第4話:異世界は新米女神と共に④
(いかなくちゃ。いかなくちゃ。もうすぐ、叶うんだから)
頭の中で、同じ言葉がぐるぐる回る。気ばかり焦って、思うように身体が動かないのがもどかしい。
最近、ことのほか過保護になった両親のせいで、外出もままならないのだ。人目を盗んでこっそり着替えておき、世話役で見張りも兼ねる侍女が退出した隙をつかねばならない。自分はいたって正常だというのに。
「……、痛っ」
石畳につまづいて、とっさに道沿いの木の幹に手をついた。どうにか転ばずに済んだものの、じんわりとした痛みを感じて手のひらを見ると、うっすらと血がにじんでいる。色白を通り越して青ざめている肌のせいで、紅い色が恐ろしいほど冴えて映った。
(――あら? 私、こんなに血の気が薄かったかしら)
突然、憑き物が落ちたように思考が明確になった。自分は小さい頃から活発で、暇さえあれば外を駆け回って遊んでいた子供だった。そんな気質は成長しても変わらず、予定がなければ日に一度は散歩や乗馬をしていたのだ。
だからいつも血色が良くて、肌も健康的な色合いで。こんな、蝋のように不自然な白さではなかったはず――
ぐわんと、視界が揺れた。強い眩暈が襲ってきて、それ以上考えられなくなる。すぐ近くで、咲き誇る薔薇の強い香りがする。今は季節じゃないのに。
「――……、いかなくちゃ」
眩暈が治まったときには、先ほど感じた違和感は綺麗に消え去っている。虚ろな瞳で、うわごとのように同じ言葉を繰り返しながら、彼女は再びふらりふらりと歩き始めた。
「おおっ、すごい! 見て見て沙夜ちゃん、めっちゃ大きな街だよ!!」
「わ、わー……お祭りの日みたいですね……!!」
うっかり異世界(仮)に来てから、かれこれ数時間。
沙夜に周りを見てもらって、細いながらも明らかに人の手が入った道を発見し、それを下り切ったところにあった街道をてくてくとマイペースにたどっていって。その先に現れた待望の人里で、元気いっぱいにお上りさんをやっている伊織たちがいた。ついさっき見知らぬ場所に放り出され、宿なしになったばかりとは思えない順応っぷりである。
「伊織さん、少し休まなくて大丈夫ですか? さっきからずっと歩きどおしですけど」
「いえいえ、元気いっぱいですよ! おかげで無事に下山できたし、ちゃんとした街道を通って人里まで来れたし。沙夜ちゃんにもらったマントはあったかいし」
「……そ、そうですか? よかった、気に入ってもらえて」
はしゃぎつつも気遣ってくれる沙夜に和んで、羽織った淡い浅葱色のマントを広げて笑ってみせる。もしも山中で迷いまくったり、道が全く整備されていなかったりしたら、ここまでスムーズに移動できなかっただろう。彼女のおかげで歩きやすい、大きな街道に出れたことに感謝したい。
それにしても、だ。
「うーん、やっぱりみんな日本っていうか、現代っぽい格好してないね……トリップ確定かな、これは」
「伊織さん、とりっぷって?」
「あ、わかんない? 別の世界に飛ばされちゃうこと。元々は旅行とかって意味なんだけどね」
どうやらカタカナというか、外国の言葉に詳しくなさげな沙夜がそっと訊ねてくる。小首を傾げるしぐさが小動物っぽくて大変可愛らしいが、辺りを行きかう人々が目に留める気配は全くなかった。山で言っていたように、普通の人には姿そのものが見えていないらしい。
「……門にはエルチェスター、って書いてあったっけ。まさかこんなに規模の大きいとことは思わなかったなぁ」
伊織の感覚だと首都圏クラス、までは行かないものの、かなり大きい地方都市といった雰囲気だ。ヨーロッパの古い街のような石造りの門をくぐった瞬間に、活気のある空気が出迎えてくれた。大通り沿いにはいろんな店が立ち並んでいて、露店もたくさんある。売り子の呼び声や商談の声が飛び交って大変賑やかだが、イヤな喧しさではない。
周りで歩き回っている街の衆も、実に多種多様な服装をしていた。基本的に昔のヨーロッパ風だが、中には目にもまぶしい白銀の鎧姿だったり、不思議な紋様が施されたフード付きのローブを纏っていたり、あるいは身軽な出で立ちで大弓と矢筒を背負っていたり――明らかに一般市民ではない人もちらほら存在している。
(あれって多分、いや十中八九、冒険者の人たちだよね! ってことはギルドとか、それに近い寄り合いみたいな組織があるのかも!)
思わず心の中でガッツポーズした伊織である。一応仮にもファンタジー好きとして、異世界トリップしたならそういうところに行ってみたいじゃないか!
それに、冒険者は国境を越えて世界各地を旅して回る。そんな彼らの寄り合い所は、まさしく最新情報の宝庫だ。もしかしたら、自分たちと同じ状況になった人が他にいるかもしれないし、何なら元の世界に戻る手段があるかもしれない。いや、何が何でも戻りたいわけではないが、いくら神様とはいえ沙夜だって不安だろう。何がどうなっているのか、把握しきれていなかったようだし。
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