第16話:辺境の魔王、かく語りき①



 エルチェスターは古い街だ。その起源は建国以前、古代民族の末裔が築いた城砦であるとされ、周囲には塚や墳墓といった遺跡が数多く残されている。外縁を守っている防壁も、街に面して王都まで続く大街道も、その時代のものをずっと受け継いできたという。

 いにしえの知恵とその歴史を、次代に守り伝えていくのは大切なことだ。先人の歩んだ軌跡を学ぶことは、己の行く手を指し示す道標を得るに等しい――はずなのだが、

 「……うーむ、また道面が下がっとるなぁ。こりゃ」

 街の郊外、塚山の間を通る私道で、独り言ちる人物がいた。壮年から初老、といった年代で、こんな山中には相応しからぬ長い外套とトップハット姿の男性だ。やや中腰の体勢で見つめているのは、足元ではなく道の左右だった。

 「早いところ盛り土をして、敷石を取り換えんとな。いくらここらの地盤が頑丈でも、人馬の行き来は休みがない」

 頭上を林冠が覆い、木漏れ日が降り注ぐ心地よい道は、なぜか真ん中の部分だけが周囲よりも低くなっていた。両脇に壁のようにそそり立っているのは、かつて一続きだった森の地面だ。下半分だけのトンネル、といえば分かりやすいだろう。

 人々の行き来に伴って、元々柔らかかった地面がどんどん沈下していった結果だ。初代領主もこれはまずい、と思ったらしく、運んできた土を敷き詰めて踏み固め、その上から補強として石畳を設置し、さらに万全を期すために定期的な補充と交換を義務付けた。今から数百年前、ここエクセリオン王国が創られてすぐの頃のことだ。

 『――それが次善の策でしょうね。根本的な解決にはなりませんが』

 ふいに澄んだ、それでいて硬質な声が響いた。さして驚いた風でもなく腰を伸ばして、軽く叩きながら背後、いや、斜め頭上に視線をやる。

 「そう言ってくれるな、あれこれ試した末のことだ。他所に道を通す、というのが現実的でないのは分かっとろう、イライザ」

 『ええ、勿論。エルチェスター周辺の地理と地盤の強弱、水脈の分布については把握済みです』

 やはり抑揚の少ない声で答えたのは、鮮やかな薔薇色の髪と翠玉の瞳を持つ少女だ。ふわふわと宙に浮くその容姿は一分の隙もなく整っていて、纏った黒一色のドレスが余計に浮世離れした雰囲気を醸し出している。ついでにほんのわずかだが、その姿越しに向こうの景色が透けて見えていた。

 『ひと月以内には補修の立案、および現場監督者の決定、加えて作業従事者を募る必要があるかと。どうなさいますか』

 「そうじゃなあ、早いに越したことはないが……今わりと大変なことになっとるしなぁ、うちは。募集をかけても集まるかどうか」

 『紅の呪い、ですか』

 「その通り。幸い街の神殿は、昔から職務熱心なものが多い。最近来てくれたあやつも、随分頑張ってくれとるようだが……」

 何せ出所も経緯も不明、しかも致死率がかなり高いという厄介な呪詛だ。知己である大神官は若いながらも有能だし、ここ数年で相当に腕を上げていると聞く。実際、彼が中心となって動き出してからは、周辺での被害者の増加を確実に抑え込んでいる――が、彼らとて人の子だ。このまま有効な手段が見つからなければ、いつかは力尽きる。

 (あれだけ苦労して来とるんだ。そろそろ奇跡の一つや二つ、起こってくれんものか)

 治癒も浄化も専門外だ。信仰にも縁がない。だからこそ、らしくもなくそんなことを思ってしまうのだろう。頑張っている若者には、一番良い形で報われてほしい。

 しかし、そんな弱音を口にしようものなら、傍らのイライザから理路整然とツッコミを入れられるに違いない。何せ彼女は優秀すぎる付き人だが、情緒の面ではまだまだ発展途上だ。悪気はないのは分かるものの、あえて食らいたくはない。歳を取るとメンタルが傷つきやすくなるのだ。

 「――さて、瑣事は後だ、後! 我々は今すぐ出来ることから手を付けようではないか、イライザよ」

 『了解いたしました。ご主人様マイロード

 心配事を吹っ切るべく、声を張って道の先を杖で指し示す。まるで冒険者が仲間を鼓舞するような、ちょっとばかりおどけた仕草に、美しい付き人は相変わらず冷静かつ丁寧に一礼して応えてみせた。



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