王子様かんさつノート

ほわりと

第1話

 シンシアが夕日に照らされた窓際を眺めていると部屋のドアがぎこちなく開いた。ベッドから様子を伺うと開きっぱなしのドアからタタタタ、という足音が近づいてくる。


「ねえねえお母様、お母様。これはお母様の本ですか?」


 シンシアの子供であり、この国の第一王子のアルフォンスが聞いてきた。メイド達の目を盗んでやってきたようだ。


 今日も絵本を読んで欲しいのかと思い、シンシアが手にとってみるとアルフォンスが渡したのは古ぼけた一冊のノートだった。その表紙には『王子様かんさつノート』と書かれている。


「ええ、そうよ。ありがとうアル。昔、失くしてしまった宝物だわ。これはどこにあったの?」


「えへへ、お父様のお部屋の机の上です。お母様の物のようだったので持ってきました」


「……そう。あの人はまだ持っていたのね」


「どうしてお母様が失くした宝物がお父様のお部屋に……もしかして、お父様が隠していたのですか?」


「隠していたとは違うけど……そうねえ。アルがお父様のようにならないためにも話しておいたほうがいいかもね。これは、私が学生だった頃のお話なんだけどね……」


 ●


 あれは、いつものようにシンシアが友達と学園生活を過ごしている日の出来事だった。


「シンシア、シンシア! この前の魔法試験でクリス王子が首席だったんだって! それも、魔法が得意なサリサ先輩を越しての首席。すごいよね!」


 興奮した様子のフェリスが身を乗り出して話しかけてくる。何度も同じことを言われて耳タコのシンシアはため息を吐くとフェリスに言った。


「ねえフェリス、そのセリフは何度も聞いたって。今日で三回目なんじゃない?」


「もうっ! 何回言ってもいいじゃん。ほらほら、この休み時間だってクリス王子に話しかけている上級生がいる。頭が良くて魔法も得意、それに優しくて格好いいなんて、本当にクリス王子は理想の王子様だよね〜」


 フェリスがうっとりとした目を向けている先をシンシアが見ると、そこにはヴェント王国の次期国王候補のクリス王子がいた。胸元に青いタイをつけた上級生と談笑している。


 ここからでは何を話しているかはわからないが美男美女が揃うと絵になる。フェリスの話だと話し相手は公爵令嬢らしい。フェリス同様、貧乏貴族のシンシアには縁遠い存在だ。


 なるほど、だから断りにくいんだ。


 同じクラスの同級生だとしてもシンシアが話しかける機会なんて一度も訪れないだろう。シンシアはクリス王子が優しく微笑んでいる顔を見て、ノートにこう書いた。


 ――王子様は、今日も不機嫌そうだ。


 シンシアが同情の視線をクリス王子へ向けるとクリス王子と目が一瞬合った。慌てて視線をそらすとフェリスが嬉しそうにシンシアの肩を揺らした。


「ねえねえ、クリス王子が今こっち向いたよ! 私のことを見たのかも!」


「そ、そう。フェリスを見ていたね。それよりも食堂でお昼にしようか。今日のランチは何かな〜」


「もうっ、せっかく話しかけるチャンスだったのに。私も一緒に食べるからっ! 待ってよー」


 今日のランチはイカや海老の入った具沢山のペスカトーレ。食後のジェラートを食べて、ティータイムを満喫してから教室に戻ると異変があった。


「ないっ! ここにもない。どどど、どうしよう……」


「何か無くなったの? 私も一緒に探そうか?」


「大丈夫、気にしないで。ほらほら、授業始まっちゃう」


 あのノートは書いた後にいつも鞄にしまっていた。今日もちゃんと閉まった……ううん、机の上に置いたままだった!


 シンシアの顔が急に青ざめた。まるで時間が止まったかのように感じる。魔法を使っても時間は止めることはできないし巻き戻すこともできない。


「だ、誰かに読まれたらどうしよう……」


 午後の授業はシンシアの頭に全く入らなかった。放課後になるとフェリスの買い物の誘いを断り、誰も居なくなった教室で黙々と探す。


 今日はノートを先生に提出する授業があったことを思い出した。間違えて先生に提出したのかもしれない。教務室に行くために教室のドアに手をかけた瞬間、ドアが勝手に開いた。目の前には爽やかな笑顔で微笑む王子様。


「おや、ちょうどよかった。シンシアさんで合っているかな?」


 えっ? これは私に聞いているの?


 ううん、きっと後ろに他のシンシアさんが……。


 シンシアは諦めきれずに後ろを向くが誰もいない。そもそもこのクラスのシンシアは一人だけなので確認するまでもない。シンシアは魔法人形のようにギギギと顔を戻して笑顔を作り答えた。


「シンシアは私ですけど……」


「よかった。同じクラスだけど、こうやって話すのは初めてだよね。私はクリス・ヴェルダート。この国、ヴェント王国の王子なんだけど、君には私の自己紹介は要らなかったかな?」


「ゆ、有名人ですからね。それでは、私は用事があるのでこれで……」


 王子様なんて遠くから見るだけで十分だ。


 なぜなら、この王子は全然理想とは違うから。


 シンシアの父親と母親は昔からとても優しい人だった。しかし、その優しさが理由で簡単に騙されやすく、すぐに借金を作ってしまうのが欠点でもある。


 相手はその手のプロで、相手の出せる金額までしか取らないのでたちが悪い。シンシアの家の食事が貧しくなったり、ドレスなどの高級品が買えなくなるだけなのだ。つまり、実害は育ち盛りで着飾りたいシンシアだけ。


 人を騙す旅人や行商人はいくらでもいる。シンシアは子供の頃からそんな人間を見ているうちに、気がつけば視線や呼吸など、相手の様子を見ると裏の顔がわかるようになっていた。


 シンシアの努力もあり、シンシアの家の家計はだいぶ改善された。元々貧乏貴族ではなかったため、騙されなければ普通の生活ができるのだ。


 お父様とお母様、また騙されていないといいけど……。


 そんな現実逃避をしても現状は変わらない。シンシアが逃げようとすると王子様が一冊のノートをちらつかせた。


「これ、君のものだよね?」


「……チガイマスヨ?」


「そうなのかい? タイトルは、ええっと……?」


 タイトルなんて言われなくてもわかる。王子様はノートの表紙を確認する仕草もいちいち格好いい。これを素でやっているのなら、シンシアもときめいたかもしれない。


 でも、この王子様は理想の王子様なんかじゃない!


「ああ、そうそう『王子様かんさつノート』だ。不思議なタイトルだよね。こんな授業あったかな

 ?」


「あ、あるのかもしれませんね!」


 そんな授業あってたまるか。このノートは耳にタコができるくらい毎日フェリスに王子様の話をされて、シンシアが真実を言えないストレスを文字にして発散していただけ。


 こんなもの書くんじゃなかった。シンシアが一年以上前から書いているため、このノートには色々なことが書かれている。シンシアは一年前の自分を呪った。


 でも、王子様には誰が書いたかまではわからないはず。逃げるが勝ちだ。


「それでは、私はこれで……」


「……へえ。逃げられると思っているの?」


 王子様は逃げようとするシンシアを壁に追い詰めた。壁に手を当てて微笑んでいる。王子様のファンなら喜んだかもしれないが、シンシアには恐怖でしかない。


「ごごご、ごめんなさいっ!」


「なんで謝るのかな? もしかして、このノートのことかな?」


「ええっと、なんのことですか? 私はそんなノート、触ったこともないで「王子様は首席を取ったらしい」……え?」


 王子様は私の言葉を遮るとノートを開いて音読を始めた。


「だから今日は王子様の周りに人が多いみたい。今話している人なんて、ここからでも香水の匂いがわかるくらい気合を入れている。フェリスの話だと公爵令嬢らしい。新作の香水なのかもしれないけど、王子様には逆効果のようだ。可哀想なことに吐きそうなのを必死に耐えているのがわかる」


 そして、いつも最後にこう書いている。


 ――王子様は、今日も不機嫌そうだ。


「今日の俺は不機嫌らしいぞ?」


「な、なんですかそれ。何の冗談ですか? 今日の王子様も笑顔が素敵な理想の王子さ……ま……」


 シンシアが理想の王子様と言おうとしたら、王子様の顔が普段と違う。いつもの仮面を被ったような顔ではなく裏表のない顔だ。一人称も「私」から「俺」に変わっている。これが素の王子様なのだと理解した。


「お前、このノートを知らないと言ったよな?」


「は、はい……」


「ここを見てみろ。何て書いてある?」


 王子様にノートの表紙を突き出されて無理やり読ませた。


「シンシア、と……書かれていますね……」


「これは、お前のノートなんだろ?」


 王子様はシンシアの顎を触ると、シンシアの顔を強引に前に向かせた。持ち物には名前を書きなさいといつも母親に言われていたから、ついこのノートにも書いていたのだ。


 落とし物をした時には名前を書いていて助かった。そのことがきっかけでフェリスとも知り合えたが、今回は名前を書いたことが仇となった。


 ああもう私のバカっ。いっそ開き直る?


「そ、そうですけどっ。それをどこで拾ったんですか?」


「ん? ああ、お前の机の上に落ちていたから拾っておいたんだ」


「それは落ちていたって言わないです!」


「まあいいじゃないか。それよりも、こんな根も葉もないことを書かれて俺は怒っているんだが」


「頭がお花畑な貧乏貴族の妄想です。忘れてください!」


「……最近流行っている小説だと、今の状況は喜ぶものじゃないのか?」


 はい?


 シンシアは今の状況を今更確認した。王子様に壁ドンされて顎クイされている。この後、キスなんてされたら王子様のファンは卒倒するかもしれない。シンシアは想像しただけでゾッとした。


「そんなので私は喜びません! 早く離してっ。それとノートも返してください!」


「頭がお花畑じゃなかったのか?」


「……あっ。そう……でした」


 私のバカっ。ここで黄色い声でもあげて喜ぶべきだったのに。


 王子様に散々嘘をついてしまった。幸いなことに、ここは学園。一度や二度の失敗は大目に見てくれるだろう。シンシアはそう考えて王子様の言葉を待つ。


 すると、王子様は品定めでもするような目でシンシアを見てきた。怒っていないことに安堵するも疑問が生まれる。


 なんでこんな目で私を見てくるの?


「お前、貧乏貴族と言ったな。爵位は?」


「……男爵家ですけど」


「そうか。まあ、なんとかなるだろう。婚約者はいるか?」


「……いるように見えますか?」


「こんなノートを書くくらいだ。居ないだろうな」


「余計なお世話です」


「よし、お前。今日から俺の婚約者になれ」


 え……は? 今、なんて言われたの?


「ちょ、ちょっと待ってください! なんでですか!?」


「お前のその観察眼は政治に使える。ただ、それだけだ」


 使えるって……私を物みたいに言うな!


「そんなの断るに決まっているでしょ!」


「このノートのことをバラされてもいいのか?」


「そんなの読んでも誰も信じませんよ。クリス王子はみんなから理想の王子様だと思われているんですから」


「フッ、理想の王子様か。そんな存在がいたら一度は会ってみたいものだ。このノートのことは信じないだろうが、お前は他の女子からどう思われると思う?」


「そ、それは……ッ!」


 私だけならまだマシだ。友達のフェリスにも被害が出るかもしれない。どうする。どうしよう。王子様の顔を見ると、その答えはすぐに決まった。


「お断りします。バラしたいならどうぞご自由に。でも、そんなことをするつもりないですよね?」


「……流石だ、よくわかったな。今回は完璧に騙せると思ったんだが」


「こんなの朝飯前ですよ……ッ!」


 安心しきった私に、王子様がキスをした。そっと触れるだけの優しいもの。


「なんですか急に! ペッ、ペッ、私のファーストキスだったのに!」


「はははっ、面白い反応だな。それにしても俺のキスを吐き捨てるのか、あははっ!」


「ぁ……そんな顔もするんだ」


 この時、王子様が心の底から笑っている姿を初めて見た。ただの吊り橋効果だったのかもしれない。でも、そんな子供っぽい姿の王子様を見て、私は初めて恋に落ちた。


 ●


「お母様を脅すなんて、お父様は最低です!」


「ええ、そうね。最低よね。アルはお父様みたいになっちゃ駄目よ?」


 シンシアがアルフレッドの頭を撫でていると、開いているドアをノックして誰かが入ってきた。


「何が俺みたいになったら駄目なんだ?」


「あら、国王様。こんな時間にどうしたの? 今はお仕事中じゃないの?」


 シンシアの夫であり国王になったクリスは、いつもの威厳を全く感じない態度でそわそわとしている。大切な物でも無くしたような顔で困っている。


「いや、その。部屋にあったものが無くなっていてな。もしかしたら、お前が取っていったんじゃないかと……」


「お父様は最低です!」


 アルフレッドは動けないシンシアの代わりと言わんばかりにクリスをポコポコと叩く。しかし、大人と子供では体格差があるため全くダメージになっていない。


「おい、どうしたアル。何を怒っている。俺が何をしたというんだ」


「お母様は私が守ります!」


「すまないシンシア、止めるようにアルに言ってくれないか?」


 でもね、アル。力だけが全てじゃないのよ?


 動けなくてもクリスに勝てるところを、お母さんが見せてあげる。


「あなたがこんなノートを取っておくからですよ?」


「やっぱりシンシアが持っていたのか。それは俺の宝物なんだ、返してくれ」


「そうなんですか? でもここに、シンシアと書かれていますよ? クリスとはどこにも書かれていません」


「う、うぐっ……」


「大切な宝物なら、ちゃんと名前を書いておかないと。それに、こんなものもう要らないじゃないですか。あなたの宝物ならそこにいるアルと、このお腹の中にだって。それだけで十分じゃないですか」


「……シンシア、一番大切なものも忘れているぞ」


「え? 他に何かありましたっけ?」


 クリスはシンシアをじっと見つめると近づいて首元にキスをした。唇を離すとシンシアの首にはキスマークが残った。


「え、あの……キスをするならするって先に言ってっ、というかアルも見ているんですよ?」


「大切な宝物には、ちゃんと名前を書いておかないとなんだろ? 愛しているぞ、シンシア」


 ノートで脅されて物扱いから始まった最低な出会いだけど、こんな物扱いなら悪くない。

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