第8話:異世界は新米女神と共に⑧



 まじですか! と、反射的に叫びかけて慌てて口を押える。周りの人には沙夜が視えないのだ、うっかりすると何もいない空間とおしゃべりする人になってしまう。まあ救い主の神官どのは今現在、目の前で展開するもっとすさまじい光景に注目しているので、ちょっと挙動不審になってもそっとしておいてくれそうだが。

 「……ほ、ほんとに!? いや、だってこのお兄さん、呪いとかに関してはきっと専門家だよ? それでもダメって相当やばいんじゃ」

 「はい! 元々はあの人の想いから発生しているようなので、外から祓うのは難しいんですけど! でも上塗りというか、ことは出来ます!! ――よいしょっ」

 ひそひそ訊き返す伊織とは対照的に、元気いっぱいに言い切って取り出したのは、両手ですっぽり覆えるほどの箱だった。茶葉を入れておく茶筒に似ていて、紅い縮緬地に桜の花が散った可愛らしい布でくるんである。

 本体と同じサイズのふたをぽん、と開けると、中に何かふわふわしたものが入っていた。目の前に差し出されたので思わず摘まんでみると、ふわんといい香りがする。これはもしかして、

 「おしろい? と、パフ?」

 「そうです、私の神気で作ったものです! はたいて色を付けると、神気ごとくっついて魔除けになります。唇が紅くなって呪いが発動するなら、その色を別のもので打ち消してしまえばいいんですよ!」

 「な、なるほど……!」

 やたらとハイテンションで解説してくれる沙夜だが、その内容はきちんと筋が通っていると思う。というか、出来ることがひとつでもあるなら片っ端からやってみた方がいい。それにもし失敗したとしても、今はその手のことの専門家がすぐそばにいる。後事を託してもきっと大丈夫!

 「あの、すみません! この結界って生身で突っ切れますか!?」

 「えっ? ああ、外側からなら出来るはずだが……」

 「わかりました、ありがとうございます! そしてすみません、万が一の時は骨拾ってください!!」

 「っ、は!? あっこら、待ちなさい、ちょっと!!」

 さっさと覚悟を決めると、我ながら物騒すぎることを言い残して飛び出した。背後からひっくり返った声が追ってくるが、今さら止まれるか!

 ダッシュして透明な壁をぶち破るつもりで突っ切ると、薄い膜に触れたような感覚があってあっさり通り抜けられた。そのとたん、先ほどまでの息苦しさが襲いかかってきて息を詰める。狭い空間に閉じ込められていただけあって濃度もひとしおだ。

 呼びかけて気を引く必要はなかった。結界に突入したのとほぼ同時に、女性がくるりとこちらを向いて、容赦なく霧の塊を吐いてくる。とっさに身を低くしてかわし、めいっぱいに片手を伸ばして、

 「ええいっ、目え覚ませー!!!」

 ぽふっ。と、利き手にはめたパフが相手の口元を直撃した。その瞬間、


 ひぎゃああああああああああああああッ!!!!


 耳をつんざく絶叫が上がった。漂っていた紅い霧が、発生源に向かって吸い込まれていき、一分もたたず完全に消え去る。同時に倒れ込んだ女性を慌てて支えたところ、先ほどの形相が嘘のように安らかな顔つきだった。胸が規則正しく上下に動いているので、命に別状はなさそうだ。

 「……よしっ、上書き成功です! 伊織さんすごい、勇気ありますねっ」

 「よ、よかったああああ……いや、だってあの状況で逃げるわけには……、って」

 褒めちぎる沙夜に応えつつ、女性を抱えたままその場にへたり込んだ伊織だが、ふと視線を感じて顔を上げた。……直後、見なけりゃ良かったと心底思った。

 「おお、呪いが……! 紅の呪いが消え去ったぞ!?」

 「あのお嬢さんがやってくれたのよ、すごいわ!!」

 「なあ、あの蒼い髪の子、浮いてないか……?」

 「しっ、失礼なことを言うでない! 王都の神官様でさえ手を焼く呪いを鎮めたんじゃぞ!?

 これはもう、聖女様とその守り神様に違いなかろう!!」

 「ありがたやありがたや……」

 (いやウソじゃろー!?! しかもなんか沙夜ちゃん、しれっと視えちゃってるし!!)

 見えない仕様じゃなかったの!? とすがる視線を向けてみるが、目を点にした沙夜から全く同じことを表情で訴えられてしまったらどうしようもない。

 かくしてそれからしばらくの間――騒ぎを聞きつけた街の衛兵たちが駆けつけてくるまで、伊織はそろって跪いて祈りのポーズを決めた街の人々に囲まれて、冷や汗を流し続ける羽目になったのである。



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