23、──窮地── 消えゆく灯火
その飄々とした態度は、誰の目からでも困惑させる。
少なくとも今は味方側に立つエスでさえも、その堂々とした登場ぶりには動揺を隠せない様子だ。
『ちょ、ちょちょちょーい……? そんな真っ正面に出てきちゃって本当に大丈夫なのー……?』
魔王さまは、【魔王】を倒す最後の要だ。
万が一、慢心した彼女が返り討ちに遭ってしまえば、ここまでの苦労は全て水の泡になってしまう。
それを知ってか否か、【魔王】はあくまで落ち着き払った様子で『かつての宿敵』を見下ろしている。
「……『任せろ』? 500年も見ない間に、生温い台詞を吐くようになったものだ。かつてのお前は誰も寄せ付けようとしない一匹狼だったというのに」
「500年も経てば変わるもんでしょ」
「……あぁ、どうやら随分と変わってしまったようだ────こんなにも弱々しく、な」
「──ッ!?」
魔王さまの身体が【歪み】に纏われ、その小さな身体が宙に浮かび上がる。
彼女がわざとやっている様子はない……明らかに、【魔王】によって無理矢理引き寄せられている感じだ。
それも、こんなにもアッサリと……。
『は……ッ!? ミクさんッ、ちょっとマジで何やってんの……ッ!? 何で【境界線】を使わないの……ッ!?』
「……ミク……?」
今は流石に、ふざけている場合ではない……!
公認勇者たちの心配も他所に、魔王さまの身体は宙に固定され、【魔王】の眼前に差し出された。
作戦……のようには見えない。
あの焦ったような表情……まさか、本気で捕まったなんて言うつもりじゃないよな……!?
「腕は【脳術】の要。それを斬り落とせば、【歪み】の影響力は軽減する……その認識に差異は無い。だが、腕を一本落とした程度で、この私を手玉に取れるなど……思い上がりにも程がある」
「く……ッ」
「500年前に、私にただ一人歯向かったあの『怪物』はもう何処にも居ない、ということか……残念だ」
【魔王】が指先をピンと伸ばした『貫手』を、後ろに引く。
対して魔王さまは、未だに【歪み】の拘束から抜けられず、明らかに切羽詰まった様子で顔を青ざめさせている。
マズイ……!!
『嘘でしょ……!?』
「ぐ……ッ!」
【歪み】に唯一対抗出来るリューシンが、必死の形相で立ち上がろうとするが……既に全身を滅茶苦茶にされている故、動くことすらままならない。
その時点で、彼らの『手段』は消え失せた。
最早、【魔王】の行動を見守るしか手立てはない。
「────さらばだ、かつての宿敵よ」
「──ッ!!」
「やめろォォ……ッ!!」
リューシンの制止も空しく、【魔王】の貫手は容赦なく放たれた。
風をも引き裂く勢いで放たれた貫手は、魔王さまへと真っ直ぐに飛来し……。
────その胸元を、深々と貫いた。
辺りに肉片と液体が飛び散り、魔王さまは一度大きく見開いてから……やがて、ダラリと力なく項垂れる。
まるで、命の灯火が消えていくかのように。
最後の希望。
【魔王】を倒せる、唯一の手段。
この世界の人間が出来る最後の抵抗が、虚しく朽ち落ちていく瞬間だった。
ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー
時は少し遡り、公認勇者が【魔王】に攻撃を仕掛ける寸前のこと。
魔王さまは500年前の経験から、目の前の【魔王】に対抗する手段を皆に共有していた。
「真似事とはいえ、ありゃ【魔王】そのものだ。【歪み】に守られた身体には、物理攻撃も、魔術攻撃も、基本的に通用しねぇって考えておいた方がいい」
【能術】とは、世界に直接作用する力。
『世界』や『理』を粘土細工とするならば、それを高い領域から俯瞰的に術者の思うがままに作り替え、動かすことが出来るのが【能術】。
即ち、前提として『力』の次元が異なる。
どれだけ優れた術であろうと、どれだけ膨大な勢力であろうと、決して越えられない【壁】が存在するのだ。
その【壁】という名の【歪み】を、【魔王】は戦いの場において常に全身に纏った状態であり……人間の扱える『術』でそれを無理矢理打ち破るのは極めて難しい。
あくまで一般的な『術』しか扱えない彼らからすれば、これ以上に絶望的な事実はないだろう。
結局のところ、自分達ではどう足掻いても【魔王】には敵わないと断定されているようなものだ。
『【歪み】って、外的要因を徹底的に防ぐことも出来るんだー……えっ、それ無敵じゃん……』
「じゃあどうすればいいの、オヤビン……?」
500年前もそうだったが、【魔王】という存在がチートそのものなのだ。普通の人間が送る、普通の人生では決して届き得ないのが、あの【魔王】なのだ。
反則行為をしている輩相手には、正攻法では勝ちようがない。
もし、そこに理を外れた『同じチート』が存在しない限りは。
「幸いにも、今この場には【歪み】と同じ【力】があるだろ?」
「【境界線】のことか……」
仮に【歪み】の合間を縫って怪我を負わせたとしても、【魔王】は倒せないだろう。
それは、あくまで布石に過ぎない。
だが、それを積み上げて積み上げていけば……いずれは【壁】へと到達することもあるかも知れない。
「誰でもいい、どんな手を使ってもいい。【こいつ】を、アイツの顔面にブチ込んでやりゃぁ────俺らの勝ちだ」
そう、到達点は見えているのだ。
あとは、バラバラな彼らでどうやってそこまで登り詰めていくか……それが敵うか否かで、世界の命運は決定付けられる。
ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー
「……む?」
違和感に気付いた。
貫手で貫いた魔王さまの身体が────妙にベタつく上に、軽い。
まるで外見だけそっくりのスライムに触れているかのような……。
「────ヒィィィッ!! 死ぬぅッ!! 死んじゃうぅぅぅぅッ!!」
突然、そのベタついた物体が飛び跳ねて、まるで虫のように右往左往しながら逃げ去ってしまった。
そこでようやく気付いた……影武者を掴まされた、と。
「あれは、ニロか……!?」
『はぁっ!? うそっ、モニター越しでも全然気付かなかったんだけど……マジで瓜二つじゃん……っ!? あれ、どうなってんのっ!? 何の『力』を使ってんのーっ!?』
どうやら、公認勇者の面々も知らなかったすり替えだったようだ。
この土壇場で、こんな意味不明な変わり種を用意してまで、茶番を捻り込んでくるとは……流石に癪に障る。
「小癪な真似を……ッ」
腕にこびりついたベタつく液体を振り払う。
思いっきり腕を振ったり、服に擦り付けたりするが────落ちない。
どうやっても、落とし切れない。
それどころか液体の付いた箇所が、まるでアメ細工のように固まり始めて……。
────う、動かせない。
【歪み】でさえも落とし切れず、むしろどんどん動かせなくなっていく腕を見下ろしながら、猛烈に嫌な予感が脳裏をよぎっていく。
その時。
「────小癪? そりゃ誤解だぜ?」
「──ッ!」
背後から、声を投げ掛けられる。
それが何者なのかなんて、わざわざ見るまでもない……今この状況で、最も聞きたくない人物の声だった。
「お前は、お前の言うゴミ共の抵抗にすら翻弄させられたんだ。分かるか? お前は、場を支配しているんじゃねぇ。ゴミ共の尽力で、少しずつ、着実に、追い込まれつつある……その事実に、気付くことすら出来なかった」
「何が、言いたい……?」
周囲に発する【歪み】程度では、牽制すら成っていない。
むしろ、意にも介していないという様子で、不敵な笑みを浮かべているのが分かる。
まるで、獲物の背後から鎌を振りかぶる死神のように。
『彼女』は、己の存在感を知らしめるように────ジャリッと、一度地面を踏み締めた。
「覚悟は出来てるか? 出来てんなら、こっちを向け────決着つけんぞ」
先延ばしにする理由もない。
彼女の呼び掛けに誘われるように、ゆっくりと振り返る。
そこには、魔王さまが仁王立ちで立っていた。
想像通り、ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら……ただ、一つだけ────想像を絶するモノが、そこにあった。
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