10、勇者の成り方


「────ぷはぁ~、飲み干すにゃ量が多いなぁ」

「触れた部分は問答無用……しかも、何だこの感じ……『弾き飛ばす』だけじゃなくて、『断ち切る』ことも出来るのか……?」

「おいおい、エセ勇者。危うくアレトの奴も溺れるところだったんだが?」


 後ろの方では、まるでシャボン玉のような『透明な球体』に変化したニロに守られていたお蔭で、アトレも事なきを得たようだ。「し、ししし死ぬかと思ったぁ……」「ニロちゃんっ!? 助かったよぉーっ!! しっかりしてぇーっ!?」と、そんなやり取りが聞こえてくる。もしニロが付いていなかったら、それこそ目も当てられないような大惨事になっていたのは間違いない。

 しかし、エーフィーの反論は至って冷静沈着だった。


「さっきの会話から察するに、あのガキんちょも魔王寄りって訳でしょ? そんな危険因子は、早いところ処理しといた方がいい」

「お前それでも、公認勇者を目指していたのかよ? 一般人を躊躇無く巻き込みやがって、プライドは無ぇのか?」


 その時、魔王さまの煽りに対して、エーフィーが微かに眉を潜める。


「────勇者のプライド? 何それ、馬鹿じゃないの?」

「……?」

「今考えても、あの試験も茶番以外の何物でもなかった……いいや。そもそも、勇者の存在自体がただの茶番に過ぎないんだよ」

「どういう意味だ?」

「勇者はね。必要以上に相手を傷付けることを悪手としている。殺しなんてのはもっての他。破ったら公認勇者の証を剥奪されるが、重い罰則を受けるようになっている…………何故?」


 『公認勇者』は、セントラル・ナバラントや国、政府、どこにも属さない自由団体とされているが……それは何も、殺しを容認している訳ではない。

 むしろ、好き勝手に行動出来ないように、エーフィーの言ったことを始めとして、様々な制約がある。そうした縛りが、世の中の悪事を御し切れない事実を産み出しているのもまた事実だ。


「根っからの悪人がさぁ。警察に捕まったところで……檻の中に収監されたところで……ほんの少し痛め付けられたぐらいで────反省なんてする訳がないじゃん。あいつらは、一度思い知らせてやっても、警察や勇者の目が届かないところで、また悪事を繰り返す。何度でも、何度でも、何度でも何度でもッ!!」


 激昂するエーフィーの感情に呼応するように、彼女の背後に水流が舞い上がり、それが二体の『水龍』となって顕現する。

 それらは唸りを上げ、長い胴体をしならせ、魔王さまに襲い掛かった。


「──!」

「だったら────全員ぶっ殺さなくちゃ意味ないだろ? 己の過ちを徹底的に思い知らせて、頭を垂れさせて許しを乞わせてから、最期には確実に、汚れきったクサい息の根を止めるッ!! それが勧善懲悪ってことだろッ!! それが本来の勇者の役割だろッ!! 甘いんだよどいつもこいつもさぁッ!!」


 魔王さまは両手を振るい、勢いよく『水龍』の頭を吹き飛ばすが……水で生成された龍は頭が無くなっても、たちまち再生してしまう。

 水の魔術も、エーフィーの怒りも、埒が明かない。

 このままではジリ貧の戦いが続くだけだ。


「ねぇ、私間違ってる? 世の中には、あのデルバみたいに他者の命なんてどうでもいい、なんて思っているような悪人が蔓延ってんだよ? こいつらを根絶する為に、私は公認勇者になろうとした……それなのに……それなのにッッ、何で私のことを認めてくれないッ!? 私の方が相応しいのにッッ……何で私は公認勇者になれなかったんだッッ!!」

「……勇者は誰かを裁く存在じゃねぇだろ。誰かの平穏を守る為に、常に誰かの象徴として、自身を犠牲にし続けなくちゃならねぇ。その覚悟も無ぇ奴は、そもそも勇者には向いてねぇよ」

「──黙れッ!! お前みたいな悪人がッ!! 勇者に殺されるべき存在の極悪人の魔王がッ!! 私の何が分かるっていうんだッ!!」


 エーフィーの感情が増幅される度に、水龍の勢いまでもが増していく。

 その咆哮は大気を揺らし、その進撃は岩盤を抉り……もう、滅茶苦茶だ。水龍がやたらめったら暴れ回るにしては、この迷洞の空間は狭過ぎる。

 そんな中、魔王さまは顔色一つ変えずに、全く同じトーンで反論を投げ掛けていた。


「持つべきは、悪人の首を跳ねる為の剣じゃねぇ……差し伸べられた手を握り返す為の、『この手』だ。人間が本来持っている『それ』だけで充分なんだ。そこに別の意義を見出だして、凶器を握り出した時点で……そいつは勇者にはなれねぇ。そりゃぁただの殺人鬼、もしくは狂人だ」

「狂人、だと……? それはッ────お前の方だろうがァァッッ!!」


 感情の臨界点を超越し、エーフィーの構築する魔術を更なる次元へ押し上げる。

 左右に断たれた水牢の塊が蠢き────無数の水龍へと変貌していく。

 その鋭い眼光が睨むは、ただ一人。



「これで終わりだッ────死に晒せッ!! 魔王ォォッッ!!」



 エーフィーの怒号を合図に、全ての水龍が襲撃を開始。

 最大出力一点集中の全方位波状攻撃。

 何処にも、逃げ場はない。

 もはや、両手で捌き切れる量ではない。

 だが────。



「────悪ぃが、『強さ』だけじゃ……俺には一生『届かねぇ』ぞ?」



 その時、魔王さまは片手を上げる。

 ダラリと下がった手を、こう、胸元辺りまで『上げた』。

 ただ、それだけ。

 たったそれだけの行為によって……。


 ────ビタッッ!! と、空間の時が止まった。

 

 全ての水龍の動きも、漂う水の塊も、空気の流れも……そして、エーフィーの身体さえも。


「ォ、ご……ッ!?」

「お前の言う通りだ。『俺は狂っている』、それを否定するつもりは微塵にもねぇ」


 これは、『時間が止まっている』訳ではない。

 魔王さまが、魔王さまの【力】で、全ての物体を『物理的』に弄った結果、彼女らが動けなくなっているだけなのだ。

 それは、〈魔術〉ではない。

 『武術』や『技術』などでもない。

 魔王さまが持ち、魔王さまだけが成し遂げられる────そう、【能術のうじゅつ】と言うべきか。

 最早、常人の頭ではどんな名称を付ければ分からない【異次元の力】。



 ────【境界線を操る力】。



 今、エーフィーらの身体には、無数の【境界線】が刻まれており、その箇所が物理的に『ズレている』状態だ。

 もちろん、その『ズレ』を肉眼で捉えることは出来ない。魔王さまの操る【境界線】は、『別次元』から現実世界に介入するモノ。

 だが、その影響力は絶大だ。

 一本分の『ズレ』であっても、生物は身体と認識の剥離が発生し、その部位を動かせなくなってしまう。

 それが無数に、全身にまで及んでしまったらどうなるか……この空間のように、誰一人として動かなくなってしまう、という訳だ。

 恐らく、特にエーフィーに至っては、全身に及ぶ無数の『ズレ』によって異常なまでの不快感を味わっていることだろう。


「がッ、ぁ、ぁ……ッ!? から、だッ……動、かな……ッ!? なんッ、だッ……コレぇぇ……ッ!?」

「対してお前は何だ? 自分から必死に目を逸らしている上に、勇者という存在に未練タラタラじゃねぇか」

「な……に、ぃ……ッ!?」


 誰も動かない……いいや、誰も『動けない』空間の中で、ただ一人。魔王さまだけが、ゆったりと、悠々と、歩を進める。

 そして、空間の中心に辿り着くと……。


「よーく見てな? 徹底的にヤる、ってのはなぁ────こういうことを言うんだよ」


 一度腕を振るい、周囲の【境界線】を『動かした』。

 次の瞬間。

 全ての水龍の胴体が、無数の【境界線】によって『空間ごと』ズリュッとズレ落ち、バラバラに……文字通り、木っ端微塵に分解してしまった。


「なッ、ぁッ、ァ……?」

「さぁて、エセ勇者────次はてめぇの番だ」

「──ッ!?」


 エーフィーからすれば、途方もない恐怖体験だったに違いない。

 自身の魔術が粉砕させられ、身体が動かない原因も分からないまま……前方からは、恐ろしい笑みを浮かべた魔王さまが、ゆっくりと歩み迫ってくるのだから。


 ────殺される。


 反射的にそう感じたとしても、一向に不思議ではない。

 そして、余裕綽々とエーフィーの目の前に辿り着いた魔王さまは、ニタリと笑みを深めてから、木の棒を握った手を大きく振り上げた。


「……ぁ…………あ、く……ま……ッ」

「悪魔? 違ぇな────俺ぁ、魔王さまだ」


 最早、恐怖を押し隠す余裕すらない。

 ガタガタと震えるエーフィーへと、魔王さまは木の棒を思いっきり振り下ろし……。



 ────コツンッ、と彼女の額に小さな小さな一撃を落とした。



「────はい、お前死亡」

「ァ……」


 同時に、彼女の全身に張り巡らされた【境界線】が一斉に消滅。

 顔面蒼白なエーフィーは膝が折れ、瞳孔が開いたまま、ヘロヘロと力なくその場にヘタリ込んだ。一体どれだけの恐怖に苛まれていたのか……彼女の名誉の為に言葉を濁しておくが、その股下はビショビショに濡れてしまっていた。


「そもそも、根本からお前は間違っている」

「は……へ……?」

「勇者ってのはな、誰かに認められてなるもんじゃねぇ。努力と死力を振り絞る中で────誰にも気付かれぬ内に『成っている』もんなんだよ」

「──ッ!!」


 まるで諭すように言われた言葉に、エーフィーは一気に顔を強張らせると、勢いよく立ち上がる。

 魔王さまが制止するよりも前に、彼女は逃げるように魔王さまの脇をすり抜け、迷洞から走り去ってしまった。

 その去り際、彼女の目尻には微かに涙が滲んでいるようにも見えた。


「……やれやれ、逃げ足が速いねぇ。取り逃がしちまっ……」

「────オヤビィィィィィィンッ!!」

「────魔王さぁぁぁぁぁぁんっ!!」

「おぅっ!?」


 後ろから走ってきたニロとアレトに突撃されると、小柄な魔王さまはアッサリと二人の下敷きになった。

 ニロは大袈裟に涙を垂れ流しながら、アレトはギラギラと目を輝かせながら、魔王さまの身体にぎゅーーっと抱き付いていた。


「よがっだぁぁっ!! 本当にどうなるがど思っだけどぉぉっ!! オヤビンが無事でよがっだよぉぉぉぉぉぉッ!!」

「魔王さんスゴいっ!! 本当にスゴいよっ!! あのドバーンッとかズババババンッとかってどうやったのっ!? 教えて教えてーーっ!!」

「おーい、良いのかお前ら? 潰れるぜ、俺?」


 詐欺師たちが再起不能となったことで、魔王さまの処刑も、ナップス村の事変も、晴れて解消するだろうが……おいおい、そんなことをしている場合か、魔王さま?

 何か、とても重大なことを忘れていないか?

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