19、【木偶人形】
「────ぃひッ、いひひひッ、ィひひひひひひひッ……! オシイナァ……チャント、騙セテタンダケドナァ……?」
「ハル……?」
「ハ、ルゥ……? ハル、ハルッ、ハルゥゥッ! ワタシダヨォッ? ワタシガ、ハル、ダヨォッ? ィヒッ、ィヒヒヒヒヒッ!」
「……こりゃ随分とまぁ、テンションが高ぇ【遺物】だ」
リトル・リーチェの【火百足】、ナップス村の【マシュロオオム】……それらとは全く異なる【魔王の遺物】だ。
よく喋り、よく嗤い、そして何よりも────人に対する悪意が、露骨に強い。
「ハァァ~……イイネェ、ソノ顔ォッ……困惑シテェ、動揺シテェ、絶望シチャッタヨウナ顔ォッ! ネェ? 悔シイ? 悲シイ? ネェネェ?今、ドンナ気持チィ? ネェネェネェ? ネェネェネェネェネェネェネェネェネェネェネェネェネェ?」
時折ノイズが入り混じる、耳を突き刺すつんざく声……いいや、『音』というべきか。
とにかく、聞いているだけで胸がムカムカするような強烈な不快感を覚える。
それは、その悪意を一心に向けられている団長が、誰よりも実感していることだろう。既に、彼の顔面は真っ白に染まってしまっている。
「『コノ顔』モネェ、最高ダッタンダヨォ? 全身傷ダラケデサァ、両手両足拘束サレテサァ、『こんなことッ、許さない……ッ!』ナァンテ強ガッチャッテサァ?」
「なんだと……?」
『まさか、ハルは生きていたの……!? 病棟に運び込まれるまで……!?』
これは何とも……おぞましい事実が浮き彫りになってきた。
確か、エスは病棟の内部までは観測出来ないと言っていたが……その理由もハッキリした。
当時、その瞬間。
────そこには、【コイツ】が居たからだ。
彼女ですら観測することが出来ないという、【魔王の遺物】が。
「イイ顔スルモンダカラサァ……ツイツイ、遊ンジャッタヨネェ。皮ヲ剥イデェ、コノ腹ヲカッ捌イテェ、『中身』ヲ揉ミシダイテェ……ダケドォ、ズゥゥ~ット我慢シテンノッ!」
そう語りながら、【遺物】は自身の腹の辺りを両手で掻き、掻き、掻き、掻き……。
皮を破り、肉を裂き、グシャグシャと鮮血を噴き出す程に掻き毟りながらも、快楽に耽るように嗤い続ける。
「血反吐ヲ吐イテサァ、嗚咽漏ラシテサァ、涙流シナガラサァ、ズット歯ァ食イ縛ッテ耐エテンノォッ!! ィヒッ! イヒヒヒッ! モウ最ッッ高ニ楽シカッタンダヨネェ~ッ!」
『コ、イツ……ッ』
「……流石に……醜悪が過ぎるな……」
一切悪びれる様子もなく、残虐な行為を愉しそうに語る様に、リューシンやエスの公認勇者の面々も流石にドン引きだ。
だが、きっと当事者であるハルにとっては……地獄そのものだったに違いない。
既に瀕死の状態にも関わらず、こんな奴に囚われ、こんな奴に身体を弄くり回され続けていたのだから。
「ダケド────結局、死ンジャッタ」
「──ッ!」
「ハル、最期ニ言ッテタヨ? 『あなた……ごめん、なさい……』ギャヒッ!! イヒャヒヒヒヒヒヒヒッッ!! ネェ、似テタ? 今ノ似テタァ? ィヒッ! ネェネェネェネェ?」
「──おッ、ま……え……ッ!! お前がッ、彼女を……ッッ!!」
あまりにも非道な物言いに、団長は顔面に血管が浮き上がる位に怒りを露にする。
その図太い拳を握り締め、【遺物】へと殴り掛かろうとしたが……。
「────あなた、どうしたの?」
「──!?」
途端に、【遺物】はしおらしくなり、潤んだ瞳で団長を見つめる。すると、彼は【遺物】の目の前でピタッと動きを止めた。
不本意だったのは、彼の歪み切った顔を見れば一目瞭然だ。
【遺物】は団長の頬に優しく手を添えると、明らかに勝ち誇った様子でニヤけて見せた。
「どうしたの? さぁ、殴ってぇ? 大好きなお嫁さんの可愛いお顔、好きなだけ殴ったらぁ? どーせ殴れないダロウケドサァ!? ぃひッ! いひひひヒヒヒヒヒヒヒヒ────ッ」
その時だった。
何処からともなく、空気をも切り裂く疾風の如く勢いで飛んできた『一本の矢』が……。
────【ハル】の首を貫いた。
その鋭い速度に圧され、【ハル】は地面に思いっきり叩き付けられる。
何事かと矢の軌道を追ってみると、そこには弦を弾いた状態で立ち尽くすチグサの姿があった。これまでの彼女とは比べ物にならない程の暗く重い表情を浮かべている。
「ちょっ、ちょっとチグサ!? い、いきなりなにやってんの……!?」
「…………ふぅ、やれやれ……あぁ、すみませんねぇ。ちょっと手が滑りましてぇ」
「……」
あの距離から正確に首を狙えるとは、なかなかの射撃能力だが……まぁ、手間は省けていたか。
彼女がヤらなかったら、多分俺が代わりにヤっていた。
少なくとも、普通の人間なら確実に命がぶっ飛ぶ一撃。
例え偽物だと分かっていても、目の前で妻がそんな目に遭わせられれば、当の団長は気が気ではなかった様子だ。
「ハ、ハル……ッ!!」
「いい加減に理解しろ。お前ら大商団もろとも、まんまと術中にハマっているぜ? 思い込みが激しくなればなるほど、記憶が強ければ強いほど、より本物に近い存在に成り変わっていく……【これ】はそういう代物だ」
【忌名】までは不明だが、恐らくはニロの『変身』に似た力。
少なくとも『意図的に人間へ危害を及ぼす』ことを主目的にしているのは間違いない。
問題は、【こいつ】の【変身】がどれほどの影響を及ぼすのか、ということだが……。
「────オマエ」
「──!」
背後から、囁き声。
俺の背中に寄り掛かるように密着している【何か】が居ることに気付いた。
反射的にそれを振りほどこうとすると、それは霧のように姿を消し、少し距離を開いた場所に顕れる。
あれは……焼き焦げたような、『木の枝』?
それらが無数に、まるで人体骨格模型のように人型に組み合わさっている。顔面は存在しない首無しだが、その手には……ハルの顔面が無惨にも握られていた。
見た目はまるで、出来損ないの『木偶人形』。
マトモに直立も出来ないのか、パキャパキャッと音を鳴らし、フラつきながら関節部を絶えず動かし続けている。
「知ッテイルヨ? アノ【魔王】ト、ヤリ合ッテタ奴……ソシテ、死ンダ」
「あぁ?」
「オマエハ、ズット恨ンデル……ズット怒ッテル……魔王ニ、世界ニ、コノ世ノ全テノモノニ……ソノ感情ハ、世界ノ誰ヨリ、群ヲ抜イテイル」
「……恨み、ねぇ……?」
「ソノ『記憶』、ソノ『感情』、イイネェ────欲シイナァァ~」
「──っ!?」
【木偶人形】の掴むハルの顔面がニヤッと嗤うと────突如、頭の中でザザッとノイズが走った。
脳内で、何かがフラッシュバックする。
────『ヤツ』の顔が、脳裏を過った。
────その言葉の数々が、次々と甦ってくる。
どれも、忌々しい記憶だ……叶うならば、永遠に思い出したくないのに……何故、この状況で……?
鈍い立ち眩みが起こってその場で片膝を付いてしまうと、ニロが慌てて駆け寄ってきた。
「オヤビン……!? だ、大丈夫……!?」
「……この感じ……」
「オ、オヤビン……?」
「ニロ、離れろ────こりゃぁ、ヤベェぞ」
マズイ予感がする……。
そう確信した時には、既に事が起こっていた。
【木偶人形】が全身の関節をやたらめったらに動かしながら、極細な身体を鼓動のように絶えず振動させている。
「ァッ、ァァァァ────ッ」
木の枝のように痩せ細った骨部から、肉が這い出て、皮が覆い尽くす。
受肉したそれが人間の身体を形作っていくと────やがて、一人の男がそこに降臨した。
上から下まで、全身裸体。
全長二メートルを越す長身に引き締まった身体。
地面に擦れるまで伸びた、艶やかな黒い髪。
まるで神々が降臨したかのような、一種の神秘性すら感じる風貌だったが……。
「あれ、は……」
「な、なに……この悪寒……」
その姿を見ただけで、人々は恐怖した。
まるで遥か昔から受け継いできた生物の遺伝子が、身体の中で警鐘を打ち鳴らしているかのように。
例え、大昔の出来事であっても……その歴史を人々が忘れ去ったとしても……本能が、身体が、細胞が、『そいつ』のことを覚えている。
『そいつ』に虐げられ、支配されていた事実を、朧気ながらも覚えている。
「────妙な感覚だ。『あの時』、【私】は確かに死んだ筈だが……」
感触を確かめるように自身の手を閉じ開きして、ゆっくりと腰を上げると、周囲の野次馬を見渡す。
その凍り付くような冷たい視線に晒された者たちは完全に怯え切ってしまい、顔を青ざめさせて硬直してしまう。
「……あの周りを虫やカスとしか見てねぇような雰囲気……500年ぶりじゃねぇか」
『……体格は、明らかに違うけど……あれ────リューシンと、瓜二つだよね……』
「……」
「それじゃあ、あれが────500年前の【魔王】……!?」
まさか、もう一度【アイツ】と相対することになるとは……夢にも思わなかった。
いいや、出来ることならば夢であって欲しい……思わず現実逃避の陰がチラつき始める位だ。
やってしまった……。
油断をしていた訳ではない……だが、まさか……こんな【怪物】をも再現してしまう【遺物】が存在するなんて……。
「こうなれば『仕方がない』。早々に────この世界を滅ぼしてしまおう」
「──ッ!?」
【魔王】がそう呟いた、次の瞬間……。
────世界は、【歪み】始めた。
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