第99話 陰謀の影

 昭和14年9月中旬


 猪俣津南雄いのまたつなお先生は、

「ハハハ、そんなの迷信に違いませんよ」

 と笑っていた。


 小林順一郎氏も

「そうでしょうな」と答えた。


 猪俣先生が言う

「長岡地域、長岡油田を本拠地にする『日本石油株式会社』があるでしょ、あのコウモリのマークの」

「はい、しかし何かコウモリとは不気味ですね。蝙蝠は『福」の字に似ているからとか」


「よく気がつきました。あの社章は不気味に思う人もいますよね。あのマークもよくみれば『プロビデンスの目』を意匠としたものじゃないですか?上に『日』のマークがあってそれは目、下のコウモリはよくみるとピラミッドの形に似ていますよね」


「……ほんとだ」


「長岡藩の牧野子爵もお勤めですよね。長岡中学の社長がたくさん働いている。橋本(圭三郎)社長さんも長岡中学だ」


「猪俣先生、陰謀論に輪をかけるようなことを……」


「はっはっは」


「私は先生はソビエトのコミンテルンからとの繋がりがあると伺っておりましたが、ソビエトの陰謀論の方がもっと現実味がある」


 私ははたで聞いていて、小林氏は確信を付いてきたと思った。


 猪俣先生はすぐれない体調を押して振り絞るように答えた。

「日本陸軍は多くの農民を徴兵して成り立っている。昭和7年頃の恐慌で荒廃した農村の問題も解決もままならないまま、徴兵をすすめた。ソビエトはその農民階級である陸軍の兵卒、将官に革命に立ち上がることを期待していたが、結局は226事件でみな弾圧されて勢いを失った」


「まさにおっしゃるとおり」


「レーニンは1928年のコミンテルンの大会で、現在の世界の帝国主義国家同士での平和の維持は偽りの平和だと言っている。帝国主義の維持に他ならないと。お互いに戦い合わせることによって、世界の革命を意図しているのだと」


「そのような情報は得ております」


「ドイツが戦争を始めて、まさにレーニンの思うつぼになった。だがレーニンはもういない。レーニンは母方がユダヤ人、トロツキーもユダヤ人。スターリンは労働者階級に育ったグルジア(ジョージア)人であり、富裕なユダヤ人に憎しみを抱いていた。いや今も抱いているだろ。自由平等博愛的な、フリーメーソン的なものは、ユダヤ人の陰謀として反ユダヤ国家をつくるのがスターリンの狙いだ。

 スターリンは中国共産党を通じてアメリカ大陸にいる中国人に対し、アメリカ共産党に加わらせる動きを進めている。アメリカ共産党と中国人共産党は手を結び、いままでアメリカで進められてきた排日政策はすべてスターリンの指示を間接的に伝えているものだ。太平洋問題調査会 (Institute of Pacific Relations、IPR)を通じてアメリカで反日扇動を行っているのもソ連だ」


「猪俣先生、あなたは……どこまでご存じで?」


「わたしはもう長くないかもしれない。知っていることを伝えよう。アメリカの排日運動にはアメリカ共産党が関わっている。そしてアメリカのルーズベルト大統領の閣僚にもソ連の意図を受けて行動している共産主義者がいるということだ。ケインジアン(ケインズ経済学者〕的なフリをしているだけだ」


「アメリカのルーズベルト大統領の大臣の中ににソ連のスパイがいると……」


「東欧系ユダヤ系の閣僚だろう。日本の陸軍の上層部にもスパイはいる」


「陸軍には日本人しかおりませんが」


「小林君、あなたのような皇統派を粛正した中におる。統制派の連中だ。ソ連はもう皇統派を用無しと見ている。帝国主義国家同士の戦争を進めている。ただ彼らはスパイほど頭の良い連中ではない。スパイに踊らされているアホウだ。わたしは昔の『桜会』が怪しいと睨んでいる。ソ連から多額の資金を受けていたはずだ。彼らは芸者を上げて宴会三昧。いったいどこからそんな金が出たのか。226事件で青年将校が見て怒っただろう。それを苦虫潰して見ていた労働者諸君がどれだけいたか。それも階級闘争を起こすためのものだよ」


「桜会?今のまったく中枢部じゃないか!しかしよりによってまた……」

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