第18話:辺境の魔王、かく語りき③


 「うちの商会は昔から、ワインを主に扱っておりまして。本店は王都にあるんですけど、エルチェスター周辺にもずっと農場と醸造所を構えて、ブドウの時季や初売りなんかで年に数回行き来をいたします。それで二週間前も後学のため、クレアはいつも通りに夫と本店に向かったんですけれど」

 異変が起きたのは、つつがなく仕事を終えて帰ってきてからだった。毎日ちゃんと休んでいるのにぼうっとすることが増え、そうこうしているうちに夜だけでは寝足りなくなり、日中もほとんどの時間をうつらうつらして過ごすようになった。さらには、夢遊病みたいにふらふらと外に出て行ってしまって、自力で帰って来れなくなるというケースも出てきたのである。

 「一度なんか街道に出て山の方に行きかけてたのを、見回りに出ていた騎士の人に発見されたこともあるんです。そして本人は、その間のことをほとんど覚えていませんでした」

 どうにか落ち着いたらしきセルジオも、奥方の後ろからそっと補足してくれる。部屋には入らず廊下で待機しているアンジェラに視線を向けると、すぐに頷いてみせた。派遣隊を取りまとめる彼女も、ちゃんと報告を受けていたようだ。

 「山の間を通る道が沈下してるから見てほしい、って言われて、たまたまそっちの方に行ってた班がいてね。春先とはいえ陰になってるところは冷えるし、奥に入り込む前に見つけられて良かった、って言っていたわ。寝付くほど具合が悪いんならなおさらね」

 「そうでしょう! 明らかに様子がおかしい、これは絶対病気か呪いだって、心配するのが筋じゃありませんこと!? なのにこの子の許婚、同業の大店の跡取りでしたけど、そんな状態では結婚なんて難しいだろうから少し時間をくれ、ですって!!

 あんまり腹が立ったものだから、その場でこちらから破談にいたしましたわっ」

 「「「えっ!?」」」

 「……あのぅ、それって私たちが聞いていいお話なんですか……??」

 「良いんです! むしろ言いふらしてやってくださいませ!!」 

 いや、それもどうなんだ。そりゃあ母親としては頭に来たに違いないが、同じ業界でのいざこざは避けといた方がいいのでは……

 そんなようなことを真面目に危惧した伊織は、ふと目に入ったクレアの表情に違和感を覚えた。破談については彼女も初耳だったらしく、大層驚いた顔をしている。それは良いのだが――

 どう切り出そうか、と迷っていると、背後からそっと肩に手を置かれる。ぱっと振り返った先には、相も変わらず穏やかな顔つきのリアムがいた。

 「まあまあ。お気持ちは分かりますが、せっかくお嬢さんが回復傾向になったんです。今はそちらを喜んであげて下さい。

 それで今後の治療というか、いつ頃自宅療養に切り替えるかのご相談なんですが。担当の神官が来ておりますので、どうぞこちらへ」

 「まあ、すみません! そうですわね、せっかく元気になったんですもの」

 「ご配慮ありがとうございます。クレア、我々はちょっと席を外すよ」

 「はい、わかりました。二人とも、また後で」

 実に自然な流れで誘導して、ご両親を連れて部屋を出て行く。ドアが閉まる直前にちらっと振り返って、軽く片目を瞑ってみせた。ああ、あっちも気づいていたのか。しつこいようだがいちいち格好いい。

 「……ホントに気配りが上手いよねえ」

 「ふふふ、そうですねぇ」

 何故か大変楽しそうな沙夜と、ぽそぽそ言い合いながらちょっと待つ。足音が廊下を遠ざかって聞こえなくなってから、そっとたずねる。

 「――クレアさん、聞いても良いですか。もしかして婚約、イヤだったりした?」

 ささやくような問いかけに、クレアが先程よりもさらに驚いた顔をする。その反応に、予想が正しかったことを確信した。


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