4、『執行官』




「──こんな無茶苦茶な話があるかッ!!」


 大商団の真ん中で男性の怒号が響いた。

 客人も、商人も、騒ぎを耳にして、彼らの方へ一斉に視線を向ける。

 一枚の資料を握り締める男性の傍らには、潤んだ瞳を浮かべる娘とおぼしき少女が震えながらくっついており、二人の目の前には……一人のスマートな女性が相対するように立っていた。


「────おや? 貴方は一体誰に向かって、そんな言葉遣いで暴言を吐いているのですか?」

「ぐッ……こ、子供がぶつかっただけ、じゃないですか……ッ! それなのに、何でこんな多額の弁償金を払わなくちゃならない、んですか……ッ!?」


 彼らは大商団の噂を聞き付けてやって来た、ただの一般家庭の親子である。

 そこではしゃいで走り回っていた娘が女性にぶつかってしまったところ、彼女は服のクリーニング代と言って、父親に請求書を突き付けたのだ。

 請求額は……大体、一般家庭の10年分の生活費に相当する、と言えば何となくその理不尽が理解出来るだろう。


「贔屓はいけませんよ、お父さん。人間の持つ命の重さは皆同じ。いけないことをしたら、大人であろうが、子供であろうが、等しく罰せられなくてはなりません。まさか、子供の時ならばどれだけ悪いことをしてもいい、なんて躾をしている訳ではないでしょう?」

「そ、それは……だけどッ、こんな大金はどう考えても……ッ!」

「自身の物差しだけで物事を測るものではありませんよ。私はこれより重大な会談があるのです。その為に、それに相応しい礼装を整えて参りました。そこでは、貴方がたが生涯で稼げる賃金以上の金が動きます。それなのに、彼女がぶつかった際の汚れのせいで相手方からの印象が悪くなったらどうするつもりですか? 貴方ごときが、責任取れるのですか?」

「ぐッ、ぐ……ッ!」


 彼らに、悪意なんてモノはない。

 買い物を楽しみに来ただけの、普通の親子でしかない。

 ただ、運だけが絶望的に悪かった。

 よりにもよって、たまたま今日この瞬間、大商団を訪れていた『彼女』────サクディミオンを実質的に支配している、セントラル・ナバラントの『執行官』・クオネカと遭遇してしまったのだから。


「まさか払えないと? そうですか、残念ですね。払えないならば────その身体で払って頂くしかありませんね」


 クオネカが軽く手を上げる。

 すると、何処からともなく深紅の装束に身を包んだ者たちがゾロゾロと現れて親子を取り囲み、一切の躊躇もない動作で二人を拘束し始めた。


「ぱ、パパ……っ! パパぁぁ……っ!!」

「や、やめろッ!! 離せッ……! せめて娘だけはッ、た、頼むッ、やめて……辞めてくれぇ……ッ!!」

「ふふっ。さぁ、連れていきましょうか」


 連れ去られた結果、彼らがどうなるか分かったものではない。

 かといって反対の声を上げれば、あの『執行部隊』にどんな目に遭わされるのかも分からない。

 あまりにも一方的かつ残酷な光景に、誰もが恐怖で硬直していた……その最中。


「────少々横暴が過ぎるのではないか?」


 一つだけ、反論が上がる。

 それに反応して、クオネカも執行部隊も思わず立ち止まり、その声の主へと冷たい視線を向ける。


「え……」

「これはこれは。誰かと思えば……我らが『公認勇者』のリューシン様ではありませんか」


 500年前に【魔王】を倒した伝説の勇者の遺志を継ぐ、世界最強格の実力者が集まった非公式集団、『公認勇者』。

 その内の一人、本物の公認勇者の一角────リューシン。

 黒髪ロングで長身の彼は、クオネカの冷たい笑みを前にしながらも落ち着き払った物腰で語り始めた。


「祭事の時には誰もが浮かれてしまうものだ。子供のように純真な心を持っていれば尚更だろう。そうした雰囲気を作り出しているオールダム大商団の手腕は目を見張るモノがある」

「ふむ?」

「『それを相手』に対談をしようとするならば、君らは我を貫くよりも、雰囲気を許容しようとすべきだ。それが、『上に立つ者』の心持ちであるべきじゃないか?」


 リューシンの諭すような語り口に、クオネカは何処か真剣みを帯びた顔で、黙って耳を傾けていたが……再びニヤリと笑ってみせると……。


「なるほど。中々に興味深い論理ですね。だけど────その程度の説得で私どもが懐柔されるとでも?」

「……」


 クオネカの不敵な笑みは、まるで凶悪な毒物。

 相手の心も身体も侵食するような、悪意に満ちた感情が全身から噴き出している。

 しかし、リューシンは尚も動揺の欠片すら見せない。

 恐怖も、焦りも、怒りも、何も感じない表情のまま、クオネカと相対している。

 両者はそのまま互いに視線をぶつけ合っていたが……。


「……ですが。ふふっ、いいでしょう。今は公認勇者と事を荒立てる必要性は感じません。ここは、貴方がた公認勇者の顔を立てて、大人しく引き下がるとしましょう」


 クオネカが肩を竦めてそう言うと、親子は深紅の者から解放される。


「それでは。ご機嫌よう、リューシン様。またお会いしましょう?」


 もう興味もない様子で親子を見向きもせず、リューシンだけへと視線を送ったまま丁重かつ大袈裟に頭を下げると、部下たちを引き連れて立ち去っていった。

 その後ろ姿を眺めていたリューシンは、とても短く息を吐くと、何処かウンザリした口調で呟く。


「……『執行官』か、厄介なことになってきたな」


 危うく大惨事となるところだったが、公認勇者の登場で何事もなく嵐は通り過ぎた。

 周囲の人々もホッとした様子で胸を撫で下ろしている。

 だが、一番安心したのは、もう少しで人生が破滅しかけた二人の親子だろう。父親は助け起こしてくれたリューシンに何度もお礼を述べていた。


「公認勇者、セントラル・ナバラント、そして魔王……予想外でしたねぇ、これだけの面子が出揃っちゃうなんて……困りました、実に困りましたねぇ……」


 さて。

 その様子を、屋台のテラス席に座って遠目に眺めていた私は、果物を摘まみながら呟く。

 さて、計画に狂いが生じた。

 公認勇者の接近は予想していたが、セントラル・ナバラントの『執行官』までやって来てしまうだなんて……。


「────なんて嬉しい誤算。いえ、手間が省けたと言うべきでしょうかぁ?」


 笑みが込み上げてきて止まらない。

 私は机の中央に置かれた果物の乗ったお皿を挟んで、反対側の席の前に置かれたもう一つのカップを手に取り、乾杯するようにそれを軽く上に掲げた。


「混沌の中でこそ、事態は大きく動く。これから、この大商団の運命が何処へ向かっていくのか……私は神々さながらに、特等席で眺めさせて頂くとしましょうかぁ、ぅふふっ」




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