9、〈溺れ堕ちよ〉
はてさて。
小さな勇者に大見得を切った魔王さまは、後ろを付いてきていたお供のニロへと指示を飛ばした。
「おーい、ニロ。アレトのことは任せたぞ」
「ほいほーいっ。お任せあれ、オヤビン。さっ、こっち来て」
「えっ、う、うん」
ニロはアレトの手を引いて空間の端へと下がる。
迷洞の外へ逃げるのも手かも知れないが、詐欺師陣営に【マシュロオオム】が付いている以上、下手に遠くまで逃げれば拡散する胞子にヤられる危険がある。
安全とは言い難いが、懸命な距離感と言える……かも知れない。
「……魔王、ね。五百年前の奴が現代に蘇ったって、本当の話?」
何処か冷めたような顔を浮かべているエーフィーが、小さく首を傾げて魔王さまに尋ねる。
「信用出来ないってか?」
「誰にも証明出来ないでしょ。その当時に生きていた人間なんて、この世界にはもう何処にもいない。指名手配こそされているけど、五百年前だとか、魔王だとか、そんなこと本気で信じている奴は誰も居ないと思うけど」
「まっ、確かになぁ」
「──だけど。お前の『力』は、違う」
「あん?」
エーフィーは真剣な眼差しで魔王を見つめながら、考えるように呟き始めた。
「あの時、間違いなくお前はデルバの魔術を『素手で弾き飛ばした』。理屈的に、魔術を防ぐにはその魔術構造を理解し、それに適切な魔術を放つことで相殺する必要がある……いわゆる〈防御魔法〉ってのは、かなり高度な思考と技術を要するわけ。だから、大半の場合は『回避行動』を取るのが定石とされている」
「ふぅん?」
「──それ、その反応だよ。そもそもお前、『魔術の理屈すら理解していない』でしょ? 即ち、何も考えずに、魔術を、しかも素手で弾き飛ばした……これが、どれだけぶっ飛んだ行為なのか分かる?」
「つまりは────お前も、俺のことが全然理解出来ていないってことだ」
「……」
「で? どーするんだ? また尻尾巻いて逃げるか?」
エーフィーの背後に出入口はない。
彼女が脱出するには、魔王さまの後ろにある穴を抜けていくしかない状況だ。
逃げられる可能性は、限りなく低い。
そう判断した上での魔王さまの発言を受け、エーフィーは────微かにほくそ笑んでみせた。
「…………逃げる? ふっ、その考えが既に浅はかなんだよね。気付かなかった? お前らはとっくに────私の術中にあるってことを」
「……!」
次の瞬間。
魔王さまの足元から地面を突き破って『水』が噴き出してきた。
間欠泉……ではない。
この迷洞に水脈は通っていないし、火山地帯という訳でもない。
つまり、この『水』は────エーフィーの魔術によるものなのは明白だった。
「〈命は水から産まれ、やがて水に還る。それぞ自然の摂理と定めるならば────命よ。大いなる水に沈み、無様に溺れ堕ちよ〉」
まさか……にわかには信じ難いが……。
魔術とは、大雑把に言えば自然を自在に操って超常現象を起こす術だ。常人では精々『放つ』程度の芸当が精一杯だが……魔力、自然、魔術に対する理解を深めれば深めるほど、その者の操り方も高精度化していく。
そしてやがては『放つ』だけに飽き足らず、周囲に自身の掌握する『異空間』を展開することも可能になる。
魔術の完成形の一つ────〈
現在、サクディミオンでも〈それ〉を行使することが出来る魔術師は数える程しか居ない、と思っていたが……まさか、こんな詐欺師の小娘が使えようとは……。
間違いない。
このエーフィーとかいう小娘……魔術という視点だけで見れば────『完成された魔術師』に限りなく近い存在だ。
「────〈顕現領界・
満ちる、満ちる、満ち溢れる。
エーフィーの魔術により、そこそこ開けた空間も五秒足らずで水槽のように満杯になった。
まるで────巨大な水牢。
そのど真ん中には、水に閉じ込められて身動きが取れなくなった魔王さまが、何も出来ずにもがき苦しんでいた。
「ゴボ……ッ!」
一方のエーフィーは、水の中を魚のように悠々と遊泳し、魔王さまの姿を見下ろしている。しかも、魔王さまと違って水中でもちゃんと呼吸が出来ている様子だ。
「こう見えても、私ってさ────公認勇者認定試験の『最終試験』まで残ったことがあるんだよね」
「……!」
「デルバに魔術の使い方を教えたのも私。あいつは才能が無くて、見かけ倒しの魔術しか使えないままだったけれど、私のこともあのゴミと同じ様に見ていたら痛い目見る……あっ、ごめん。もう遅いか」
エーフィーが腕を振るうと、水中で巨大な渦が発生。
岩盤を抉りながら荒れ狂う大渦。そのど真ん中で渦に晒される魔王さまは、上下左右に身体を激しく揺さぶられながら、岩盤に何度も全身を叩きつけられていた。
このままでは圧死……いいや、水を飲み過ぎて溺死、遠心力に負けて全身がバラバラにされる可能性がある。
こんなデタラメな魔術……ただの一般人は元より、並の魔術師、いいや海に慣れた漁師でさえも、一度呑まれればひとたまりも無いだろう。
「この〈水中空間〉は私の〈領界〉。考える間も、抵抗する間も、お前には与えてやらない。反撃出来るもんならやってみなよ────やれるもんならなッ!」
エーフィーの雄叫びにより、荒れ狂う螺旋は更に激しさを増す。
最早、外側から内部の様子は窺い知れない。
流石の魔王さまといえども、万事休すか?
ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー
サクディミオンは……この世界は、息苦しい。
一般市民は生かさず殺さずの生活を強いられている中、それを絶好の機会と言わんばかりに、詐欺師、強盗、暴漢、テロリスト……俗に言う『悪人』が蔓延る世の中になっている。
要は、身動きが取れないのに……ずっと、こう、首を絞められているような状態だ。
だけど、多くの者は何もしない。
反抗することも、助けを求めることも、何もしない……それが、普通の反応だった。
そんなの────私は、御免だ。
私は、足掻く。
首を絞める奴らを蹴散らして、まるで水中のような息苦しい世界から這い上がり、思いっきり息継ぎをしたい。
その為に、私は足掻き戦うことを決めた。
公認勇者認定試験に挑んだのは、その足掛かりを得たかったからだ。
ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー
そう思われた矢先だった。
「──!」
スバンッ!!
突如、巨大な水の牢獄が垂直方向に────真っ二つに裂ける。
左右に断たれた巨大な水の塊は未だにエーフィーの〈領界〉下にあるのか、四散することなく風船のように宙を漂い続けていた。
エーフィーが起こした事象ではない。
自然に起こった現象では有り得ない。
驚愕に暮れるエーフィーの視線の先では、ずぶ濡れとなった髪を勢いよく搔ぎ上げる『魔王さま』の姿があった。
あたかも、ただ水浴びでもしてきたかのような様子で。
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