第23話:辺境の魔王、かく語りき⑧


 目の前に漂ってきた白いもやは、のどが痛くなるきな臭さに満ちていた。間違いなく煙だ。ごく近くでぱちぱち、と不吉な音がして、とっさにあたりを見渡すも、目の届く範囲に音源らしきものはない。確かに火の爆ぜる音だったのに。

 「伊織さん、上ですっ!!」

 悲鳴みたいな沙夜の声で、伊織だけでなく全員が勢いよく顔を上げた。――その直後、見なければよかったと誰もが思った。

 真ん中が沈下した森の道がゆるくカーブを描き、二手に分かれて山の中へと向かう分岐点。その上を覆っているのは、左右の森に生い茂る広葉樹の枝葉だ。先ほどまで木漏れ日に透けて爽やかな風情だったそこに、いつの間にか異質なものが紛れ込んでいた。

 遠目には一瞬、明るい色の花か木の実と思えなくもない。だが、距離からすると大きさは一抱え程度、強い風もないのにもぞもぞと動いていて、さらには内側から熾火のようにギラギラと光っている……という姿を見れば、意見を改めざるを得ない。

 「色モスの群れ……じゃ、ないっすよね? あいつら火なんか出しませんし」

 「若いの、わかっとるならわざわざ確認せんでくれ。あれの亜種のセントーリア・フォスフィ、通称燐モスというやつだのぅ。ラズモアの山道で見つけたときはたまげたぞ」

 「たまげたで済む話じゃないでしょうが!! この大陸で起きる山火事の半分はあいつらの異常発生のせい、ってアレ!? なんででっかいだけで大体無害な色モスと間違えたのよっ」

 「そんなに危ない子たちなんですか!?」

 「ええ、まあ……多分だが、見つけたのが早朝だったからじゃないかな? あれは木の葉を燃やした煙を食べるから、靄や朝露で濡れているときは活発に動きにくいのでは」

 『ご名答です。クロフォード様』

 「「「うわあ!?!」」」

 やや頬を引きつらせつつも落ち着いて分析しているリアムの、すぐ横手からにゅうっと何かが生えた。そろって跳び退いた一同に、声の主――そばの土壁から上半身を出している、バラ色の巻き髪にエメラルドグリーンの瞳をした美少女が『どうも』と一礼してみせる。表情に乏しい顔立ち同様、その所作も完璧に整っていて、余計にミスマッチな光景だった。

 「おおイライザ、戻ったか! どうじゃ、あやつらの動向は」

 『はい、ハインツ様。燐モスはトレイル山には分散せず、この一か所に集中している模様です。植生などを鑑みるに、おそらくオーク類の葉を好む個体群かと』

 「ほうほう、なるほど。この道は秋口にはドングリで埋まるほど落ちるからな――」


 ――ぼぼっ。


 『ハインツ様!』

 「わああっ、領主さん肩! 肩が燃えてる!!」

 「きゃーっ! きゃーっっ」

 「のおおおおっ!?」

 どうやら顔見知りらしき美人さんの報告に、真面目にうなずいていたご領主のマントがいきなり発火した。黒いせいか素材のせいか、結構な勢いで燃え上がるのを、近くにいた伊織と沙夜が必死で叩いて消火する。

 しかし、騒ぎはそこで終わらなかった。見れば森のあちこちで、同じように火の手が上がりつつあるのが見て取れる。原因は言うまでもない、頭上に集まっている巨大なガだ。もふもふの胴体から伸びる羽根が動くたびに、光る鱗粉がはらはら落ちてくる。それが枯れ枝や落ち葉に触れると、火種が無限に増殖していくのだ。しかも、

 「アンジェラさん、危ない!!」

 「うや~~~~~~~っっ!?!」

 身体が重いせいなのか、それとも仲間に押されてバランスを崩したのか。とにかくぽろっ、と群れからこぼれた燐モスの一匹が、ぱたぱた羽ばたいてこちらに向かってきたからたまらない。直撃コースにいたアンジェラは、ギルバートともども地面に転がって難を逃れたが、その向こうには消火活動を終えたばかりの伊織たちがいる。

 『――黒髪の方、後ろを!!』

 「伊織さん!!」

 「わ、わ……っ!!」

 周りから一斉に声が上がって、振り返った伊織が見たのは、まっすぐこちらに飛んでくる巨大なガの姿だった。走って逃げるヒマは――ない!

 

 ぼしゅっ!


 とっさに目を閉じ、顔の前で腕を交差させたとき、誰かが伊織を力いっぱい抱き込んだ。直後にすぐ近くで柔らかいものがぶつかる音、じゅうっと何かが焦げる音、そして押し殺した、苦しそうなうめき声が耳に触れる。

 「――リアムさん!?」

 背中でガを受け止めた、のだろう。自分ごとその場に膝をつき、荒い息をつく相手の姿を目にして、頭が真っ白になった。


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