第9話 転生者と謎のご令嬢


 学園は勇者フィーバーとばかりに盛り上がっていた。昨日までレオが浴びていた脚光は今、レオには注がれていない。

 なによりも彼の心を悩ませていたのは「アルジャンが嫌いになれない」ということだった。憎しみを向けられる相手であれば、関わらないようにすれば良いだけだが……アルジャンはおそらくレオを勇者のパーティーメンバーに指名してくると彼は確信していた。

「レオ!」

 教室へ入ると、人混みをかき分けてアルジャンがレオの元へと駆け寄ってきた。勇者となった彼の周りには目を輝かせた御令嬢たちがまとわりついている。

「あぁ、おはよう」

 レオのそっけない挨拶にアルジャンは怒られた子犬のようにしょんぼりとする。

「レオ、あのさ」

「講義、始まるぞ」

「うん、わかってる」

 レオは親友が勇者に選ばれたという事実に向き合っているつもりでも、明るく振る舞うほどできた人間ではなかった。アルジャンとレオの間にはどことなく気まずい雰囲気が流れる。

「隣、いいかな」

「俺は良いけど……」

 レオの視線の先は御令嬢たちだ。彼女たちは勇者であるアルジャンの隣の席を奪取しようと目を光らせている。

「アルジャン様、こちらに座りませんか?」

「アルジャン様〜!」

「こちらで一緒に、ちょっと引っ張らないで」

 御令嬢たちが争いを始めると、アルジャンはいそいそとレオの隣で窓際の席に腰を下ろした。そのまま彼はレオの服をぐいっと引っ張って無理やり座らせると大きなため息をついた。

(俺のなりたかった場所に立って、そんな反応するなよ)

 ふつふつと怒りのような感情がレオの心の奥に湧き上がった。講義中もクラスメイトたちはヒソヒソとアルジャンを噂し、憧れの視線を向けた。

(アルジャンがもっと笑って、俺に自慢してくれていたなら楽なのにな)


***


 講義が終わると、アルジャンの周りに人がドバッと集まって、レオは避難するようにそそくさと講義室を出た。

 家を出るときは素直に彼を祝福するつもりだった彼は嫉妬心を抑えることができなかったのだ。

 植物園を兼ねている中庭のベンチに座って空を見上げた。

 実力は折り紙付き、異能も使える。そして、おそらく唯一の転生者、それなのに勇者の書に選ばれることはなかった理不尽さはレオを深く傷つけた。

 何より、転生前にずっと「2番手」だった彼にとって、親友が勇者に選ばれるというのは前世の心の傷を抉ることとなった。

「だめだ……全然向き合えてねぇじゃんか、俺」

 アルジャンがいいやつなのは記憶の修正で理解していた。彼は虫も殺せないような優しい男できっとレオが勇者を目指していたことを知っているから素直に喜べないということもレオにはわかっていた。

(けど、俺はもう2番手に甘んじないって決めたんだ。後悔した前世のようになりたくないんだ)

 勇者を超える活躍をする。それが当面の目標になるだろう。そのためには、勇者であるアルジャンのそばにいることが必須である。

 ゆっくり息を吐いてそれから、今日目に入った現実をレオはゆっくりと落とし込んでいく。

(勇者じゃなかったとしても譲らない、譲らなければいいんだ)


「あの、レオ・キルマージュさんですか?」

「あっ? えっと」

 突然話しかけられてレオはベンチから飛び起きた。目の前にいたのは見たことのない御令嬢だった。制服は中等部のものでなぜか靴を履いていない。ふわふわした亜麻色の髪を靡かせている。

「私、貴方様にお願いがあって参りましたの。シノアとお呼びくださいませ」

「シノア嬢、貴女はいったい……?」

「レオ様、急いでこちらへ」

 レオは質問も許されぬまま、シノアに手を引かれる。中等部の彼女にどこか見覚えがあるような気がして記憶を辿るが、彼の脳裏に思い込んだのは赤ん坊の姿だった。もう少し、深くゆっくりと記憶をめぐることができれば思い出せるかもしれないが、今の彼には難しい。

「シノア嬢、どこへ?」

「高等部の校舎裏ですわ。さぁいそいで」

「貴女はどうして靴を?」

「すべて投げてしまいましたわ」

 ふわふわした雰囲気で明らかに不思議ちゃんな彼女はそう言った。この土足文化で靴を脱ぐということは滅多にない。投げたというのであればそれは異常事態である。

「一体何が……?」

「こちらですわ」

 高等部の校舎裏、高く聳え立つ塀にわざとらしく板が立てかけられている。シノア嬢はその板を動かして、下の方のレンガを数個取り除いた。

「これ……」

「抜け道ですわ。さ、レオ様。早く」

 シノア嬢はそういうと四つん這いになって制服を汚しながら塀の穴を潜るとレオを急かした。レオも何が何だかわからないまま彼女のあとを追った。

「学園の外に出ては危険じゃないか? シノア嬢」

「えぇ、危険でございますわ」

「君、一体何を……」

 シノア嬢は学園の裏から路地を走り、そして魔物も出る完全に外へと足を走らせた。彼女は迷っている雰囲気はなく、どこか目標に向けて走っているようだった。

 しばらく走ると、大きな岩がいくつも転がっている荒地にたどり着いた。そこに、彼女の靴らしきものが転がっている。

「レオ様、あぁよかった。まだ息があるわ」

 シノア嬢はパッとレオの手を離すと岩と岩の隙間に手を差し入れて何かを引き摺り出した。茶色い毛の塊……小さな犬だった。見る限り、ざっくりと背中に怪我を負っていて苦しそうに鼻を鳴らしている。

「レオ様、お願いです。治癒魔法でこの子を治してくださいな」

「やってみる……が」

 レオはぐっと目を閉じて治癒魔法を使ったときのことを思い出す。強く、目の前の犬を助けたいと願い流れ出る命の光を掌で繋ぎ止める。自身の掌がぐっと暖かくなってどくどくと流れ出ていた血が止まるのがわかる。

 彼が目を開くと小さな犬の傷は完全に塞がっていた。

「レオ様、ありがとう! あぁ、ノアラよかった。よかった」

「その子は?」

「私の飼っている犬ですの。私のお城から逃げ出してしまったの。首輪の魔法石を追跡したらここにいて……」

 犬の首には王家の紋章をモチーフにしたブローチ付きの首輪。魔法石がキラリと光っている。そこで、レオは目の前にいるシノア嬢が「この国の第3王女シノア」であることを思い出した。

「どうして靴を?」

「あぁ、それは……この子を食おうとしていた魔物を……」

 シノア王女がそう言いかけたとき、近くの木の上から風の斬撃が2人を襲った。レオは咄嗟に王女と犬を庇うように横っ飛びする。そして、犬の首輪を外すと彼女に犬を渡してこう叫んだ。

「逃げてください! 今きた道をまっすぐにです!」

「奴の狙いはこの魔法石だ。いいから、早く!」

 魔法石は魔力を秘めている宝石であるが、これを好む魔物というのが一定数存在する。例えば、俺に牙を向けているこの……魔物とか。

 それは、大きなネコ科の顔、胴体は熊のように黒く毛むくじゃらで尻尾は2体の蛇になっている。混合獣キメラと呼ばれる魔物だ。

 レオは子犬を抱えて逃げているシノアが安全な場所まで行ったのを見届けてから魔法石をそっと混合獣の方へ投げた。

 しかし、混合獣は臭い息を撒き散らしながらレオに向かって咆哮し、攻撃の体制をとった。

「やるのかよ」

 剣を抜き、構えた。


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