第97話 真陵

 昭和14年9月上旬


 私(本間花音ほんまかのん)たち一行は金澤村かなざわむら(旧金井町の一部)の浄土真宗本屋敷得勝寺を訪れた。いまこの金澤村千種に護国神社を創建しようという募金が行われていて、このお寺の住職が窓口であった。


 しかしこのお寺に寄ったのは募金をするということではなく、宿を貸してもらうのと、平沼騏一郎ひらぬまきいちろう内閣の総辞職で辞職した有田八郎ありたはちろう外務大臣が真野村まのむらを訪れるのに落ち合うためだ。


 猪俣津南雄いのまたつなお博士の足取りはまだつかめない。


 憲兵を気にしているのか、偽名をつかっているのだろうか。


 浄土真宗大谷派の得勝寺は、大きなかやぶき屋根のお寺だ。とても珍しく思えた。


 本堂に上げてもらい、そこでお参りをして休憩しているところに、

 有田八郎元外務大臣が訪れた。

 小林順一郎とは既知の関係である。

 平沼内閣の後の阿部信行あべのぶゆき内閣では、しばらく外相は首相が兼務することとなった。


 独ソ不可侵条約締結により、外交の立て直しのため、という名目で辞任することになったのだが、外交を見誤っていたのは外務省ではない。

 陸軍省、その中心にいる長州閥や統制派がまんまとハメられたのだ。


 阿部内閣組閣において、陸軍上層部は陸軍大臣に戦線不拡大派の多田駿ただはやお中将を推し、支那事変の解決への打開を図ろうと考えた。


 多田駿は、有田八郎氏と同郷、佐渡出身の本間雅晴ほんままさはる少将(当時)とともにオスカー・トラウトマン駐華ドイツ大使を介して蒋介石政権との交渉ルートを開く、「トラウトマン工作」を進めた人物であった。中国通である。


 しかし、この陸軍省が決定した人事に対して、東条英機が多田中将の入閣阻止に暗躍した。新聞社に「次の陸将の候補は多田駿か磯谷廉介」という情報をリークした。


 戦線拡大派は多田の陸相就任を阻止に動いた。木戸幸一内大臣にも工作をして、

 最終的に昭和天皇は「畑俊六か梅津美治郎か」という判断をおこなった。

 陛下は新聞にリークされた人物を大臣に据えることに反対であった。


 東条英機は政敵の多田駿を追い落とすことに、まんまと成功したのである。


 有田八郎元外相は小林順一郎氏にこう言った


「統制派の東条の動きは、不審である。なぜ戦争を拡大しようとするのか」と


「閣下もその背後になにかうごめくく者がいるとお思いですな」


「小林君は、それ探ることが出来るか?」


「東条は憲兵隊を意のままに操っていて身動きがとれない。だが……そうだ、東条と対立した大橋熊雄大佐なら」


「彼は今は内蒙古にいるだろ」


「近々日本に帰国すると言っている」


「東条英機の背後、それなら近衛文麿か……近衛文麿の背後にいる人物とにあたりをつけるしか……」

 

「中国国民党の蒋介石を潰して、誰が『得』をするかといえば」


「中国共産党、ただ彼らには日本で工作するような力はない、背後のソビエトだろう」


「やはり猪俣津南雄君の知恵を借りるしかないか」


「彼は義理堅いから密告などは絶対しない。スパイは誰かも知らないだろう。しかし彼と話をすれば、我々はヒントくらいは得られるだろう」


「それしかないか」

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