながら彼女を布団に再び寝かせた。


 ◆


 夕方。恭莉の咳は酷くなっていた。もはや自分の力では抑えられなかった。薬局で買った咳止めシロップも効果がない。だからこそ、職場への病欠連絡はスムーズに進んだ。急に代打を頼むことになってしまった他のバイトリーダーに詫びを入れた後、エルフの横に座り彼女を眠気でぼやける視界で見る。エルフはうわ言のように言う。


「Jhopsgf njij……」


 不安そうなエルフを見て、恭莉の胸の奥が痛んだ。政府の情報では、ダンジョンに住むモンスターは地球上での支配権を得ようとする、邪悪な生き物と周知されている。恭莉も昨日まではモンスターをそのように捉えていた。だが目の前の弱々しいエルフからは、そんな邪な意思を恭莉は感じ取れなかった。


「怖いよな。仲間とはぐれて」


 エルフはうわ言を言いながら恭莉に右手を伸ばした。恭莉は優しく握り返した。


「仲間じゃないけど、そばにいるから」


 ◆


 夜。いつの間にか眠ってしまった恭莉が目を覚ました時、エルフの少女は息絶えていた。


 恭莉は目を見開いたまま死んだエルフの瞼を閉じてあげると、そのまま静かに泣いた。モンスターが、人類の敵が死んだ。喜ぶべきことなのに、それなのに自分の目の前の命が成すすべなく消えてしまったことへの悲しみの方が、恭莉の中では大きかった。ひとしきり泣いたあと、恭莉はぽつりとつぶやく。


「死体、どうにかしないと……」


 恭莉は震える手でエルフを布団で簀巻きにして、ビニールひもで縛る。お粗末な隠し方をした死体を抱えて立ち上がろうとしたが、恭莉は体勢を崩し倒れてしまった。冷たい畳の感触が頬に伝わる。


(おかしいな……体に力が全然入らない……)


 寝ずの看病をしてたからか、それとも栄養の足りない食事をとっていたツケか。そんなことをぼんやりと考えながら、恭莉の意識は薄れていく。視界が暗くなっていく最中、恭莉は幻覚を見た。彼を見下ろすように、六つの瞳を持つ魔王。レプトが恭莉を見下ろしているのだ。レプトはしゃがんで恭莉に手をかざす。レプトの手のひらから緑の眩い光がほとばしり始める。光の奔流に包まれながら、恭莉は嫌な夢だな、と心の中で悪態をつき、そして、意識を失った。

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