第五章 終演
エラはとても優しい少女でした。
困っていたら見ず知らずの老婆も無償で助ける。そんな慈愛に満ちた心の持ち主。家族ですら彼女が怒ったところを見たことがありません。
ましてや誰かを憎んだことなんて……、
「死ね」
この時まではありませんでした。
彼女の表情にいつもの笑顔は無く、あるのはただ生まれたばかりの純粋な殺意のみ。
王子に向かって剣を振るう。振るう。振るう。
一撃一撃に彼女の心が現れ、王子の身体に傷をつけていきます。
王子は距離を取ろうとしますが初動をエラに潰され、更に一撃。今度は突きが王子の脇腹を
衝撃で後方に吹き飛んだ王子。笑いは収まったようでエラと同じように静かに眼前の敵を見据えます。
「あなた、王子様じゃないわね」
エラの疑問に答えるように、王子の顔はニヤリと
「よく気づいたな。まぁ、特段隠す気も無かったが」
「どうでもいいけれど、王子様はどうしたの?」
「死んだ。先ほどまで無駄に抗っていたが、今ではこの通り」
「そう……」
切り落とされた腕も、貫かれた腹も、植物が生えるように治っていきます。
「あなた、一体何者なの?」
「我は……そうだな」
王子の皮を被ったソレは、少し考えた後答えます。
「戦いの中で生まれ、殺しの中で成長した、貴様ら人間が生み出したモノだ」
エラがつけた傷は切り傷一つ無くなり、体力も明らかに戻っていました。
「そう、私から聞いておいてあれだけど、別にあなたが何であろうとどうでもいいの」
「ほぅ? てっきり貴様はこの男に興味があると思っていたのだが」
「あなた、武闘会の時も王子様の中にいたわね」
「あぁ、だから驚いたぞ。貴様はあれほど楽しそうにしていたのに今じゃこのざまだ」
「もういいわ、何も喋らなくて」
射程外から一歩で相手の間合いに踏み込むエラ。地面を這うくらい低い姿勢から、喉元に向かってガラスの剣を斬り上げる。
それを素手で止められてしまいます。
しかし、エラは動揺しません。
「──ッ!」
止められた剣を支点にして横回転。王子の指を刎ね飛ばし、そのまま王子の顔面に向かって剣を叩きつけました。
「中々やるな」
それも王子の剣に止められます。攻撃の主導権は王子に移り、地面を割るほどの化け物じみた攻撃がエラを襲います。
それを紙一重のところで躱すエラ。皮膚や髪が切れますが、瞳はまっすぐ王子を捉えたまま放しません。。
「まさかここまでやるとはな。そこに転がっている
「黙れ……!」
エラはまた一段と深く構えを取ります。
「お姉様たちはすごいのよ。私のことを一番に考えて、たとえ感謝なんかされなくても私に生きる術を教えてくれた」
「エラ……」
「武闘会に連れて行かなかったのも、私を戦いから遠ざけようとしていたからだって、本当は全部分かっていたのよ」
歯を食いしばり王子を
「そんな強くて優しい、私の家族を……あなたは……ッ!」
「やはり下らんな。人間というモノは」
「絶対に殺してやる」
言い終わるのと同時に距離を詰めるエラ。
先ほどと同じ、しかし今度はより深く、より速い。
「二度も防がれた手を繰り返すとは、愚かな」
もう一度止めようと再生した指で構えを取る王子。すかさずエラは間合いに入る前に剣で地面を薙ぎ払いました。
「
風圧によって舞った砂埃が王子の視界を遮ります。そのままの勢いで駆けるエラ。王子の足下にまで回り込むと両足の
「ぐっ……!」
「あなたの弱点、一つ教えてあげるわ」
反撃の隙を与えず、脚、腰、背中、肩と続けて四撃。その全てが身体を等分するようなものではなく、肉を削ぐような斬撃でした。
首を狙ったエラの斬撃は弾かれましたが、王子の身体は既に傷だらけです。
「あなたの弱点は、その人間離れした身体能力と回復能力。腕を飛ばそうが腹を貫こうが再生するあなたは、その回復力故に致命傷以外の傷を軽視しているの」
「力が、入らない……!」
エラは初めて、王子の肉体に膝をつかせました。
「そしてその化け物じみた力に見合わず、身体の造りは人間と同じなのね。脚と肩の腱を削いだわ。まぁ、すぐに治るでしょうけど」
「貴様……!」
「立ちなさいよ。戦いはここからなんだから」
もちろん、この程度で終わるわけがありません。鎮まるわけがありません。
家を燃やされ、家族を殺されたエラの憎悪は。
「さぁ、踊りなさい」
「調子に乗るなァ!」
「エラ! よけろぉッ!」
「──ッ!」
姉の叫び。エラは確認するよりも前に後ろに跳びます。
すると、見下ろしていた王子の身体がいきなり爆発。エラの視界は一気に
爆風により吹き飛ばされ、エラの頭は一瞬暗闇に飲み込まれます。
「……っ、私……どれくらい気を……⁉」
炎は家どころか地面や森にまで広がり、見渡す限り焼け野原に変わってしまいました。
エラの意識が飛んでいたのは、ほんの数秒。その数秒の間に辺りの景色は一変していたのです。
その焼け野原に立っているのは、一体の焼死体だけでした。
「嘘でしょ……」
剣を握る焼死体。力なくゆらゆらと左右に揺れています。
エラにはすぐに分かりました。アレが一体誰の身体なのか。
「シン……デレラ……!」
「王子様……」
エラは油断していたのです。王子は一人だった。持っている武器は剣が一本だけ。なのにエラの家は炎上していた。
それにあの異常な身体能力と再生力。考えられるのは一つだけ。
「魔法……あなた、おばあさんと同じ、魔法使いなのね!」
「ガハッ、ガハッ、ガハッ」
喉も焼かれているのでしょう。
「なんで、そこまであなたは……!」
「……思い知ラせテやル」
うわごとのように、王子の身体にいる魔法使いは喋り始めます。
もう彼はエラを見てはいません。
「人間ドモに、我らノ怒り、憎しミ、ソノ全てヲ、奴らガしテキたコとヲ、返シテやル……!」
それは、憎悪に彩られた魔法使いの心そのものでした。
「この身体ハ、俺タチの国ヲ、家族ヲ、ソノ汚い脚で踏み潰しタ……だかラ今度は我ガ踏み潰シテヤルノだ。コイツが今マで我らカラ奪い、築イタコノ国ヲ!」
エラを見ていない彼の剣が、エラに向きます。
「貴様ゴト滅ボシテヤル! シンデレラ!」
黒焦げの手足を振り乱し、エラに襲いかかる魔法使い。
崩れていく身体を気にもとめないその姿は、もはや人間とは呼べない物でした。
「くそ……!」
立ち上がろうとしますが、先ほどの爆発を食らってエラの身体は思うように動きません。ガラスの剣にすら手が届かない状況です。
そして目の前に立ちはだかる焼死体。
「シネェ!」
「あが──ッ!」
倒れたエラは蹴り飛ばされ、ガラスの剣と共に更に吹き飛ばされます。
「早く……立たなくちゃ……!」
「ガハッ、ガハッ、ガハッ、ガ……ハ……」
不気味に笑う王子の肉体が、徐々に崩れていきます。エラに斬られた腕が、指が、腹が、ボロボロと。それを修復。崩壊。その繰り返し。
治りながらも燃えて、焦げて崩れていく。
「アアアアアアアアアッ!」
動くこともままならないはずの身体を、人への憎悪だけで動かす魔法使い。エラの息の根を止めようと近づいてきます。
「た、たたなきゃ……」
エラの意思に反して身体は全く動きません。意識さえ手放しそうになった時です。
「ア……ア?」
魔法使いの歩みが止まりました。
「お……ねぇさまあ……」
「情けねぇ声、出してんじゃねぇぞ! さっさと起きやがれエラ!」
「妹が戦っているのに、姉の私たちが寝てられますか……!」
脚を潰され動けないエラの姉たちが、地面を這い、燃えさかる魔法使いの両脚にしがみついているのです。
少しでも、エラの時間を稼ぐために。
「邪魔ダ!」
姉たちに向かって何度も剣を振り下ろす魔法使い。
斬られ、刺され、貫かれ、血と叫びを吐き出しながらも、姉たちは決して手を離しません。
これも、強い意志によってなせる技なのでしょう。
妹を守る姉の意志が、エラの命を繋いでいます。
エラは立ち上がろうと、歯を食いしばり地面を押す手に力を込めました。
「死ニ損ナイドモガァ! サッサトクタバレェ!」
「やめ……ろ……!」
刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。
「えら……」
姉たちの傷口から噴き出した血が、徐々に勢いを失っていきます。
「てめ……まけ、んな、よ」
やがて姉たちは完全に動かなくなりました。
「ガハッ、ガハッ、ガハッ」
乾いた笑いが、むなしく響きます。
最後の一人にとどめを刺そうと、エラの方に向き直る魔法使い。
「……イナイ?」
エラが視界から消えたのはほんの一瞬、すぐにエラは目の前に現れました。
ガラスの剣と、更なる憎悪を携えて。
「あなただけは許さない!」
「我ハ誰モ許サナイ」
互いの全てを懸けた最後の攻防。
勢いに任せて剣を振るエラ。一撃、二撃、三撃。
「なッ……⁉」
数えて三撃目。既に限界を迎えていたのしょう。ガラスの剣は真っ二つに砕けてしまいました。
キラキラと光るガラスの破片が舞う空間。時間がゆっくりと流れていきます。
「ガハッ、ガハッ⁉」
それでもエラは止まりません。
折れたガラスの剣を魔法使いの腹に突き刺しました。魔法使いの肉体が更に崩れていきます。
決着がついたと思ったその時、痛みとともにエラの視界の半分が赤く変色しました。
エラはすぐに、自分の片目が潰されたことを理解しました。
砕け散ったガラスの破片。その一つを魔法使いがエラの眼球に向かって飛ばしたのです。
「シネ」
「死なねぇよ」
それでもエラは止まりません。
砕け散ったガラスの破片、その中でも剣の原型が残っている物を空中で握りしめ、魔法使いの喉に突き刺します。
まだ血が残っていたのか、魔法使いの口から血が噴き出します。
王子の肉体はもう完全に壊れる寸前、倒れそうになりながらも魔法使いはまだ諦めていません。
焼かれた喉にガラス片が突き刺さり、まともに話せなくとも魔法使いは叫びます。
「アエォ! ジンェアア!」
エラに向けられる掌。爆破攻撃。それが避けられないことを数瞬の間にエラは悟りました。ならばとエラは自らの腕を盾にし、そのまま突っ切ります。
閃光と衝撃。そして意識が飛びそうになるほどの激痛。
爆破され、エラの右腕の先が消し飛びましたが、それでもエラは止まりません。
顔面へ放った左の拳が魔法使いに当たり、魔法使いが大きく体勢を崩します。
これでもう──
「ガアアアアアアアアアアアアッ!」
倒れない。
もはや意識も無いのに、それでも彼が膝をつくことはありませんでした。
彼を突き動かしている力、それは恐らくエラより深い憎悪。この攻防の中、エラはその姿にどこか寂しさを感じていました。
エラは喉に突き刺したガラスを横に切り裂きます。
「ァ……ダ……」
彼はまだ、倒れません。
エラは腹に突き刺したガラスをそのまま頭に向かって切り上げました。
「……ァ」
彼の憎悪は、まだ倒れません。
切り上げたガラスをエラはもう一度構えます。
「……さようなら、私の王子様」
その時、エラには確かに聞こえたのです。
「ありがとう」という言葉が。
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