第一章 開演

 むかしむかし、あるところに一人の少女がおりました。

 少女の名はエラ。

 母親に似た灰色の髪をした少女でした。

 エラは街から少し離れた家で、継母ままははと二人の姉から厳しい扱いを受けながら暮らしていました。

「おいエラ! テメェいつまでやってんだぁ!」

「まったく、こんな基本的なこともできないとは……」

 継母の二人の娘、常に冷静で賢い姉にも、粗暴だが力自慢の妹にも、エラではどちらにもかないません。エラは今日も彼女たちに押し付けられた雑務やいつもの訓練をこなしていました。

「はぁ……はぁ……」

「おいおい! もうバテちまったのかぁ!」

 継母の家は広く、家事の全てを行うエラには姉たちの厳しい訓練に着いていけるような体力はありません。

 当然、毎日ボロボロになり、疲れから死人のように眠る生活をしておりました。

 では他の家族たちはエラに雑用を押し付けている間、一体何しているのでしょう。

「エラ! 私たちはお城の武闘会に行ってきますからね!」

「帰ってくるまでに雑務といつものメニューを終わらせておくように」

「見てねぇからってサボるんじゃねぇぞ!」

「……はい、いってらっしゃい」

 エラ以外の家族は皆、お城で開かれる武闘会に参加するために家を空け、いつもこうしてエラを置いていくのです。

 遠くなっていく三人の背中を眺めながら、エラもまた武闘会に思いを馳せていました。

 いつか自分も武闘会に行きたい。

 でも今の自分にそんな実力は無い。

「はぁ……」

 そんな風にぐるぐると回る思考にため息をきながら、エラは今日も家の掃除と訓練をしていました。

 力こそ全て。それがこの国におけるルール。

 それを体現するかのように、お城では毎晩武闘会が開かれていたのでした。

 主催者はこの国の第一王子。

 彼は武力で築き上げられたこの国に相応ふさわしく、力を愛し、力に愛された男でした。

 その実力は大陸一番とうたわれ、老若男女問わず、国民の尊敬を集めていました。それはエラの継母と姉たちも例外ではありません。

 武闘会に参加した人々は王子と戦い、王子に勝つことができれば何でも願いを叶えてくれる。

 夢のような話ですが、その真偽は不確かでした。

 なぜなら未だ誰一人、王子にひざをつかせることは叶っていないのです。

「よし、これでやっと終わったわ……」

 可哀そうなエラ。しかしいくら彼女の家族がいじめ抜こうと、彼女の心が折れることはありません。

 全ては彼女の夢のため。

 いつか、いつの日か武闘会に行く。

「そして──」

 突如、エラの家の戸を叩く音が聞こえました。

「おかしいわ、お母様とお姉様たちはまだ武闘会にいるはずななのに」

「ごめんください」

 声の主はエラの知らない、しゃがれた老婆の声でした。

 エラが扉を開けると、そこにいたのはやはり知らない老婆。エラは尋ねます。

「あらおばあさん、どうかしたのですか?」

「どうか……食べ物を恵んではいただけないでしょうか……もう何日も食べていないんです……」

「まぁ大変! 今にも倒れそうじゃない! それによく見れば怪我もしているし……中に入ってお休みになって! 今用意をしますから!」

 常日頃からその優しすぎる性格は戦士には向いていないと家族から言われているエラですが、これは彼女生来の特性であり、彼女自身にも制御できません。

「助かりました……本当になんとお礼を言っていいのやら、この恩は決して忘れません」

「そんなこと気にしなくていいわ。人間困った時は助け合わなきゃ!」

 老婆は何度も何度もお礼を言い、エラの家を後にしました。エラの身体は疲れていましたが、心は晴れやかでした。

 そして次の日、その次の日、そのまた次の日も、エラにとって何も変わらない日が続きます。

「おいエラぁ! 今日はこの灰を納屋に運べ!」

「お……重い……」

「当たり前でしょう。あなたの貧弱な足腰を鍛える訓練なのですから」

「二人とも、早くしなさい! 武闘会に遅れてしまうわ!」

 いつものように過酷な訓練をこなし、他の家族はエラを残してお城へ行く。

 何も変わらない、いつも通りの日常でした。

「あっ!」

 納屋へと向かう道中、エラは石につまづき、その際に袋に入っていた灰をひっくり返して頭から灰を被ってしまいました。

「あぁ……またやっちゃったわ」

 何も変わらない。いつもと同じ。

「大丈夫よ。いつもと同じ」

 エラは辛くなると、こうして自分に言い聞かせるのです。

「こんなことで落ち込んでちゃ駄目よ。私は絶対、武闘会に行くんだから」


 そして、エラにとって何も変わらない一日が終わりました。


「エラ」

 いつの間にか、エラの背後には昨日訪ねてきた老婆が立っていました。

「おばあさん、ごきげんよう! 気分はいかが?」

「あなたのおかげでだいぶ良くなりましたよ。それよりその格好は……」

「あ!」

 エラは自分の今の姿を思い出し、急いで体についた灰を払い始めました。

「ごめんなさいおばあさん、運んでいた灰を落としてしまっただけなの。気にしないで」

「まぁ……可哀そうなエラ。綺麗きれいな灰色の髪が大変じゃないですか。少しその場でお待ちになって」

 おばあさんはそう言うと、一本の木の棒を取り出しました。

 おばあさんがその木の棒を一振りすると、エラにまとわりついていた灰はたちまちエラから離れていきます。

 灰はそのまま空中を漂って、やがておばあさんの前で動きを止めました。

「まぁ……! おばあさんは魔女だったのね!」

「えぇ、そうですよ。黙っていてごめんなさい」

 魔女。人ならざる技を使う一族の総称。

 その特別な力を恐れた人間による排斥活動によりいまや絶滅寸前まで追い込まれた彼女らが、人であるエラの前にその姿を現したのも、エラを信頼してのことでした。

「エラ、あなたの望みは分かっています。お城の武闘会に行きたいのでしょう? その願いを叶えさせて頂戴ちようだい

 魔女は先日エラから受けた恩を返したいと言ってきました。

 もちろん、エラは心の底からお城の武闘会に行きたい。しかし、エラの心には一つの懸念もありました。

「いいえおばあさん、私はまだ武闘会に行けるほどの実力は無いわ。まだお姉様にも勝てていないし、まして王子様となんて、とても勝負にならないわ」

「あら、そうでしょうか」

 しかし、魔女は知っていました。

 エラの努力を。彼女が何年も修行を続けていたことを。

「エラ、あなたは武闘会に行きたい。そうでしょう? ならなぜ目の前にチャンスが転がっているのに、それをつかもうとしないのですか?」

「それは……」

「きっと今までのあなたにとって、武闘会に行くという夢は辛いことに理由をつけるための都合のいい口実だったんじゃなくて? でもそれは夢とは呼びません。夢とは正面から向き合うものですよ」

 エラは自分を恥じました。魔女の言葉は自分が目をそらしてきたことを突きつけるものだったからです。

 長い長い間、エラは本当の家族を失った後、厳しい修行に身を投じていました。その中でいつしか自分の実力を知り、武闘会が遠く離れていくのを感じていたのです。

「強く思い出すのです。自分の夢を」

 エラはもう一度深く考えます。

 自分の起源を。

「私は、武闘会に行きたい。それがお母様との夢だから」

「お母様?」

「えぇ、今のお母様じゃなくて死んだお母様。あなたのおかげでようやく目が覚めた気がするわ」

「そう……それでいいの。きっと彼女も浮かばれるわ」

「そうと決まれば早速準備しなくちゃ! 何を着ていこうかしら、お姉様たちにばれないようにしなくちゃ、それに武器はどうしよう……あぁ! 早くしないと武闘会が終わってしまうかも!」

 あこがれの武闘会に行ける。喜びでエラの胸は躍りました。

「落ち着いてエラ。私が手伝ってあげます。そのために来たのですから」

 魔女はそう言って、何かを取り出しました。

「これは……片手剣かしら。随分と軽いし、何より向こう側が透けて見えるわ!」

「それはガラスの剣。才能を継いでいるあなたなら上手く使いこなせるはずです。それと正体がばれないよう、これを着ていってください」

 魔女がもう一度杖を振ると、先ほどエラに降りかかった灰が灰色の布へと形を変え、エラの身を隠すローブに早変わり。

 エラは驚きすぎて、もう何もしやべらなくなってしまいました。

「これを身にまとっている内は、誰もあなたの正体が分かりません。たとえ普段一緒に住んでいる人間でもね」

 エラは魔女からもらったものを身に着け、準備は万端です。エラはお礼を言うため、魔女の方へと向き直りました。

「おばあさん、本当にどうもありがとう。これで夢だった武闘会に行けるわ!」

「いいんですよ。それより一つだけ注意点がありますので、よく聞いてください」

「注意点? 何かしら?」

「十二時になるとお城の鐘が鳴ります。その鐘が鳴り終わるまでにここに帰ってくること。でないと魔法が解けてあなたの存在が知れ渡ってしまいます」

「分かったわ。ちゃんと十二時までには必ずここに戻ってくるから!」

 そうしてエラはお城の武闘会へと向かっていきました。まだ見ぬ王子様に思いを馳せながら……

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