9、消された歴史、消えた英雄
医務室に思考と気まずさが入り交じった、何とも言い難い空気が漂う。
その最中、ニロが「うーん」と唸りながら呟いた。
「なんで、誰も知らないんだろう……?」
「なにがだ?」
「だって、『伝説の勇者』だよ? 世界を支配していた暴君から、人々を救った大英雄だよ? いくら500年も経ったとはいっても、せめてオヤビンのことは語り継がれてもおかしくないなのに……そんな話、少なくともボクは今まで一度たりとも聞いたことが無いのって、何か変じゃない?」
500年前は現代人からすれば、大昔も同然だ。
少なくとも、当時の人間は一人も生きていないだろう。
別に、勇者として語り継がれていたかったなんて願望は微塵にもない。
だが。
『500年前』、『魔王』、『勇者』……それらのキーワードに対して現代人は反応が希薄なのではないか、という捉え方も出来るが……。
『そもそもの話だがー。この世界に存在する歴史書に────『500年前の出来事』に関する記述なんてどこにも載ってないんだよねー』
それは、エスが宙をユラユラと漂いながらサラッと暴露した不可解な事実だった。
「そ、そうなのっ!?」
『だから『勇者と魔王の伝説』というのは、現代では御伽噺……もしくは噂話みたいな扱いになっている。本気で信じている一般人は、多分殆ど居ないと思うなー』
「なんで、そんなことになっているの……? だって、実際ここに当の本人が居るのに……!」
『────情報統制だよ』
「……え?」
動揺し切ったニロに対して、エスの言葉はあくまで冷静沈着だ。
だが、まるで世界の『禁忌』に足を踏み出しているような、奇怪な緊張感は語り部の彼女自身も感じているようだ。
『『公認勇者』に属しちゃいるけど、当初は私ちゃんも『勇者と魔王の伝説』なんて半信半疑だった。だけど……なんか、そちらの勇者さんは『本物』っぽいしねー』
「……」
『となると、ここまで歴史が残されていないのは逆に不自然。むしろ……何らかの意図で抹消された、という風に考えることも出来る……かもー?』
「なんの、為に……?」
『それは知らない。だけど、私ちゃんには心当たりがあるんだよねー。500年前の出来事、即ち『勇者』に関する記述もしくは功績を隠したい……そう目論んでいてもおかしくはない『奴ら』のことを』
「……まさか」
『────『セントラル・ナバラント』。現代において、実質的にサクディミオンを支配している中枢組織……あいつらの『公認勇者』に対する敵対視は露骨でねー。これまで、一体何度の妨害工作を受けてきたことかー』
以前のリトル・リーチェやナップス村でも出てきたが……また、『セントラル・ナバラント』か。
世界の管理者、国際機関、なんて言えば響きは良いかも知れないが……どうにもキナ臭い気配がしてきた。
当然ながら物的証拠もないのだから、エスの単なる妄想に過ぎない可能性もある訳だが。
「そうだっ! いっそのことさ、オヤビンが自分こそが『伝説の勇者』だって世界中の人々に言いふらしちゃおうよっ! そうすれば、オヤビンも動き易くなるかも……」
「そんな煌びやかな称号ぶら下げて表を歩けるか、こっ恥ずかしい」
「………………」
俺の吐き捨てるような発言に、リューシンが複雑そうな表情で肩を落とす。
あれ、思い掛けず精神攻撃してしまっただろうか……いや、今はそんなことどうでもいい。
「俺は、勇者になりたくて魔王と命のやり取りをした訳じゃねぇ。俺は、『あいつら』に人生を狂わされた。だから────一人残らず皆殺しにしてやっただけだ」
『皆、殺し……?』
「『勇者』の称号なんて手に持ったら腐り落ちるってくれぇに、俺の手は血塗られている。俺は、人殺しだ。やったことは、あの『クズ共』と大差はねぇ。それなのに500年経った今は、『伝説の勇者』ときたもんだ。それがどんだけ的外れな評価なのか、お前らもよーく分かんだろ」
そんな称号を与えられるような存在ではない。
俺の出した答えに、ニロも、リューシンも、エスも、言葉に詰まった様子で押し黙っていた。
「『魔王』のこと、知りたがっていたよな?」
「……あぁ」
「教えてやるよ。『あいつら』は、人のことを人と思っていない神様気取りのドクズだった。俺も、何度殺され掛けたか分からねぇ。奴隷として使われたことも、生かさず殺さないように拷問を受けたことも、性の捌け口に使われたこともあった」
「──!」
「そんな連中を、俺が皆殺しにした。それが、500年に起こった『勇者と魔王』とやらの真実だ。そしてお前は、その『首領格』と全く同じ顔、同じ声をしていて、更には同じ名前を持っている。以上だ。それ以外のことは俺にも分からねぇ」
これ以上記憶を吐き出すと、俺の頭がオカしくなりそうだ。
胸の奥底から沸き上がってくるトラウマという名の不快感は、500年経った今でも一切色褪せることなく俺の身体を蝕んでくる。
忘れない。
いいや、忘れてたまるものか。
あんな地獄のような戦いを、血で血を洗うような殺し合いを……決して無かったことにしてはいけない。
少しの重い沈黙の後、不意にリューシンがゆっくりと口を開く。
「言葉の謝意で、その怒りに詫びることが出来ないのは……私でもよく分かる。君が、私を見て感情を剥き出しにしたのは、当然のことだったんだな」
「……」
何ともまぁ……強烈な違和感を覚える程に、物分かりの良い男だ。
これが赤の他人の言葉ならば軽く憎まれ口を吐いてやるところだが、よりによって『奴』と瓜二つの人物が言っているから尚のことたちが悪い。
お前を相手にそんな気遣いを向けられて、俺はどんな反応を返せばいいんだよ……。
「君の名前を、教えてくれないか?」
ここまで明かしてはもはや、『魔王』という名称で呼ばれるのは流石におかしいか……。
ニロを除いて、『それ』を名乗ることは無いと思っていたが…………仕方がない。
「……『ミク』だ」
「オヤビン……その名前は……」
ニロは何処か心苦しい顔で、俺の横顔を見つめてきた。
彼は知っている。
『ミク』というのは俺の本名であり、そして同時に……。
────俺が最も嫌う名前だからだ。
だが、それを背負って生きることも500年より前から決めていたこと。
今更ガタガタと小言を漏らす意味もない。
「ミク、ニロ、君たちに提案がある────『公認勇者』に加わらないか?」
「あ?」
「はぁァッ!?」
何を、言ってんだ……?
流石に予想だにしていなかった提案に、俺は眉を潜め、ニロは驚愕した様子で絶叫した。
仮にも『魔王』を名乗っていた人物を『勇者』に誘うとか……どんな神経と肝っ玉をしていれば、そんな大胆なことが提案出来るんだ?
「言葉では無理ならば、行動で示すしかない。だから、実際に君の目で見て、私たちを判断して欲しい。私は公認勇者として誇りを持ち、そして行動している。君の戦った魔王が私なのだとしたら……私は、もう二度と同じ過ちは繰り返さない。君のことも、決して傷付けたりしないと誓う」
「……」
『奴』の……いいや、彼の言葉はあくまで誠実そのものだった。
そこに、俺たちを陥れようなどという下心は一切感じられない……つまり、本気で俺たちを仲間に引き入れるつもりか?
この俺が……?
勇者の仲間に……?
「君たちさえ良ければ、まずはこの大商団の依頼を共に解決したいと思っている。もちろん、今すぐに決めなくてもいい。その気になったら、いつでも私に声を掛けてくれ」
ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー
今日も、大商団全体の売れ行きは絶好調。
盛り上がりは日が落ちるまで続き、やがて夜が更けて営業時間が過ぎると……薄暗い中で団員たちは、照明を頼りにせっせと片付けや明日の営業の準備に取り掛かっていた。
「ふぅ~、疲れたぁ……」
「あんたんとこ、絶好調だったな。確か、魔力鉱石を加工してアクセサリーにしているんだっけか?」
「そうだよ。そもそも魔力が溶け込んだ鉱石自体が滅多に見つからなくて、最悪今回の出店は中止になるところだったんだけど……いやぁ、運が良かったなぁ」
「かつては物質に魔力を付与させる凄技を扱う魔術師も居たなんて伝説もあるが……つまりよ、魔術を極めれば商売もウハウハなんじゃねぇか!?」
「代わりに希少性が損なわれそうな気がするけどなー……」
商人たちの切り出す話題は、いずれも金儲けや営業の話が殆どだ。
そうした純粋な向上心や探求心が、大商団への信頼や売り上げに繋がっていくものなのだろう。
そんな商人ならば誰もが混ざりたい世間話を交わしていた団員たちだったが……その内の一人が、何かに気付いたように後ろを振り返った。
「──ん?」
「どうした?」
「今、向こうで何か聞こえなかった?」
「誰かがまだ片付けしてんじゃねぇの?」
「片付けというか、まるで何か切り裂くような────」
その時だった。
彼らの視線の先……暗闇に閉ざされた影の中から、一つの大きな物陰がゴソッと動き────。
「────グルルァッ」
「えっ」
暗闇と静寂の中に、彼らの声は消失するのだった。
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