第76話 降伏と蜂起
昭和20年9月15日 オランダ領東インド ジャワ島バタビア(ジャカルタ)(日本占領下)
インドネシア独立宣言から1ヶ月が経とうとしていた。
民衆の機運はすでに独立国に向けて動き始めている。
バタビア港の先に、東南アジア連合国軍最高指揮官の代行として、沖合に英国海軍の巡洋艦HMSカンバーランド(HMS Cumberland ,57)が投錨し停泊している。
バタビア港には
陸軍代表として第16軍司令官 長野祐一郎中将、参謀長兼軍政監 山本茂一郎少将。
海軍からは第2南遣艦隊司令官 柴田弥一郎中将、第21特別根拠地隊司令官 田中菊松少将が降伏文書調印に内火艇に乗り、英国海軍巡洋艦に向かった。
HMSカンバーランドにはイギリス第5巡洋艦戦隊司令官パターソン提督(Sir Wilfrid Rupert Patterson)が乗艦している。
連合国に対し日本が降伏文書に調印するためである。
内火艇は焼玉エンジンをポンポンと音を立てて、ゆっくりと巡洋艦に向かっていた。
田中菊松少将は、帝国海軍は一時「保安隊」として警備にあたる任務を与えられていたのであるが、その直前にインドネシア独立宣言に関与したことを咎められて、なにか戦争犯罪の因縁を付けられて服役させられるのではないかと感じていた。
田中少将は、戦争犯罪は身に覚えがないとは思っていたが、長野中将、柴田中将の方は橘丸事件(病院船偽装事件)の件で戦争犯罪人として逮捕、起訴処罰を怖れていた。
国際法違反で逮捕、起訴の懸念がないといえるのは田中菊松少将くらいである。
「君もいくしかないだろう」ということだった。
英国重巡洋艦の舷梯に内火艇は接舷し、タラップを登った。グレーチングの階段がコンコンと鳴った。
英国艦に登ると、水兵達が整列している。日本側も一同敬礼した。
陸軍代表はカーキの軍曹、海軍は夏の白の軍服である。
艦上に設けられたテーブルで陸海軍の司令官が降伏文書にサインした。
本来はオランダの代表が来るべきところであるが、オランダ軍はヨーロッパの戦線で壊滅しており、英国にオランド領東インドに委ねるしかなく、さらには治安維持や軍政には日本軍に頼るしかないという状況である。
他の司令官は訴追が待っており、田中菊松少将は、英国代表から治安維持を委ねられることとなっていたのであるが・・・
インドネシア独立政府と懇意であることから、その立場は微妙であった。
「俺がインドネシア民衆を取り締まりをするしかないのか・」と艦上でつぶやいた。
9月29日 英国陸軍はバタビア(ジャカルタ)に上陸した。つづいて、10月20日にはオランダ領東インド政府副総督フベルトゥス・ファン・モークが亡命先のオーストラリアからジャカルタに帰還し、10月23日にはインドネシア共和国大統領スカルノ、副大統領ハッタと会見して、オランダとイギリス、スカルノとハッタの三者で外交交渉が行われようとしていた。
田中菊松少将はスラバヤに帰還し、それとともに、英国陸軍第49旅団はスラバヤに上陸する。
英国軍は民衆が武器を持っていることをすぐに察知した。
インドネシア独立宣言の後、スラバヤは一触即発の状況であった。
英国軍政府は、住民に対して武器を提出するよう命じるビラを作成し、スラバヤの町の壁にはり、ビラを撒いた。このビラはインドネシア民衆を刺激し、28日からスラバヤ市内でインドネシア民衆の蜂起が始まった。
市内のあちらこちらで銃声が鳴り響いている。
急所、スカルノがスラバヤに到着し、イギリス軍と交渉を持つが、停戦ラインを巡って、49旅団マラビー准将が銃撃戦で撃たれ死亡する事件が起こる。
この連日の蜂起がインドネシア独立戦争の最初の蜂起となった。
英国から治安維持の協力を依頼された日本の軍人も、次々とインドネシア独立軍に加わっていった。
田中菊松少将は「俺はこの種を撒いた一人か・・・」とつぶやいた。
◇◇◇
それからまもなくして 田中少将のもとに英国軍人が訪れた。
「リア・アドミラル タナカ、 あなたを拘束する」
「理由はなにか」
「ジャワ島で発生した一連の暴動への関与である」
第五警備隊の
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