7、【勇者】と『魔王』



 反応し、振り返る。

 そこには、一人の長身の男が立っていた。

 スラリと手脚の伸びた細身な体型であり、凛として大人びた印象を受ける好青年だ。

 彼は俺たちを一瞥すると、少し警戒心の滲む声色で話し掛けてくる。


「君たちは……誰かと思えば、ナップス村で騒ぎを起こし、エーフィーを完膚なきままに打ちのめした……魔王一行じゃないか」

「えっ、えぇっ!? な、何で……っ!? 会ったこと、あったっけ……?」

「ナップス村に向かう途中の馬車の中で相乗りしていたが……そうか。確か君は眠っていたな、ニロ」

「ぅ……!? ボクの名前までッ……き、君は、一体……!?」


 ナップス村に向かう、馬車の中……?

 確かあの時、俺とニロの他に中に居たのは……。

 まさか……。


「私の名は、リューシン。立場的に言えば、君たちの宿敵に当たるのだろうか? 一応────『公認勇者』の一人として活動している者だ」

「こ、こここここここここここ『公認勇者』ァァァッ!!? 嘘でしょッ、も、もう来たの……ッ!? お、おおオヤビン……ッ!! ど、どどどどうしよぉォ……ッ!!」

「待ってくれ。まず、話をしたい。君たちは……」

「────どういうことだ?」


 思わず、口を挟んだ。

 会話の邪魔をするつもりではない……。

 ただ、彼の……。

 いいや、『奴』の姿を見た瞬間……俺の中で、『それ』が最優先事項に変わった。

 心の奥底から、沸々と……。

 感情が……止めどない感情が……俺の全身を、ゆっくりと巡るように、着実に支配していく……。


「……そうか……あの時は、帽子で隠れていたから……俺としたことが…………フッ……くくくッ…………なんてこった…………今の今まで、気付かなかったぜ……」

「何を言っている?」

「思い出したぜ…………その顔…………その声…………500年経った今でも…………しっかり、記憶に刻まれてやがる…………『公認勇者』ァ……? テメェが……勇者だとォ……? 何でテメェが……『そっち側』に付いてんだ……あァ……?」

「お、オヤ、ビン……?」


 踏み出す。

 木造の床が、ミシリッと音を立て、俺の足音を響かせる。

 誰もが異様な雰囲気に呑まれて硬直する中、俺は、ゆっくりと、ゆっくりと……一歩一歩を踏み締めるように、『奴』へと迫った。

 そして。

 『奴』の眼前に立った瞬間、その胸倉を鷲掴みにして────吼える。


「また会えるとは思わなかったぜ────500年ぶりだなァ、『魔王』ォォおおぉォォ……ッ!!」


 何故、『奴』がここに居るのか分からない。

 だが、そんなことは『どうでもいい』。

 どんな事情があろうと、『奴』だけは────決して生かしておく訳にはいかない。

 全ての感情を押し退け、俺の中で渦巻く感情は、『怨念』ただ一つ……それだけだった。

 







 ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー








 突然胸倉を鷲掴みにされ、魔王が吼える。

 小柄な見た目からは考えられない凄まじい力で押し飛ばされそうになるのを、死に物狂いに、決死の力で抵抗。

 すると、その重圧に耐えられなくなったのか、私たち二人の足元の床が粉々に弾け飛んだ。


「──ッ!?」

「この気迫は……ッ!?」

「うわァッ!?」


 まるで暴風雨。

 魔王を中心に空気が吹き荒れ、彼女の発する気圧が見えない衝撃波のように幾度に私の全身を打ち付ける。

 そこに感じるのは────獰猛なまでの『殺意』。

 彼女は、私のことを『魔王』と罵った。

 一体、何のことだ?

 『魔王』は、彼女ではないのか?

 何故、私が魔王なんだ?

 彼女の言葉も、彼女の向ける殺意も、何一つとして心当たりはなかった。


「いッ、たい……何をッ、言っている……ッ? 私がッ、『魔王』ッだと……ッ?」

「──心配すんな、今すぐに殺してやる。テメェがまた、大惨事を起こす前になァ?」


 瞳孔が開いてこちらを睨む魔王が、滑らかな動きで手を引く。すると、彼女の手元が『グニャリ』と歪んだ。

 そこまでの動きに、一切の躊躇はない。

 本気だ。

 本気で『ヤる』つもりで……ッ!


「ぐ……ッ!?」


 捕まれた胸倉を引き剥がすことが出来ない。

 ヤられる……ッ!

 そんな予感が脳裏を過った、次の瞬間────。


『────そこまでッ!!』

「────オヤビンッ!! ダメぇぇぇぇッ!!」


 魔王の手元の歪みが『放たれた』と同時に。

 私の前に一つの『光』が割り込み、魔王の全身にスライムみたいなモノが纏わり付く。

 すると、魔王の身体がほんの少し傾き、ほんの僅かに逸れた『歪み』を、割り込んできた『光』が激しく煌めいて……それの軌道を、ほんの微かに外へ押し退ける。

 『歪み』は私の頬を撫でたと思ったら────背後の壁を木っ端微塵に吹き飛ばした。

 危機一髪。

 あんな衝撃が直撃していたら……と考えると、全身から嫌な汗がブワッと吹き出した。


「──エス……!」

『話には聞いてたけどーッ……何なのさ、あの【力】ッ……これ、ガチでヤバいッ……ハァッ、ハァッ……軌道をチョイと逸らすだけで、一生分のエネルギー使い果たしたって気分なんだけどー……ッ!』


 あのエスがとてつもない消耗を見せていた。

 それだけで、魔王の放った【境界線を操る力】がどれだけ莫大なエネルギーを発揮しているのかがよく分かる。

 いつも通り依頼をこなす為に来訪した地で、初っ端から命の危機に晒されるとは……初めての経験だ。

 だが、危機はまだ過ぎ去っていない。

 私たちの眼前には、お供のニロに必死に制止されながらも、私だけを鬼の形相で睨み付ける魔王の姿があったからだ。








 ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー








 オヤビン相手に、力では敵わない。

 それを分かり切っていたボクは、スライム状に身体を【変身】させてオヤビンの全身に絡み付き、身体の動きを鈍くさせる程度のことしか出来なかった。


「オヤッ、ビンッ……おッ願いッ、落ちッ着いてぇ……ッッ!!」

「──ハナせ ニロ、 おマエから バラバラにすんぞ」


 それでも、全く歯が立たない。

 まるで別人のような恐ろしい声を発するオヤビンは、纏わり付くボクの身体を、ブチッブチッと無理矢理引き千切り、その拘束から抜け出そうとする。

 『変身』しているとはいえ、それはボクの身体だ。

 身体、手足が引き千切られる凄まじい激痛が、容赦なく襲い掛かってくる。


「……ゥあ……ッ! おッ……か、しいよッ……こんなのッ、オヤビンじゃないッ……」

「あァ?」


 だけど。

 あきらめちゃ、だめだ……ッ。

 だって。

 ボクが、あきらめちゃったら……誰が、オヤビンを支えるんだ……?


「オヤビンはッ、オヤビンが……ッ!! 自分の衝動なんかに負けるもんか……ッ!! だってッ、だってオヤビンは……ッ!!」


 あの時、オヤビンと出会った時から……。

 あの時、オヤビンに助けて貰った時から……。

 ボクは、誓ったんだ。


 ────付いていく? 見る目が無ぇな、お前は……ったく、勝手にしろ。


 例え、オヤビンが一人孤立してしまったとしても、この世界の全てがオヤビンの敵になってしまったとしても────ボクだけは、絶対にオヤビンで味方で在り続けるんだって……!!

 だって、オヤビンは────。


「誰よりもカッコよくてッ!! 誰よりも優しくてッ!! 誰よりもッ、世界で一番強いッ!! ボクのッ、ボクの────憧れの『勇者』なんだからぁぁぁぁァァァァァァッッ!!」

「──ッ!」


 一瞬、オヤビンの力が緩む。

 その瞬間を見逃さず、ボクは矮小な力を全身全霊で絞り出して、オヤビンの重心を後ろに倒す。

 すると、オヤビンはバランスを失って、ストンとその場に軽く尻もちを着いた。


「ハァッ、ハァ……ッ」

「……ニロ」

「ハッ、ハッ……あぁ、良かった……いつもの、オヤビンだ……」


 地面にベチャッと落ちたボクの周りには、スライム状になった手足がバラバラに散らばっている。

 動けない。

 こんなにバラバラになったのは、初めてだ。

 そんなボクの顔を覗き込むオヤビンは、少し眉を眉を潜め、慰めるようにボクの額を優しく撫でてくれた。


「…………悪ぃ」

「えへへっ、なんて、ことないよ……ちょっと、身体引き千切れちゃっただけ……時間経てば、元通りになるから……」

「……」


 あぁ……これは、まいっちゃったな……。

 オヤビンに、余計な気遣いをさせちゃった……こんなんじゃ、オヤビンの子分失格じゃないか……。

 何か思うことがあるようなオヤビンの儚げな顔を見ていると、その後ろから公認勇者のリューシンが声を掛けてきた。


「──!」

『大丈夫なのかー?』

「手を貸す。医者は必要……なのか?」

「……いや、意味が無い。治せるのは、こいつ自身だ」

「そうか、分かった。オールダム団長、騒ぎを起こしたことを謝罪する。それから重ね重ね申し訳ないが、少し医務室を貸して貰えないだろうか」

「……う、うむっ、分かったっ! 案内しようっ!」








 ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー








「ビックリしたぁ~……何だったんだろ、さっきの……?」


 商団の登録手続きをするということで別室へ移動して5分と経たぬ間に、応接室からとんでもない爆音が起こった。

 慌てて部屋へと戻ると、応接室の半分が吹き飛んでいて、ニロさんが全身バラバラになって倒れてて、オヤビンさんが膝を付いていて、更にはあの有名な『公認勇者』様が立っていて……もう何がなんだか、といった感じだった。

 ただ、話はもう済んだ後らしく、ニロさんは医務室へと運ばれ、オヤビンさんと公認勇者さんは応接室の修理に勤しんでいた。だがその間、両者は目も合わせず、言葉を交わすこともなくて……何やらただならぬ関係であることだけは察したが……。

 オヤビンさんも、ニロさんも、大丈夫かな……。


「────お待たせしました、キューネさん」


 色々な意味で落ち着かなくてソワソワと別室で待っていると、ハル夫人が用紙を持って入ってきた。


「他の団員が忙しいので、私が代わりに…………あら?」

「えっ? なん、でしょうか?」

「あなた…………いえ、気のせいね、ごめんなさい。それでは早速、登録手続きを始めましょうか」

「は、はいっ! よろしくお願いいたしますっ!」

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