第19話:辺境の魔王、かく語りき④


 「ど、どうして? 私何も……」

 「言いたいことを我慢している人は、顔つきで分かるもんなんです。あくまでも何となく、ですけど」

 ひそひそ声で言ってくる相手に、同じように潜めた声で返してやる。元いた世界での経験則があるのだ。……ただし、あまりいい思い出ではないが。

 「うちの従姉妹が何ていうか、ものすっごく気が強くて。よく周りの子をいじめ……もとい、ケンカになってたんです」

 わけあって居候していた伯父一家の一人娘で、伊織にとっては従姉妹に当たる朱璃じゅりはとにかくワガママだった。気に食わないことがあるとすぐにかんしゃくを起し、周りに当たり散らすという、甘やかされたお嬢様にありがちのパターンだ。

 その標的になるのは大抵伊織で、そうでなければ先生や保護者に相談できないような大人しい子だ。しかも人目につかないところでやるから質が悪い。そんな辛くてたまらないとき、口に出せない気持ちが表情に現れていることがままあった。

 それで『ああ、今はあの子がいじめられてるんだな』と察知しては、こっそり頼れそうな先生に注進していたものだ。我ながらよくバレなかったなぁと思うが……まあ、それは置いといて。

 「婚約破棄したって言われたとき、クレアさんは驚いてたけど、どこか嬉しそうに見えたんです。それで」

 「そ、そうなんですか!? あの、まさか両親も気付いて……」

 「あ、それは多分大丈夫。見えるって言っても、わたしのはほとんどカンみたいなものだし。――もしかしてだけど、他に好きな人がいる、とか?」

 「…………は、い」

 出来るだけ軽く訊いてみたところ、相手はぼふっ、と音が聞こえそうなほど勢いよく真っ赤になった。かけてある毛布を、ひざの上でもじもじいじりながら、小さな声で話してくれる。

 「王都の本店で働いている人で……ワインが大好きで、とっても優しくて、他のみんなからも慕われてて。よそから縁談が来なければって、何度も思いました。

 両親が大切にしてくれているのは分かります、善良な人たちだということも。でも大切な場面であるほど、私がどう思っているかを聞かずに決めてしまうところがあって……」

 「うーん、ひとりっ子あるあるなのかなぁ。アンジェラさんはどうですか」

 「え、そこで私に振る? 確かに兄弟はいないけど。……まあ親にとって、子どもはいつまでも小さい頃のまんまだ、っていうし。特にお母様の方、ものすごく世話焼きっぽいしね」

 「うう、まさしくその通りです……地元を離れてる従業員のみんなに頼られてて、評判はすごくいいんですけど……」

 なるほど。あのちゃきちゃきした感じは、確かに下宿の女将さんとか、学生寮の寮母さんとかに通じるものがありそうだ。

 的確な指摘に頭を抱えたクレアに、沙夜がすうっと寄って行って背中を撫でてやる。静かな優しい声で、

 「クレアさんが信用できない、ってことじゃないはずですよ。せっかく命が助かったんです、この機会にご自分がどうしたいか、落ち着いて話し合ってみてください。後悔しないように」

 「――はい、守り神様。がんばってみます」

 「上手くいくといいですね。沙夜ちゃんと一緒にお祈りしてます!」

 「ありがとうございます、聖女様。……あ、そういえば」

 伊織が重ねて励ますと、ようやく笑顔を見せてくれた。そこで何か思い出したようで、傍らに置いてあるサイドテーブルに手をやって、畳んだハンカチらしきものを手に取る。こちらに向き直ってから開くと、中央に小さなものが載っていた。桜色よりは濃い薄紅で、両端がすぼまった形をしている。花びら――ではない。

 「これ、唇の形してる?」

 「はい。意識が戻ったとき、口元にこれが張り付いていました。こちらで担当して下さった神官様にご相談したら、害のないものだけれど一度聖女様にお見せした方が良い、とおっしゃって。――何かお役に立ちますか?」

 そう言ってまっすぐに見てくるクレアの瞳は、絶大な信頼と期待でもってきらきらしている、気がする。言われてみれば、紅の呪いから解き放たれた最初の人物なのだ。その彼女からはがれ落ちたものなら、今後大きなヒントになる可能性は高い!

 「立ちます立ちます! これ、分析とかに回せないかな!?」

 「ここの神殿なら出来るはずよ。今までさんざん手こずってたから、みんな喜ぶんじゃない?」

 「ですね。元々治癒や解呪が得意な人が多いらしいっすから。

 ――あ、ちょっと待ってください? 誰か来ますね、それも大勢」

 一同が盛り上がる中、ふと外を見たギルバートがそんなことを口にする。しばしののち、窓の外から複数の人物が大声で言い交わすのが聞こえてきた。


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