第77話 収容所と南十字星

 1946年春頃

 インドネシア共和国(未承認) ジャカルタ郊外 グロドック捕虜収容所


 昨年、昭和20年夏まではオランダ人や英国人捕虜などが収容されていた刑務所であるが、いまはすっかり日本人だらけになっている。

 田中菊松中将は将校待遇ということで、すこしはマシな部屋は当てがわれたが、他の日本人捕虜とする仕事に、大差ない。


 バタビアはジャカルタと呼ばれるようになったが、市街戦と治安悪化でスカルノとハッタはジョグジャカルタに退避している。対日協力者のスカルノとハッタと、対日協力に批判的であったアミル・シャリフディンとシャフリルの社会党政権と分裂し内紛が起きている状態であった。

 インドネシアの先行きが不透明な中、当然、祖国ニッポンと連絡が取りようもない。


 そういえば、開戦前にあった瞽女の女の子達はどうしているだろうか。

 あの糞度胸だけはあった(失敬)「宝剣ノア」という女の子だ。

 糞は糞でも、クソを使った必殺技も凄かったなぁ……


 手榴弾をつかって、肥桶にぶちこんで敵を爆砕した。あいつの勇気だけには負けないと誓ったものだ。


 この捕虜収容所では、農作業を行っている。

 鍬を持って畑に出かけて野菜を作る。赤道直下のインドネシア。とても暑い。

 越後の夏を思い出すようだ。


 中学校の時の野球を思い出した。

 鍬を耕しながら、ふと中学の校歌を歌った。


 「わが中学のその位置は、構えは八文字浮島の……」ザクッと鍬をさす


 すると後ろを通りかかった、誰かが足を止めた。

 そしてその人はこう続けた。田中中将と声を合わせるように

 

 「兜の城と名も高き……」

 えっつ!と鍬を止めて振り返ってみる。


  軍医らしき人がいる


 「君は長岡中学の校歌を知っているのか?」

 「もしかしたら、同窓会であった田中大佐……いや今は階級はもっと上でしょうが、その時は帝大医学部の学生だった、瀬水洋せみずひろし※です」


 「ああ、帝大生の。軍医になったのか?」

 「いえ、ジャカルタの医科大学の教授として…」


  はぁ?

 「帝大の先生なのか?」

 「医学部の研究室に入ってから、こちらで教授の口があるということでして」

 「ということは収容所の外から来ているのか?」

 「はい…大学病院の医師がまだ足りないというので。併せてこちらの診療も併せて行っています」


 「外の様子は分かるのか?長岡は空襲を受けたという話だが」

 「大空襲で千人以上が亡くなったと聞いています」

 「海軍病院(旧日本赤十字病院)のあたりはどうなのだ?」

 「そちらの方がひどくやられていて・・」


  瞽女ごぜ屋敷の方がやられたみたいだ。あの瞽女かのじょのみんなは大丈夫なのだろうか。


 「そうか……」

 「もし……私は外から手紙を出すことが出来るので出しましょうか」

 「お願いできれば、是非」


 収容所ではいろいろと外の噂は聞いている。ただし、軍とかインドネシアの情勢だ。

 寺内寿一てらうちひさかずは入院しているらしい。この医師から様々な情報を聞いた。


 辻政信はなんと行方をくらましているという。収容所の軍人はあきれかえっている。 ホントにどうしようもないクズだ。


 奥山佑おくやまたすくは海軍陸戦隊の中尉となり、仏印(フランス領インドシナ)にいる。彼の特命は 「寺内寿一と辻政信を始末すること」


 雷神隊は戦争が終わっても、この二人を抹殺すると誓っている。彼ならかならずや成し遂げるだろう。


 フランス領インドシナはフランスが再度兵を派遣しているというが、噂に聞くところ、新発田の第16聯隊は終戦時にサイゴン(現在のホーチミン市)に駐留していたとのこと。


 新発田聯隊の雄志は、ベトナムの独立指導者の胡志明ホー・チミン氏に合流して、ベトナム独立戦争を始めたという(第一次インドシナ戦争のこと)

 新発田聯隊も持っている武器をベトナムの民衆に解放した。

 ベトナム共産党のもとに日本兵が多数合流して、フランス軍との戦闘が始まっているともっぱらの噂だった。


 第二次大戦が終わり、インドネシアとベトナムでは独立戦争の火蓋が切られた。

 これは世界に広がるだろう。インドネシアとベトナムに続けと。


 その種火を撒いたオレには、きっと連合国の厳しい沙汰さたが待っているに違いない。


 ああ、オレは生きて日本の地を踏めるのだろうか。



 ※瀬水洋 改姓後 熊谷洋くまがいひろし

  戦中に東京帝国大学医学部の研究室在籍していたときに、日本占領下のジャカルタ医科大学の教授に赴任する。戦後は東京大学医学部に戻り薬学科薬品作用学教室初代教授となる。武見太郎たけみたろう日本医師会長の時代の副会長。

 日本医学会会長を昭和51年4月1日から昭和59年3月31日まで務める。

 旧制長岡中学校 大正11年卒

 


◇◇◇


 昭和17年10月11日 大日本帝国委任統治領 トラック諸島(チューク諸島)

 海軍泊地

 第三艦隊機動部隊(南雲忠一司令官)  重巡洋艦熊野 艦橋


 田中菊松艦長(大佐)は、ガダルカナル島上陸作戦の援護に向かう命を受けていた。前衛の第二艦隊(司令官近藤信竹中将・旗艦、重巡洋艦愛宕)は戦艦金剛と榛名などを引き連れ、重砲でアメリカ海兵隊の基地に対し艦砲射撃を行う予定だ。


 田中菊松熊野艦長らに与えられた任務は、この艦をもって空母艦隊(瑞鶴、翔鶴、瑞鳳等)を援護する。アメリカ海軍の爆撃機、攻撃機から機動部隊を護衛する任務である。ここでアメリカの残りわずかとなった空母を殲滅する。


 ミッドウェー海戦では、司令官の栗田健男の迷走により、私の熊野は味方の援護が十分できず、いらだちを隠せなかった。


 栗田(健男)の戦意の無さはこりごりであるが、かといって南雲(忠一)は臆病者だ。


 ガダルカナル南方から上陸した陸軍部隊はアメリカ海兵隊に苦戦を強いられているという。どうも辻政信が参謀にいるらしい。アイツは更迭されたはずじゃないのか。極秘に進めている暗殺計画もまだ成功していない模様だ。


 今回、第二師団、わたしの郷里の新発田第16聯隊も、ガダルカナル島北方から上陸する作戦である。

 

 第二航空艦隊の司令官、角田覚治かくたかくじ少将は、三条中学校(現在の新潟県立三条高校)ので同郷である。勇猛果敢な角田少将は心強い限りだ。


 ここでしくじったら、二度と越後の地は踏めない。


 重巡洋艦 熊野の抜錨ばつびょうの時間が来た。


 田中菊松艦長は出港を指示し、ゆっくりと艦は動き出した。



 「こいつは故障の多いポンコツ艦だ、大事なところでジャミるなよ」

 

 

 


  

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