第四章 再演
武闘会の後、エラはまたいつもと変わらない日常へと戻っていました。
「はぁ……」
しかし、エラの心は上の空です。
家事をこなしている時も、訓練をしている時も、全くと言っていいほど集中できていません。
「おいエラ! 聞いてんのかテメェ!」
「はぁ……」
「……おい、おいエラ! まさか寝てるわけじゃねぇだろうな!」
「はぁ……」
もちろん、姉の声など聞こえているはずがありません。
「この私を無視するとはいい度胸じゃねぇか……!」
「様子がおかしいですね。何かあったんでしょうか?」
「はぁ……」
エラの頭の中では、武闘会での戦いの一瞬一瞬がフラッシュバックしていました。そしてその夢のような瞬間を思い、ため息を吐いているのです。
「二人とも、町へ行くよ! エラは放っておきなさい!」
「はぁ……」
継母と姉たちが出掛けていったことにも気がつかず、お城の方向を見つめるエラ。
「王子様、今何をしているのかしら……」
時を同じくして、お城にて。
「はぁ……」
王子もまたエラを思っていました。しかし吐いているのはため息ではありません。
「はぁ……はぁ……」
「王子、顔色が優れません。今日はもうお休みになった方がよろしいのでは?」
「……いや、問題は無い」
側近の兵士たちが心配する中、王子は剣を振り続けていました。
エラが落とした、ガラスの剣を。
「練習用の人形にすら傷一つ入らんとはな。やはりこの剣を使いこなせるのは、あのシンデレラという少女だけということか……」
王子は剣を納め、部下にそれを持たせると、疲れてしまったのか床に座り込みました。
「王子、用意はできております」
「そうか、では早速出掛けるとしよう」
立ち上がろうとする彼を一人の兵士が止めます。
「お待ちください王子! そんな身体で動かれては──」
「こんな身体だからだ。
「ですが……ッ!」
兵士の身体を一本の剣が貫きました。それはガラスの剣ではなく、王子の剣です。
兵士はわけも分からずその場に倒れます。
「お、王子ぃ……!」
「どけ。我から
彼の前に立ちはだかる者はいませんでした。
「……もう、時間が無い」
王子は悲しげな顔で街へと向かいました。
「シンデレラ、早く私を殺してくれ」
そうして王子はシンデレラを探しに街へと向かいました。
『ガラスの剣の持ち主の少女を探す』という王子からの命により、街中の娘たちが集められているということを、エラはまだ知りません。
……街中が大混乱に陥っているということも。
「とりあえず、家事は一通り終わったわね。だいぶ時間がかかってしまったけれど」
ぼーっとしながらも今日やるべきことは終わらせたエラ。
今、街で何が起こっているのかを知らない彼女。そんな時に継母たちが帰ってきました。
「エラ! 早く来なさいエラ!」
いつもより甲高い声でエラを呼ぶ継母。こんな継母は少なくともエラはあまり知りませんでした。
エラは不思議に思いましたが、それほど急ぎの用事なのだろうと納得しました。
「はい、お母様。何でしょう?」
「エラ、隣町まで買い物に行ってきて頂戴」
あれほど焦っていたのに、用事がおつかい? エラの疑問は再び膨らんでいきます。
「あの、買い物ならすぐそこの街で済ませば……」
「隣町でしか買えないものなの。急ぎ必要だから今すぐ行ってきなさい」
エラの疑問が
「お母様、もう結構なお年なのにすごい気迫だわ。確か昔は有名な戦士だったのよね」
エラが隣町へと出発したのとほぼ同時刻、散々街を歩き回った王子がエラの家を視界に捉えました。
「あの家が最後か……」
しかし、王子の前に一人の淑女が立ち塞がります。
「これはこれは王子様。こんな
王子を迎えたのはエラの継母。
彼女は心の中でこう考えます。
『なぜ?』と。
「どけ、貴様のような老婆に用は無い。若い女を出せ」
「……どうやら街で流れている噂は本当のようですね」
王子は兵士を一人も連れておらず、剣を二本携えているその身体は、誰の者とも知れない血で赤く染まっていました。
「一体あなたはなぜ、街中の娘たちを殺し回るなんて暴挙に出たのですか」
「……どけ、シンデレラを、出せ」
意識が
「なるほど、そういうことですか。まったく……あの娘一人守るのに、化け物と
「何の、話を、している……早く、しろ!」
「お
王子は背負っていた剣の一本を投げてよこしました。
あの日、エラが落としたガラスの剣。
「その、剣は、シンデレラ、にしか、使えない。シンデレラを、出せ……!」
「ここにいるのはしがない老婆とその娘、後は友の忘れ形見だけ……」
「シンデレラを、出せ!」
「それならば、きっとシンデレラは私の二人の娘の内どちらかでしょう!」
その言葉を合図に、王子の背後から二つの影が飛び出しました。
「きっとあなたを殺して差し上げますわ」
王子を倒すべく、そして妹が隣町へと避難する時間を稼ぐべく、立ちはだかる二人の姉。
決死の覚悟で王子に立ち向かう彼女たちに、王子はただ一言。
「つまらない」
そう吐き捨てました。
「私ってば駄目ね。肝心の何を買うのかをお母様に聞き忘れちゃうなんて、お姉様たちにまた怒られるわ」
エラは隣町へと向かう道を引き返し、自分の家へと着きました。
「え?」
燃えさかる自分の家に。
「これは、どういう……」
いくら戦士とはいえ、エラはまだ少女。たとえ少女でなくとも、自分が先ほどまでいた家が燃えていたら、誰でも理解が追いつかないでしょう。
「……ッ! お母様!」
家が燃えていく音を聞きながらも、頭に浮かんだのは最後に家で話した継母のことでした。
急いで家の正面に回ると、そこに広がっていたのは地獄そのものでした。
「お……ねぇ……さま……?」
二人の姉が互いに両脚を潰され、血まみれで地面に
しかし、それよりも先に目に飛び込んできた光景がありました。あまりに
「おかあ、さま……なの……?」
目の辺りから剣で、頭を貫かれている継母の姿でした。
「なに、これ?」
剣が突き刺さっているのは地面ではなく、紛れもない継母の身体。力なく横たわる彼女を貫いています。
「エラ……にげやがれ……」
「はやく……できるだけ、とおくへ……!」
姉たちの必死の声も、エラの耳には届いていません。エラの頭には、継母との思い出が駆け巡っていました。
母親を亡くした自分を引き取ってくれた。
温かい食事と寝床を用意してくれた。
寡黙で決して明るい人ではなかったけれど、それでも私たちを見守ってくれていた。
厳しいながらも、身体を作る上で必要なことを考えてくれた。
力こそが全てであるこの国において、生きるために必要なことを教えてくれた。
確かに、エラを愛していた。
不思議と涙は出ませんでしたが、混乱したエラの身体の力は一気に抜け、その場にへたり込んでしまいました。
息が、上手くできません。
「貴様、何者だ?」
男の声がして顔を上げると、そこには王子が立っていました。
夢のような時を共に過ごした王子。何でここに? エラの頭はますます混乱します。
「この剣を、抜け」
王子が差し出したのは、あの夜落としたガラスの剣でした。
「抜け。抜いて戦え」
そう言った王子にもうかつての面影は無く、人とは思えないほど冷たい目をしていました。
「この剣は、選ばれた人間にしか、使えぬ。貴様で最後だ」
エラは黙ったまま動きません。
「おい、聞こえぬのか」
エラはゆっくりと剣へと手を伸ばします。
「やめろ……エラ……!」
「たたかっては……だめ……!」
分かっている。戦っては駄目なことくらい、エラにも分かっていました。
今の王子は明らかに様子がおかしい。力の申し子と呼ばれた彼でも、その力を無差別にまき散らす人では決してなかったはず。
けれど、もうそんなことはエラにとってはどうでもいいことでした。
『いつかその時が来たら、その力は目覚め、きっとあなたに応える……!』
エラが剣の
剣を差し出した王子の腕が宙を舞っていました。
「……はっ」
エラは何も言わず、
「ははははははははははははははははははははははははは!」
王子は壊れたように笑っていました。
「やっとだ! やっと見つけたぞ! さぁ! 私を殺せ! これで全て終わりだぁ!」
切断された腕から血を噴き出しながら、まるで子供のようにはしゃぐ王子。
そんな王子の様子と、傷つけられた家族が刻み込まれた心の奥底から、エラは何かが噴き出してくるのを感じていました。
怒りとは少し違う、ドス黒い感情。
「見てて、お母様。今からコイツを──」
そう、それは憎悪。
憎しみの炎にその身を焼かれた少女は、やがて真っ白な灰を被る。
「ぶっ殺す」
十二時の鐘は、まだ鳴らない。
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