7、「勇者は負けない」


 間一髪。

 ロチャの異変にいち早く気付いたエーフィーに呼び掛けられ、デルバは地獄絵図と化した広場から脱出した。

 あんな胞子に呑まれれば、デルバたちもただでは済まない。かといって何も起こらなくとも、あのままでは警察ギルドに捕まるのも時間の問題だった。

 最早、彼らはこれまでの稼ぎを放棄してでも、逃亡するしか手立てはなかったのだ。

 そうして彼らが辿り着いたのは、ナップス村から比較的近辺にある山岳地帯。その片隅にある『洞窟』の前だった。


「ハァッ、ハァッ……お、おい、ちょっと待て……『ここ』に逃げ込むのか? 迷い込んだら、一生外へ出られなくなるんじゃ……」


 ────『ラヴィー迷洞めいどう』。


 話によると……魔術か何かによる影響からか、内部の岩壁が絶えず『動いている』為、マッピング不可の迷宮になっているらしい。かつての伝説の勇者が創造した『伝説の武器』が眠っている……という噂もあるが、その真偽は定かではない。

 そうした噂を聞き付け、まだ見ぬお宝を求めて数多くの冒険者がこのラヴィー迷洞に挑んだが……帰ってきた者は誰一人として居ない。

 その為、今は迷洞に挑む際の休息地として使われていたナップス村の村人が、旅人たちへと注意喚起しているほどだった。


「一時的に身を潜めるのに適した秘密の隠れ場所を知っています、任せて下さい」


 そんな危険な洞窟の中へ、エーフィーの先導で足を踏み入れる。

 脱出不可の迷洞とはいえ、本当にルートを知っているならば、これ以上の隠れ家は他にない。取り敢えずはほとぼりが冷めるまでは、隠れている方が懸命だろう。

 そうしてしばらく間、まったく代わり映えのない洞窟を進んでいたが……。


「はぁ、はぁ……一体いつまで歩くんだ、エーフィー…………エーフィー? 何処へ行った、エーフィー? おい……?」


 エーフィーの姿が無い。

 人の気配どころか、物音一つすら聞こえない。

 はぐれた……?

 まさか、こんな迷宮の真っ只中で……?


「う、うううそ、だろ……? エェェフィィィッ!! じょ、冗談はやめ────」


 慌てて声を上げようとしたが……最後まで続かなかった。

 突如、彼の背後からまるで突風のように────【胞子】が吹き抜けてきたからだ。


「な、なんだッ!? なんだなんだッ、一体なんなんだよォッ!?」


 無数の【胞子】はデルバの目の前で人の姿を形成すると、彼にユラリと迫り来る。


 ────【マシュロオオム】だ。


 紛れもなく、命の危機。

 しかし、デルバは逃げることは出来ず、完全に腰を抜かした様子でその場でへたり込んでしまった。


「来るなァッ!! くる、なッ、やめッ────うわぁぁぁァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」







 ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー








 ラヴィー迷洞には、どういう訳か岩盤が動かないルートがある。それを正確に辿れば、まさしく隠れ場所に相応しい広い空間に出ることが出来るのだが……その事実を知っている者は、恐らく世界でもほんの数人しか居ないだろう。

 ただ一人安置に辿り着いた私は、遠くの方から微かに悲鳴が響くのを聞き逃さなかった。


「……まったく。折角、公認勇者として立ててやったのに────使えない男」


 デルバ、あいつは根っからの詐欺師だった。

 悪知恵は働くが、あくまで口だけ。

 喧嘩になれば、そこらの不良にも負けるような力しか持っていない。

 他者を陥れることに躊躇いは無く、どうすれば自分が得するのか……それしか考えられないような人物だ。社会的弱者、情弱、災害の被災者……そうした自分より弱い者たちを上手く言いくるめて、徹底的に叩き落として、あいつは小銭を稼いできた。

 魔術をある程度使えるようになった上に、【遺物】の力で周りの反応が同調してくれるようになって、少し気が強くなったみたいだが……まぁ、所詮はその程度だったということだろう。


「あんだけ胞子が飛び散ったら、流石にナップス村はもう駄目か……」

「────うああぁぁぁっ!!」


 突如、甲高い雄叫びを上げながら走ってきた一人の幼い少年が、木の棒でバシンッと脚を殴り付けてきた。

 接近に気付かなかった訳ではない。

 だが、所詮は子供。

 あんなモノで殴られても痛手にならないことは考えるまでもなかった。

 だから私は、敢えて一撃を与えるチャンスを譲ってやった上で、一切微動だにせずにその小さい子供をギロッと睨み下ろしてやった。


「……なに、急に? お前、どうやってここまで入ってきたわけ?」

「もう逃がさないぞ、悪人め……! ここで僕が、このアレトが倒してやるっ! うああぁぁぁっ!!」


 再び、少年が木の棒を振り被って走り迫ってくる。

 あまりにも無謀な姿に、私は溜め息を一つ。

 振り下ろされた木の棒を素早く手刀で横に薙ぎ払うと、真ん中でポッキリとへし折れた。

 武器を失った少年が顔を歪めて動きを止めた隙に、胸ぐらを鷲掴みにして、その小さな身体を宙吊りにする。


「ぁう……ッ!」

「一つ教えておいてあげる。無謀な正義感は身を滅ぼすよ? まぁ、お前みたいなガキんちょに説明したって、理解すら出来ないだろうけど」

「……ッ……勇、者は……」

「ん?」

「勇者は、悪人には、負けないッ……どんなにピンチでも、くじけずに、戦うんだッ……勇者はッ、勇者はッ……強いんだッ……だか、ら……僕もッ、負けないんだ……ッ!!」


 子供は、純粋無垢だ。

 少年の言葉に、デルバのような嘘や忖度などの浅い心情はない。心の底から、勇者という存在に憧れ、勇者の強さを信じているのだろう。

 透き通るほどの、眩いほどの、勇者への信頼が少年の中にはある。

 だからこそ。

 私にとっては、それが……。



 ────鬱陶しくて、仕方がなかった。



「…………どいつもこいつも、口を開けば勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者……」

「ぇ……ッ!?」

「その名前を────私の前で口にするなッ!!」


 我ながら大人げない反応だったかも知れない。

 思わず感情が爆発し、少年の小さな身体を放り投げる。そのまま地面に背中から叩き付けられた少年は、辛そうに息を吐きながら悶えていた。


「ぎゃぅッ!? ぅぅ、ぅ、ぅ……い、た……ぃ……ッ」

「そんなに勇者が恋しければ、ワンワン泣き叫んで助けでも呼べば? どうせこんな所に助けなんて来ないよ、あんな名前だけの無能集団なんかにね」

「ちがう、もん……勇者、さんは……むのう、なんかじゃな……ッ」


 少年の気弱で精一杯な反抗は、最後まで続かなかった。

 倒れた彼の背後から、砂嵐のように無数の【胞子】が飛来して少年の目と鼻の先で人型を形作ると、彼の首を鷲掴みにしたからだ。

 どうやら、デルバの方は『終わってしまった』ようだ。


「ひッ、ぃ……ッ!?」

「現に、ナップス村に公認勇者は来なかった。世間の悪人たちに名前を良いように利用されて、今やナバラントの思惑通りに世界中で悪評が広まりつつある。結局はその程度なんだよ、勇者なんざ」

「勇者、さんは……負けない、もんッ……絶対に、助けに来てくるってッ……約束、してくれたんだもんッ……だからッ、だからぁ……」


 この期に及んで、まだそんなことを言えるなんて……威勢だけは一丁前だ。

 だが、所詮は子供。

 どれだけ強がっても、『最悪の事態』は最早変えようがない。


「現実を見なよ。お前みたいに何者でもないガキんちょ一人を助ける為に、勇者がわざわざ来る訳がないでしょ?」

「ぅッ……ぁう、ぅぅ……ッ」

「そういった意味じゃあ、詐欺師よりもよっぽどたちが悪いよね。平気でありもしない希望を抱かせて、最終的には何も出来ない。勇者は、卑怯者だ。勇者こそが、詐欺師だ。勇者なんて、平和の偽善者だ。私たちよりもあっちの方が────よっぽど極悪人だろうがッ!!」

「…………ぁ………ゥ……ちが……ぅ…………ち、が……ぅぅッ、ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……ッ」


 【遺物】の放出する胞子が、少年の全身を覆い尽くしていく。

 あそこまで胞子を体内に取り込んでしまえば、子供とはいえども発狂どころではない……最後に待ち受けているのは────避けようのない『死』。

 最期に私が耳にしたのは、少年の泣き声が織り交じった苦しそうな呻きだけだった。









 ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー ※ ー









 今も脳裏に焼き付いている。

 あれは、村の近辺に現れた狂暴な獣を、何処からともなく現れた本物の『公認勇者』が討伐してくれた時のこと。

 獣を討伐した後は、村を上げて盛大な送別会が開かれ、公認勇者たちの尽力を讃えた。

 その宴で、アレトは公認勇者の一人とこんな会話を交わしていた。


「勇者さんだって世界中でお手伝いしているから、忙しいでしょ?」

「君の言う通り、俺たちもずっとこの村に滞在している訳ではない。次は、ここからもっと離れた場所へ、困っている人たちを助けにいかなくちゃいけないんだ」

「分かっているよ。だから、僕もワガママ言わないよ…………ほんとは、もっと一緒に居て欲しいけど……」


 幼くとも分際を弁えていたアレトは、翌日に村を去る憧れの勇者たちを引き留めはしなかった。

 ただ、やはり寂しい。

 そんな感情を隠し切れなかったアレトに、その公認勇者はこう切り出した。


「────『勇者は負けない』」


 まるで合言葉のような発言に、アレトは目を丸くして体躯の大きい公認勇者を見上げる。彼はその場で片膝をついて、アレトと同じ目線になって続けた。


「えっ?」

「これは、君にも使える『魔術』だ。何かに挫けそうな時、辛くて怖くて泣きそうな時は、そう唱えて自分を奮い立たせるといい。君が勇者を信じる限り、その魔術は必ず君の力になる筈だ」

「…………えへへっ、勇者さんは大きいのに優しいね」

「むっ、そういう君は……気遣いが上手いな」

「大丈夫だよっ、僕はどんなことがあっても勇者さんのことを信じているからっ」

「そうか。それなら、俺もここに誓おう。君たちが、何か困ったことに遭った時は……俺たち『勇者』が、必ず君たちを助けに来る。だからそれまで、諦めずに待っていてくれ」

「……ッ…………約束、だよ?」

「あぁ、約束だ」


 それは、アレトの憧れとなり夢となった、偉大な勇者と交わした約束。

 アレトは、勇者に命を救われた。

 村の大人では手も足も出ない狂暴な獣に襲われた時、身体を張って助けてくれたのは、他でもない勇者だった。

 その瞬間の……。

 勇者の優しい言葉と、勇者の大きな背中は……。

 今も、強く、強く……。

 アレトの脳裏に焼き付いている。




 ────大丈夫か、アレト?




 突如、強い突風と共に一つの人影が目の前に飛び込んできて、【胞子】が一欠片も残らずに吹き飛ばされる。

 その瞬間、アレトは確かに見た。


「────よぉ。大丈夫か、アレト?」


 その優しい言葉を。

 その大きな背中を。

 あの時、獣に襲われた時に見聞きした────公認勇者の後ろ姿を。


「──ッ!」

「…………勇、者……さ……?」

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