第4話 異世界貴族の夜
ひんやりとした夜風の中、やっとのことで屋敷にたどり着いたレオは暖かいスープを飲んでいた。
転生者のレオにとって、目の前のスープは「何か足りない」と感じるような出来だった。侯爵家ともなれば国の中でも王族の次くらいには良いものが出されているはずである。
(不味くはないけど物足りない……)
「レオ様、食欲がないのですか?」
メイドのセイディは心配そうにレオを覗き込むと空になったグラスに水を注いだ。レオは彼女が作ったであろうスープに不味いとも言えず必死で言い訳を考える。
「研究所で散々な目に遭ってね。今日は食欲がないんだ。ありがとう」
セイディはまだ14歳。彼女は母親の代からこのキルマージュ家に仕えるメイドでありレオの友人でもある。
キルマージュ家は騎士の家系ということもあって「紳士」であることをモットーに教育がなされている。無論、貴族の中には平民や使用人を人間扱いしないものも存在するがキルマージュ家ではそのような愚行は許されないのだ。
身分ではなく役割を重視することで背後から刺されることを防ぐ、実に合理的な考え方だ。
「レオ様、それではすぐに浴場へ」
「あぁ、明日の朝ではダメかな」
研究所で散々洗われたので入浴の必要がないと思ったレオはセイディの申し出を断った。
「左様ですか……では寝室の準備をして参ります」
寝室、という言葉を聞いた時、レオの記憶が一気に蘇る。ぐんぐんと体に血が巡って、彼は思わず水を一気に飲み干した。
(俺には……夜の相手がいる)
レオの脳内に浮かんだ女性はとても綺麗で若い人だった。ふわふわと巻かれた銀色の長い髪に魅惑的な青い瞳。じっとレオを見つめる視線は少しだけ妖艶でぷっくりとしたピンク色の唇からは小さな舌がちらりと覗く。
何よりも、レオの記憶の中のその人は、常に裸だった。
「セイディ、やはり入浴するよ」
レオは寝室へ向かおうと大階段を登り始めた彼女を呼び止めて立ち上がった。
***
浴場は申し分ないくらい広さと清潔さでレオは心底安心した。転生者である彼にとって「水場が不衛生」というのは耐え難い苦痛であったからだ。
ただ、レオは固形の石鹸で髪を洗った経験がなく少し苦労してしまった。
火と風の魔法を駆使して髪を乾かして、洗面所に置いてあった良い香り花のオイルを塗布したレオは緊張した足取りで寝室へと向かった。
風呂に入っている時から、レオの頭の中はエレナと言う女性のことでいっぱいだった。転生前の自分には縁がないであろう美しい女性はキルマージュ家に仕える「娼婦」である。
寝室のドアの前でレオは立ち止まった。脳裏に浮かぶのは寝台の上、エレナの妖艶な表情ばかりだ。
レオは勇気を振り絞って寝室に入ると、思っていたよりも広くて大きな寝台に驚いた。大男3人が寝転がっても十分に余裕がありそうな大きさ、クッションは5つも乗っかっていて、特注であろう毛布がかかっている。
寝台の周りには本棚や小さなデスクとチェアがあり、ランプには暖かい光が灯っている。
「今日は遅かったのですね。レオ様」
エレナは窓際のソファーから立ち上がるとレオに声をかけた。彼女は真っ白な絹のシミーズ姿で手には分厚い本を持っている。レオが来るまでの間に読んでいたものらしい。
「あぁ、色々とあってね」
「少し疲れた顔……」
エレナはレオに近寄るとそっと暖かい手で彼の頬に触れた。レオは背筋がゾクゾクして体に力が入る。それをみてエレナはクスッと笑った。
「今夜は少し忙しかったんだ」
転生前は女の人とこんなふうに話すことも触れ合うこともなかったからか動きがぎこちなくなってしまい、レオは誤魔化すように微笑む。
「なんだか、疲れてしまって雰囲気が変わったように思いますわ」
エレナは人差し指でそっとレオの胸をなぞると、先ほど身に付けたばかりのレオの服に手をかける。
と同時に、レオはエレナに押されるようにして寝台に座り込み、あまりにも触り心地の良い毛布に体を沈めた。
「そりゃ、研究所でひん剥かれて色々と検査されたからね」
「ふふっ、それはエレナのお役目なのに」
エレナは青い瞳を細めて笑うと、少し荒くなった息を整えるように喉を鳴らす。長い銀色の髪を耳にかけて、それからゆっくりとレオの胸の中に抱かれるように体を重ねると彼女はじっとレオを見上げた。
貴族の家に住み込んでいる娼婦はその実力があればそちに主人の妾となり、一生を安心して暮らすことができる。
特に、力を持っている貴族の家へは下級貴族から売られるようにして娼婦となる女性も多い。
エレナもその1人で彼女は辺境の地にある小さな子爵家の末っ子で、その美しさを買った転生前のレオが彼女をこの家に住まわせたのだ。
エレナの髪を撫でながらレオは過去の記憶をじっくりと巡らせていく。エレナは焦らされて悶々といじらしく体を捩る。
転生者であるレオの頭には一つの疑問が浮かんだ。
一夫一婦制の日本という国で生まれ育った彼は、エレナのような生き方をする女性を「不幸」だと思ったのだ。
(彼女を解放するべきではないか?)
そんな正義感が邪魔をして、レオは彼女服に手をかけることができなかった。
「レオ様?」
「あのさ、エレナ……」
レオは半身を起こして、腕の中にいたエレナを解放する。彼女は少し驚いたような顔でレオから少し離れると潤んだ瞳で彼を見上げた。
エレナの瞳に濁った感情や野心をレオは見ることができなかった。レオの目の前にいる彼女はまるで愛する人を見つめているただ1人の乙女だ。
(身分の差で愛人にしかなれないのに……こんな)
それでもレオの心の中は前世から来る正義感が打ち勝ちそうになり、彼はエレナに触れたい気持ちをぐっと抑える。
「レオ様、何を……悩んでいらっしゃるのですか? いつものように、その……愛してくださらないのですか」
ぐっとレオに近寄って体を密着させたエレナの柔らかさに、レオの正義感はいとも簡単に崩壊した。
(そうだ、俺。もう良い人はやめるって決めたんだった)
レオはぐっとエレナの肩を掴むと、再び寝台に身を沈めた。
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