第三章 共演
エラは今まで普通の女の子でした。
それゆえ対人戦闘の経験なんてものはほとんど無く、優しいエラは誰かと争うこと自体に慣れていません。
「っ……!」
しかし、夢は少女を強くするものです。
「あぁ! まるで夢のよう!」
エラと王子の戦いを見ていた多くの者にとって、その光景は信じられないものでした。
あの力の申し子が、名も知れぬ少女に押されている。
「すっげぇ……一体何者なんだ? あいつは……」
「あの動き、私の計算では王子と互角かと」
「あの娘……まさか」
エラは継母や姉たちの視線も感じなくなるほど、戦いに集中していました。
正体がバレないかどうか、本当に魔法がかかっているのかどうか、そんなことも気にならないほどに深い集中。
そんなエラの脳内を占めている感情はただ一つ。
「さぁ! もっと踊りましょう!」
楽しい。
エラは舞踏会で踊るお姫様のように、軽やかに、美しく、剣と共に舞っていました。
「まったく……!」
その全てが、彼女の
エラがこの戦いを心の底から楽しんでいるのを見て、王子の口角も自然と上がっていきます。
「王子様! 王子様も楽しいでしょう?」
「随分と余裕じゃないか、戦いの最中にペラペラと!」
完全に高揚しているエラとは対照的に、興奮しているとは言え王子の頭は未だ冷静でした。
戦いに慣れている彼の頭には、勝つためには何が必要なのかが分かってしまうのです。
王子にとっては全てが
「あはははは!」
エラは時に床や壁さえも切り裂きながら、王子を追い詰めていきます。そんな手もつけられない少女を、王子は冷静に分析していました。
素性から何まで異質な少女。その中でも最も異質と呼べるのが、その剣でした。
「やはり何をおいても『コイツ』だな」
「え?」
防戦一方に思えた王子が、エラの剣を捕らえました。
魔女から受け取ったガラスの剣が、文字通り王子の手によって止められたのです。
「見たことの無い剣だな。ガラスでできているのか? 切れ味は申し分ないが」
「うそ……」
ガラスの剣だからといって、剣を気遣って素手で止められるような
夢心地だったエラの脳は、徐々に冷静さを取り戻していきました。
「引き
王子は片手で剣を握りしめたまま離そうとしません。エラも両手で剣を握りますがビクともしませんでした。
「貴様、これをどこで手に入れた?」
「ッ!」
その時、エラは確かに感じました。今まで他の誰からも向けられたことのない感覚。
『殺意』を。
エラは思わず剣を手放し、後ろに跳ね飛んでしまいました。しまったと思う暇も無く、今度は王子の猛攻が始まります。
「自ら武器を手放すとは、戦いに関しては貴様は素人のようだな」
武器を失ったことによるリーチの差は誰の目にも明白。しかも王子は自らの剣と、エラのガラスの剣の二本で襲いかかってきます。
もちろんエラもそうなることは分かっていました。分かってはいましたが、エラの本能が距離を取ることを選んでしまったのです。
たとえ剣を失い、少し冷静になったところで、エラが止まることはありませんでしたが。
「やっぱり王子様は素晴らしいわ!」
剣を相手に素手で対処する。もちろん簡単なことではありませんでしたが、エラにはそれをやってのける技量がありました。
軽やかさは
「
「すごいわ王子様! 剣二本まともに使える人なんて見たことない!」
しかしエラは依然劣勢です。興奮でいっぱいだったエラの頭の片隅でも、自分が追い込まれているのは理解していました。
「っつ……」
この辺りから徐々に王子の攻撃はエラに当たり始めていました。
それでも戦えなくなるほどの傷を負わずにいたのは、エラの体術のおかげです。エラは戦いの中で、普段の訓練での姉たちの動きを思い出していました。
「やっぱりお姉様たちの訓練は間違ってなかったんだわ……」
右から来る剣を右手でいなし、左から来る剣を跳んで
その動きの全てが、姉たちとの訓練によって手に入れたものでした。
「お姉様……っ!」
姉たちとの訓練を思い出してしまったのもあるでしょう。戦いの最中、視界の端に映った姉たちへと一瞬意識が向いてしまいました。
その隙を、王子が見逃すはずがありません。
「がッ!」
「取った」
ガラスの剣の
王子はそう思いました。
「斬れない……!」
ガラスの剣はエラに切り傷一つつけること無く、腹部で止まったままでした。
王子の動揺を逃すまいと、エラはすかさず王子の顔面に
そしてついに王子はガラスの剣を手放し、再び二人は剣を持った状態で向かい合います。
「げほっ……げほっ……」
いくら斬れていないからとはいえ、エラは先ほどの一撃でそれなりのダメージを負っていました。
王子はというと、こちらも同様にエラの攻撃によって疲弊しているようでした。
「貴様、一体何者だ……?」
王子の脳内には先ほどの斬れなかった斬撃の感触がこびりついていました。
ガラスの剣は確かにエラの腹部を
とすると残る可能性は一つ。
あの戦闘の達人である王子が、ガラスの剣を使いこなせなかったということになります。
「この私が扱えぬ剣……やはりそれは、私をも殺せる剣なのかもしれんな」
「一体、何のことかしら?」
「こちらの話だ。貴様は何も気にせず、ただ全力でぶつかって来ればいい」
言われるまでもなく、エラは元よりそのつもりでしたし、既に全力でした。
しかし、まだ足りません。
「全力じゃ、足りない。全然足りないわ。やっと掴んだ私の夢だもの。全力のもっともっと先まで行かなきゃ」
「ほぅ、ここからが本番といった顔だな。面白い……貴様のような人間は初めて見た。まだまだ楽しめそうで何よりだ」
「もっともっと、踊りましょう?」
エラは夢だったお城の武闘会の頂点に君臨する、最高の相手を、王子は自分の強さを目の当たりにしても戦意を失わない、対等に戦える相手を、互いに待ち望んでいました。
それがやっと目の前に現れた。
二人にとってこれほど
「貴様、名は何という?」
王子に名前を聞かれ、思わず「エラ」と答えそうになりましたが、それではここにいる姉や継母たちに正体がバレてしまいます。
エラは少し悩んでから、答えました。
「灰被りのエラ《シンデレラ》」
「シンデレラ……その名、覚えておこう」
二人の戦いは更に激化する。誰もがそう思っていました。
十二時を告げる鐘が、場内に響き渡ります。
「鐘……!」
エラは不意に、魔女から言われたことを思い出しました。
十二時の鐘が鳴り終わるまでに家に帰ってくるという魔女との約束。エラは選択を迫られることになりました。
「なんだ、来ないのか?」
「……ごめんなさい」
数秒考えた後、エラは走り出しました。
「ごめんなさい……王子様」
お城の外へと。
「は……?」
呆気に取られる王子。先ほどまで自分に向かってきた戦士が、背を向けて逃げていくのですから。
敵前逃亡をするような相手ではなかった。
やっと出会えた運命の相手だった。
そのはずだったのに。
「待て! シンデレラッ!」
それでも王子がすぐにエラを追いかけられたのは、彼の身に染みついた戦いの経験によるものでしょう。
「くっ……!」
逃げながらの戦いを強いられるエラ。お城を飛び出し入り口の大階段を目指します。
「どこに行く! シンデレラ!」
「ごめんなさい! 私、帰らなきゃいけないの!」
「背を向けて逃げるのか! この戦いから! 見損なったぞシンデレラ!」
王子は怒りで震えていました。エラへの怒りではなく、エラを心の中で認めていた自分への怒りです。
本当はエラも戦いたい。しかしエラにはどうしても帰らなくてはならない事情があったのです。
「本当にごめんなさい」
大階段を降りきったところで、エラは羽織っていたローブを脱ぎ、王子に向けて放りました。
「これは……!」
王子が飛んできたローブを斬る寸前、ローブは元の灰へと変わりました。視界を奪われながらも王子は剣を振り続けます。
「あっ!」
王子の放った一撃が当たり、その拍子にエラは剣を弾き飛ばされてしまいました。
しかし今度は剣を取りに行こうとはせず、一目散に家に向かう道を駆けます。
「逃がすか!」
王子もエラを追いかけます。
通常の身体能力では王子の方が上。このままでは追いつかれてしまう。エラがそう思った時、遠くから何かがこちらに向かってきているのが見えました。
それはどんどん近づいてきて、段々とそれが何なのかが分かってきます。
「あれは……馬車!」
まるでカボチャのような形の馬車を、二匹の美しい白馬が引っ張ってきました。王子は更に驚きますが、エラにはあれが一体何の馬車かは分かっていました。
「おばあさん! おばあさんが迎えに来てくれたんだわ!」
馬車はエラの前で急転回し、それに応じるようにエラも馬車に飛び乗ります。
「シンデレラッ!」
王子はまだ追いかけてきます。
「さようなら……王子様……」
そんなエラの前に青い蝶がひらひらと舞います。
「エラ、大丈夫ですか?」
「おばあさん……? 蝶からおばあさんの声が聞こえる……」
「魔法でこうして話しかけているのですよ。エラ、約束を守ってくれたのですね」
「えぇ……昔、死んだお母様と約束したの。大切な人との約束は絶対に破らないって」
死んだ母親との約束が、エラを動かしたのでした。
「でもとても楽しかったわ。お母様との夢だった武闘会に行けたし、王子様はとっても強かった。全部おばあさんが魔法をかけてくれたからね。ありがとう」
「エラ……」
「でも本当にすごかったのよ! 全身から力がみなぎってくる感じで! おばあさんが魔法をかけてくれなかったら私なんてすぐに負けていたわ!」
「エラ、それは違……」
「あぁ! あんなに楽しい戦いができて、私ってなんて幸せ者──」
「エラ」
話し続けるエラを魔女が止めます。
「エラ、あなたは楽しかったと言いますが、それならばなぜ……」
とても言いにくそうに魔女はエラに問います。
「なぜ……そんなにも悔しそうなのですか?」
「別に……」
エラはもう見えなくなってしまったお城の方へと振り返り、そっとつぶやきます。
「結局、私はあの人に手も足も出なかったのね……」
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