20、俺らの戦う理由




 オールダム大商団の商売地点を発って半日。

 リトル・リーチェのマスターとリチは、大きく膨れた麻袋を担いで、深い森林地帯を歩いていた。

 普通の人間ならば、平原に敷かれた街道を馬車に乗って移動するものだが、彼らの場合は森林を歩いた方が『効率的』だったりする。


「……マスター、疲れた……? 荷物、リチ、持つ……?」

「無尽蔵か、お前は……」


 汗を垂らして呼吸を乱し始めたマスターに対して、リチは自身と同じくらいの大きさはある荷物を担ぎながらも、表情一つ崩さずにピンピンとしている。

 手伝いを提案されたマスターだったが、それを断って休憩を進言。

 大木の露出した図太い根に向かい合わせで腰掛けて一息を付く。


「外に出た気分はどうだった?」

「……人、多い……苦手……」

「……そうか。すまないな、どうやら配慮が足らなかったらしい」

「でも……楽しい……マスター、お出掛け……嬉しい……魔王、ニロ、会えた…………ありがとう」


 リチの表情は動かない。

 しかし、その言葉から滲み出る微かな感情は、マスターでも感じ取ることが出来た。


「……また、一緒に買い出し行くか?」

「行く……!」


 義理はないし、約束なんて交わしてないし、そんな信念がある訳でもない。

 だが、彼女がその小さな足でまた一歩踏み出したという事実は、マスターにとって日常を超越した『何か』だったのかも知れない。

 それを噛み締めるように、マスターは麻袋を掴んで立ち上がろうとした。


「さてと、そろそろ出発す────」


 バタンッ────と、突然リチがその場に倒れる。

 転んだ訳でもない……まるで、重力に吸い寄せられたかのような倒れ方だった。


「ァッ……ぁぁアアアア……ッ!?」

「リチ……ぐぉ……ッ!?」


 涙を流して苦痛な叫び声を上げるリチに慌てて駆け寄ろうとするマスターだったが、彼も不自然にバランスを崩して転倒。

 立ち上がろうとするが……。


 腕が、膝が、脚が────彼のイメージする場所に動かない。


 当然だろう。

 マスターとリチの身体が、まるで粘土細工のように異様なまでに【捻れ】ていたからだ。


「なん、だ……なにが、起きているんだ……!?」


 そして、【それ】は彼らだけではない。

 彼らを覆い尽くす大森林も……最早、別世界に変貌し始めていた。








 ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー








「アレト。そんな危ないものいつまでも振り回していないで、買い物行ってきてくれない?」

「あ、うん……」


 そこは、のどかな時間が戻ってきたナップス村。

 母親に催促された勇者に憧れる少年アレトは、手にした木刀を置いて、少しばかり不服そうな面持ちで買い物へと繰り出した。

 道行く村人たちは、とっくに元の生活に戻っている……ほんの数日前まで、村をあげて詐欺師を奉っていたとは思えないほどだ。

 平和であるに越したことはないのかも知れないが……。


「大人って、切り替えが早いなぁ……」

 

 アレトにとっては、どうしても違和感の方が勝ってしまったようだ。

 村一つ巻き込んだほどの出来事を忘れることなんて出来ないし、無かったことになんて出来る訳がない。だけど、まるでそうする方が正しいみたいな風潮を、彼は容易に受け入れることはなかった。

 特に、この村を救った『魔王さま』の激闘と生き様を目の当たりにした彼にとっては。


「ま、いっか。早く買い物済ませて────うわっ!?」


 どうこう言っても仕方がない。

 そう感じて再び歩こうとした時、突如アレトはバランスを崩して転ぶ。

 何かに躓いた訳ではない。

 足元は小石一つ落ちていない平坦な道だ。


「???」

「お、おい、大丈夫かい? 急に転んでどうして────」


 アレトが転ぶの目撃した村人が焦った様子で駆け寄ってくる。

 しかし、その村人はアレトの元に辿り着くより前に転倒。

 ただ転んだようには見えなかった。

 まるで台風に巻き込まれたように、全身を捻らせるように地面に叩き付けられたのだ。


「ぅぎぁッ!?」

「から、だ、がッ……ァッ、ぁぁ……ッ!?」


 転倒した男性も、畑仕事をする女性も、ベンチで休憩していたおじさんも、呻き声を上げながら倒れると、その全身が異様な形に【捻れ】始めた。

 しかも、それは人間だけではない。

 村に点々とする木々も、レンガ造りの家々も、草花も、地面さえも【捻れ】ていった。

 そして、【捻れ】の負荷に耐え切れずに、次第に破壊されていくのだ。

 これは、明らかに異常だ。

 何が起きているのかまったく分からないが、何か大変な事態が起こっている。


「ぁ……ぅ……た、大変だ……ッ! は、早く、『あの人』に伝えないと……っ!」


 アレトの判断は早かった。

 次々と歪んでいく景色に恐怖を覚えながらも、ある一つの目的地へと迷わずに駆け出すのだった。









 ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー









 幼い頃は、お絵描きが好きだった。

 友達と積極的に遊ぶことよりも、空想上の動物や風景を描いては、一人で勝手に盛り上がっていたらしい。

 想像力が旺盛で、人付き合いがちょっと苦手な、自己中心的な子だったのだろう。

 その子は、とある一族の『実験体』として扱われていた。

 【世界の真実を見破る】為の実験。

 そんな掴み所のない実験を果たす為の過程の一環として……。


 ────その子は、殺された。


 世界を知る為には、人間は人間の枠を越えなければならない。人間の器を抜けて、未知なる世界へと飛び立たなくてはならない。

 『死』とは、そのキッカケであり、避けることが出来ない要素の一つだった。

 だが、折角の実験体を無駄にするのは忍びない。

 故に、一族はその子に『転生術』という名の改造を施した。

 それによって、その子は殺されても直ぐに蘇り……身体を弄くり回されては殺され……そして蘇り、また殺される……そんな道具みたいな扱いを受け続けていた。


 ────だが。


 その子は、信じていた。

 これだけの扱いを受けて、地獄みたいな痛みを味わい続けて、それでもここまで耐え続けてきた……ならば、『何か』が手に入る筈だ、と。

 『世界の真実』? 

 それに匹敵する『力』?

 実験に貢献した『栄誉』?

 いいや、この際何だっていい。

 頭を撫でて貰いながら、「頑張ったね」「ありがとう」と言ってくれるだけでもいい。

 ここまで頑張っただけの、『見返り』が欲しかった。

 それだけだった。

 そして、1000回目の実験を終えた後に、一族の『長』が直々に寄ってきて……こう切り出した。


「────結局、何の役に立たない屑だったな」


 ……。

 …………。

 ………………ナンテ?

 耳を疑った。

 もしかしたら夢なんじゃないかって、そんな願望すら芽生えた。

 その時、一族の『長』が語り掛けて……いいや、吐き捨てていった言葉を、その子は今でも一言一句覚えている。 


「名前が無い? あぁ、母親から取り上げてそのままだったからか。丁度いい、お前に相応しい名前を授けてやる」


 ……。


「『成功からは程遠い空虚な器』……『未遂の空器』……『未空』……ふむ、我ながら完璧なネーミングだ。 どうだ? 役立たずなお前には、ぴったりの名前だろう?」


 ……。


「────後は勝手に『使え』。捨てても構わない、どうせこんな空っぽのゴミには何も出来ない」


 ……。

 …………。

 ………………あぁ、ようやく分かった。

 自分が、何故この世界に産まれたのか……何故こんな地獄みたいな思いをしなければならないのか……その理由が。

 それからも、その子は様々な用途で『使われ』続けた。

 だが、その子だけは違った。

 『使われ』ながらも、実験材料にされながらも、ストレス発散として虐められながらも……感情だけは捨てなかった。

 地獄の真っ只中で縛り付けられながら、少しずつ、少しずつ【力】を蓄えていき、そして……機が満ちた時、初めて感情を呼び覚ますのだった。



 『魔王の一族』は────俺が皆殺しにしてやる。









 ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー









「ぅッ、ゥゥ……ッ!」

「だ、れか……助、けッ…………ぐァッ!?」


 瞬く間に世界全体に広がった【歪み】の影響は、【魔王】の直ぐ傍に居た団員たち全員を巻き込んだ。

 彼らは全身が滅茶苦茶に捻れてしまい、立ち上がることすらままならない。

 その光景を見下すように眺めながら、【魔王】は吐き捨てるように呟いた。


「……また随分と、脆弱で、矮小で、思考する脳すら無い屑共が増えたモノだ。お前たちは大した能力すら無いくせして、腰を振って繁殖行動を取ることだけは一丁前らしい。まるで、虫以下だ」


 【魔王】を中心に、周辺のテント、木々、大地に及ぶまで、全てが捻れ、空間そのものが歪んでいるようにすら見える。

 それは〖魔術〗や〈技術〉など、世界の枠組みに内含する【力】ではない。

 即ち、現時点でこの世界に属している限り、【魔王】の【歪み】に対抗する手段は無いと言えるだろう。

 ヤられたら、後はヤられっぱなし。

 再起不能に陥った者たちをどうするのかは、全て【魔王】の采配で決まる……500年前と同じ様に。


「命が惜しければ頭を垂れろ。この【魔王】の為に馬車馬の如く働くと言うならば……情状酌量の余地を与えてやってもいい」


 【力】を得て【遺物】が調子に乗っているのか……。

 【魔王】の思念が乗り移っているのか……。

 どういう状況なのかは不明だが、少なくとも今そこに立っているのは……まさしく、500年前の【魔王】そのものだった。

 人々が無理矢理ひれ伏せられている先に、【魔王】がただ一人……それもまた、500年前の再現をしているかのようだ。

 悪夢の再来。

 地獄の開演。

 【魔王】が再び現れたことで、この世界の行く末は決定付けられたも同然だった。

 だが。


「────いっぺん死んでも、お前は変わらねぇな」


 500年前とは異なる点が一つだけ。

 この世界には、既に────もう一人の【魔王さま】が居る。

 【歪み】に一瞬で支配され尽くされた世界の中で、魔王さまはそれを【境界線】で相殺して、ただ一人だけ立っている。

 彼は、降臨した【魔王】を遠目で眺めながら、記憶を噛み締めるように呟く。

 最終決戦を前にして、思い出を回想するように、『あの時』と同じ様に……。


「……お前らぁ────」



 ────ここは俺に任せて、さっさと逃げろ。



 なーんて、あの時も言っていた気がするな。


「──!」


 そして、最期は魔王と相討ちという形で互いに命を落とした。

 あの時と、また同じ轍を踏むつもりかい?

 一人だけで、何もかも背負おうとするのは勝手だが……たまには、足を止めて周りを見渡してみてもいいんじゃないか、と思うものだ。


「…………『周り』……?」

「──オヤビン、よく平然と立っていられるよねぇ……?」


 途端に、背後から服の裾を引っ張られた魔王さまが振り返ると……そこには、大きく呼吸を繰り返すニロの姿があった。

 苦しいのを押し殺して、かなり無理して笑みを浮かべているのはバレバレだが……それでも、魔王さまにとっては不思議な安心感を覚えさせたに違いない。


「ふーっ……超不愉快ですねぇ、この感じぃ……」


 その後方では、片足、片腕が捻られながらも無理矢理立ち上がり、険しい目付きで【魔王】を睨み付けるチグサ。

 どうやら彼女は、身体が使えなくなることよりも、何か重大な想いを抱いて立っているようだ。

 そして、もう一人。

 他よりも【歪み】の影響が圧倒的に少ない様子の男が、魔王さまの隣に立つ。

 それは、公認勇者のリューシンだ。


「『転生』という線もある、とエスからは言われていたが……あれが、私である事実に相違は無さそうだな」

「お前……」

「だが、私は言った。これからのことは行動で示す、と。あれが、例え私だったとしても……その言動は、今の私とは相反する。だから……」


 【魔王】と瓜二つのリューシン。

 己の事情を知りつつも、敢えて【魔王】と相反する立ち位置に立ち塞がることを決めた彼の姿は、まさしく『勇者』そのものだった。


「教えてくれ、ミク────どうやれば、あれを倒すことが出来る?」


 自分よりも、弱く、無知で、未熟……500年前の彼ならば、徹底的に切り捨てていった人材だ。

 必要ないからと、足手まといだからと────一方的に戦線から遠ざけようとしていた筈だ。

 ツラいのは自分だけで充分だから、と。

 巻き込みたくないから、と。

 だけど。

 今の君は、違う筈だ。

 優しさに怯えるだけの弱い君ではない筈だ。


 今や君は────誰よりも強くなった。


 弱さに迷うこともない、優しさに怯えることもない……弱さも、迷いも、優しさも、怯えも、それらを全てを抱擁し、自分の力に変えられるだけの『強さ』を、君は既に持っている。

 だから。


「今から、全世界に拡散された【歪み】を────俺が、一旦『全部』相殺する」

「全世界っ!?」

「……そんなことまで、出来るのか……?」


 見せてくれ。

 過去のトラウマを乗り越え、500年前の因果に立ち向かい……その先に待ち受ける運命を打ち破ってみせる様を、今一度私に見せつけてくれ。


「チャンスは一度きりだ、負けたら全員滅ぼされる。死にたくねぇ奴は祈れ。怖ぇ奴はとっとと逃げろ。ここから先は……」


 精神統一。

 魔王さまは静かに瞳を閉じると、「ふーっ……」と長い息吹を吐く

 そして。


「────命を捨てる覚悟が出来た奴だけ、俺に付いてこい」


 開眼。

 次の瞬間、その小さな身体を中心に【境界線】が爆発するように超拡散を起こす。

 世界に広がった【歪み】と、爆発した【境界線】が目にも止まらない勢いで、断続的に衝突し続け────【それ】の勢力が完全停止した。


 ────これが、最初で最後だ。


 【魔王】が全てを破壊するか、『現代人』が生き残るか……間もなく、決戦の火蓋が切られようとしていた。

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