2、腹ごしらえの一幕



 ナップス村近郊にある森林地帯をしばらく進んでいると、大きな木々に隠れるように一台の『屋台』が佇んでいた。それは、キューネという女性が運営している『移動式のキッチン』であり、世界各地を回りながら旅人に料理を振る舞っているという。

 ここ数日の間、マトモな食事にありつけていなかった俺たちは、彼女のキッチンで久々に絶品料理をご馳走して貰うことになった。


「それにしてもオヤビン、結構食べるねぇ……そんなに沢山、身体の何処に溜め込んでいられるの……?」

「燃費が悪ぃ身体だもんでな。それに、食える時に食っとかねぇと次いつマトモな料理にありつけるかわかんねぇぞ?」

「確かに……虫の串焼きやら雑草のスープやら、道中のサバイバル料理も中々だったけど……ホントにいいのかなぁ……?」


 ニロが少し遠慮がちに横目で様子を伺うのは、俺を挟んで反対側の席に腰掛ける女性、『警察ギルド』所属のチグサだ。

 どうやら今回の食事の代金は、彼女が全額負担してくれるらしい。

 奢りで食べる飯ほど旨い飯はないものだ、ラッキー。

 彼女は頬杖を付きながらこちらをジッと見つめていたかと思ったら、唐突にこんなことを切り出す。


「……正直、ガッカリです」

「あん? 何がだ?」

「何なんですかぁ? その、まるで貴人のような品格に満ちたような食べ方はぁ。もっと野蛮に品性の欠片もなく食べカス撒き散らしながら豪快に喰らって下さいよぉ、それでも『魔王』なんですか貴方はぁ?」

「知らねぇーよ、何だその願望は」

「オヤビンのこと馬鹿にしてんのかなぁっ!? こう見えても粗暴なところ一杯あるんだぞぉっ!!」

「何のフォローにもなってねぇよ喧嘩売ってんのか?」

「やだぁ、怖いですねぇ」

「人の喉元にナイフ突き付けた上にベロベロしてきた奴が何ぶりっ子ぶってんのっ!! それが警察のすることかぁぁっ!?」

「やですねぇ、『あんなの』ただのスキンシップじゃないですかぁ」

「スキンシップの域を余裕で越えてんだよォォォォっ!!」


 どうでもいいけど、人を挟んで喧嘩すんのは辞めて欲しい。

 ニロとチグサが左右でぎゃーぎゃー罵り合う最中、一呼吸するように水分補給していた店主が、何故か思いっきり水を吹き出した。


「ぶふゥゥッ!? ゲホッゲホッ、け、警察ゥっ!? 何で警察ギルドの方がこんなところにィッ!?」

「お前までどうした、落ち着け店主」

「い、いえいえ! な、何でも、あははは……そ、それよりっ、おかわりお待たせ致しましたっ!」

「おー、いいねぇ。ご苦労さん」

「待ってましたっ! いっただっきまーっすっ!」

「ところでぇ、追加はこれで終わりですよねぇ? ていうか、終わってくれますよねぇ?」

 

 ナップス村では食事をする暇すら無かったし、そこからここまでも警察ギルドの追手から逃れる為に、ずっと飲まず食わずの状況だった。

 そんな状況下で温かい食事を出されては、最早際限なんて忘れてしまうものだ。

 大盛の追加もアッサリ平らげると、そこでようやく一息ついて、俺は食後に提供されたお茶を啜っていた。


「それでだ、警察ギルド。さっきの『取引』の話に戻るんだが……」


 そう切り出しながら、グイッと顔を上げて残りのお茶を飲み干そうとした。

 すると。


「そうですねぇ、始めましょうかぁ────『取引』の話を」

「──ッ!? オヤビンッ!!」


 





 ー ↓ ー ↓ ー ↓ ー ↓ ー ↓ ー ↓ ー








 お茶を飲み干そうとして、魔王は顔を上げる。

 いやはや、流石に呆れてしまった……。


 ────完全に、無防備ではないか。

 

 まるで『刺してくれ』と言わんばかりに、がら空きになった首元。

 魔王の口にしたお茶がゴクリと喉仏を通ったのを横目に見届けた私は、手元に転がる串焼きの串を指先で摘まみ、それをクルリと逆手に握ると……。


「────死ね、魔王」


 我ながら、完璧な速さ。

 空気すら裂く、目にも止まらぬ、無駄なんてない動きで。

 逆手に握った串を、魔王の無防備な喉を狙って────腕を走らせる。

 捉えた。

 疑う余地はない、確実に『ヤれる』。

 その確信だけが脳裏を過り、私の凶器は魔王の喉に突き刺さって────。


「────欠伸が出ちまうぜ」


 止まる。

 あと、ほんの紙切れ一枚ぶんにまで迫った串の襲撃が……何の音もなく、何の衝撃もなく────ピタッと、停止してしまったのだ。


「──ッ!?」

「今、俺の喉元に【境界線】を引いた。そこから先は俺の絶対領域だ。何の細工もないただの串程度じゃあ、どう頑張っても突き破れやしねぇよ」

「これが【境界線】……ぐ……ッ!」


 串を押すのはもとより、引くことも……いや、それどころか……。


 ────う、動、けない……。


 指先から全身に至るまで、身体をピクリとも動かすことが出来ない。

 まるで、全身を蝋で固められたかのような……。


「ワリィが、逃がさねぇぜ? お前の身体にも【境界線】を引かせてもらった。お前は、お前の意志で、お前の身体を動かすことは出来ねぇが……」


 そう語りながら魔王は、自身の喉に突き付けられた串を余裕綽々と私の手から抜き取ると、それを私の握り拳に順手に握らせた。

 そして、人差し指を立て、串を握った私の拳を指先で押すと……私の手が少しずつギチギチと動き始める。

 次は、そう……。

 串の切っ先が、私の首へ向かうように。


「ぐッ、く……ゥ……ッ!」

「無理無理、今のお前は俺の人形だ。さて、自分で動けない人形が、身体に串を突き刺さられたらどうなると思う? 正解は────しかしながら何も出来ない、だ」

「──ッ!!」

「喉を貫いていく串の感覚を噛み締めながら、体内を抉っていく激痛に悶え苦しみながら────魔王の支配の元、何も出来ねぇ事実にせいぜい絶望することだな」


 発端は、ほんの少しの好奇心。

 恨みだとか、執念だとか、そういう深い感情は微塵にもない。

 最近世界を騒がせている噂の魔王が、私の手の届く場所で無防備を晒している……もしかしたら、今なら『ヤれる』かも知れない……千載一遇、絶好の機会だった。

 だが、私は直ぐにその愚行を後悔することとなった。


 ────殺される。


 必死に抵抗しようとするが、差し迫る腕の動きは一切止められない。

 全身から一気に脂汗が噴き出し、思考がグルグルと回り始める。

 やがて、串の先が首に達し、プスッと薄皮一枚分だけ突き破ったところで……。


「────ッッ、はッッ……!! はぁッ、はぁッ、はぁ……ッ!!」


 ────唐突に、全身に自由が戻り、私は机の上にガタンッと突っ伏した。


「お、お客様!? い、如何なされました!?」


 店主のキューネが慌てた様子で声を上げる。

 それに答える余裕すらなく、机に突っ伏したまま肩で呼吸をしていると、隣の魔王が慰めるように私の頭を撫でてきた。


「好奇心旺盛なのは良いことだ。だがな、強過ぎる好奇心はその身を滅ぼす……覚えておきな、チグサちゃん?」


 暗殺者ばりの奇襲を見せ付けた私を、完全に赤子扱い。更には、命まで取られず慈悲まで掛けられる、というオマケ付きだ。

 最早、『敵』として見られてすら居ない。

 異次元なまでの力の差を見せ付けられ、人としての最大級の屈辱を受けた私は……思わず、笑みを溢していた。


「…………あァ~~、いいですねぇ……やっぱりあなたは、私の思った通りの人でしたよぉ……」

「……くくっ、変なヤツだ」


 私の反応を横目で見ていた魔王は何処か愉しげにニヤッと嗤うと、背もたれに寄り掛かって腕を組んだ。








 ー ↑ ー ↑ ー ↑ ー ↑ ー ↑ ー ↑ ー








 しなやかかつ身軽な身体能力を見せ付けてくれたが、『ラヴィー迷洞』でヤり合ったエーフィー程の脅威は無い。

 だが、最後に一瞬だけ見せ付けた『笑み』は……これまで出会った誰よりも『ガンぎまっている』。

 常人と比べると、より病的で、より外れていて……例えるなら、高層ビルの間に張られた鉄線の上を飛び跳ねてみせるみたいに、命知らずな行為を意気揚々とやってのけるような……そんな『狂気』の片鱗を感じた気がした。


「さて、本題に入ろうぜ。確か、この魔王たる俺に『始末して貰いたい奴』が居るんだってな?」

「ちょ、ちょっとオヤビン……まさかその話、本気で受けるつもりじゃないよね……?」

「義理はない。他人の手を人の血で汚したいってんなら、対価もそれ相応のものでなくちゃならねぇ。少なくとも、一食分の奢り程度じゃぁメリットにすら感じられねぇな」


 こいつの心情は多少なりとも気に掛かるところがあるが……今のところ、引き受ける必要性は一切感じていない。

 そもそも相手は、世界の治安を守る『警察ギルド』。

 オマケに、少し前に連中の不祥事を目撃したばかりだ。

 そんな奴が規律を無視して、『人間の始末』を頼んできている時点で既にキナ臭さで満ちている。何か面倒なことに巻き込まれようとしているのは間違いない……と、半ば呆れ気味に、いつ拒否の言葉を投げ掛けてやろうかと考えていたが……。


「────【魔王の遺物】」


 不意に、チグサがそう口走った。


「あん?」

「あなたが私を指定した人物を始末すれば、【遺物】を破壊することが出来る。これ、実に適切な『情報交換』だと思いませんかぁ?」

「それって、まさか……ターゲットに【遺物】が寄生しているってこと……!? だ、だからってっ! オヤビンに人殺しの罪を負えっての!?」

「今更一人殺したところで変わりは無いのではぁ? 『魔王』を自称している位ですから、実はこれまでも何人も手に掛けてきたんじゃないんですかぁ?」

「オヤビンがそんなことする訳ないじゃんっ!! と、とにかくっ!! こんな無茶苦茶な取引ッ、聞けるわけが────」


 ニロが隣で喚き立てるのを遮るように俺はその顔の前に手を上げると、ニヤリとほくそ笑んでみせた。


「────面白ぇ、詳しく話しな」

「オ、オヤビン!?」

「ぅふふっ、いいですねぇ。あなたならそう言ってくれると思っていましたよぉ」



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