第74話 索敵

 昭和14年7月 長岡市坂之上の路地


 し尿の汲取くみとりをしていた作業員のおじさんが煙草を吸いながら戻ってきた。


「ん、なんかあっぱくせーな?」


 なにやら4人くらい糞尿まみれで倒れて、うめいている者たちがいる。


「こら!ねらった、なにわさしてんがらてー!、このもうぞうが!」

(こら、おまえら何を悪戯してるんだ!このガキどもが!)


肥桶こえおけが突然爆発して、何がなんだかわからねぇ」


「このバカタレども、ねら(おまえら)、早よ、かたづけれ!」


「私ども追いかけている者がいて……」


 おじさんは肥柄杓あっぱくみびしゃくを持って、残っている肥桶あっぱおけ柄杓ひしゃくをつっこんで、さらに追い打ちを掛けるように、あっぱまみれになっている特高や憲兵に糞をぶっかけた。


「これでしゃつけっぞ(殴るぞ)!はよせぇて!」


 近所からも悪臭を感じた住民が出てきて、オバサン達もすりこぎ棒とか、十能じゅうのうとか、ほうきを持って、怒ったようにしてワラワラと集まってきた。

 そして箒を彼らに投げつけた。


 田中菊松大佐は宝剣乃亜に言った

「ちょっと可哀想じゃないでしょうか……」


「いいのよ、いつも威張ってるんだから、ザマァだわ」


 この若き女子おなごは恐ろしいと思った田中大佐である。



 2人はそそくさと、路地を出て大通りに出た。

 宝剣が聞く

「大佐、なにか指令しれいとか言ってたでしょ」


「ああ、この大手通おおてどおりの向かい側に山本五十六次官のご自宅がある」

「そうなん?」

「今晩に汽車で帰宅して仏壇に参り、何人かに会うそうだ。どうも艦隊勤務を薦められているらしく、もしかしたらこれが最後の墓参りかもしれないと」

「それが何か?」

「実家に帰省する話を聞いて、右翼(統制派傘下)が山本次官狙っている」

「警備は付くんじゃないの」

「ああ、もちろん海軍の護衛の他、雄志の者が付く。誰の手先で動いているのかおびき出すためでもある」

「じゃ、私たちの出番は?」


「旅館などの名簿は既に調べてこの町の予約はすべて確認している。君たちは瞽女宿、善根宿ぜごんやどを知っているだろ?」


 ※僧侶、神社の職員など無料で無料奉仕で提供する民家が昭和30年代ころまで多くあり、瞽女はそういう民家に泊まった。


「そうね……いくつか」

「そういう宿を調べる、しらみつぶしに」

「それは効率よくないわね。瞽女頭の家に行けば、不審者の情報くらいは入っていると思うけど」

「それは頼もしいな」

「くノ一を舐めたらいかんよ」


 宝剣乃亜が瞽女頭の所に聞きに行くと、案の定、数軒に今まで見たこともない旅の男が何人か善根宿に昨晩泊まったらしい。瞽女の何人かが、宿に空きがなくて次の宿まで移動したといって、憤慨していたからだ。


 やはり山本五十六次官を襲う計画はたしかのようだ。警備を最大限強化する必要があると感じた。


 今日は、大手通が賑わっている。「五十ごとの市」で賑わっている。


 ※ 長岡藩では五と十がつく日が休みだったといわれ、その日に市が立ったと言われている。現在でも5と10の日は市が立つ


 この人混みに紛れて、襲われるのはまずい。山本次官の実家はたびたび投石などの被害も受けていた。


 奥山佑おくやまたすく少尉も、伊賀の末裔の雷神隊らいじんたいを引き連れて長岡駅から自宅までの道の警備を敷いた。

 駅から実家まで、ほんの徒歩十五分くらい。


 市民は山本五十六次官の帰省の情報は知らない。

 たびたび長岡中学校で講演をし、市民からは人気があるので、市民からもみくちゃにされると警備に支障が出る。


 実家に泊まらずに、それから速やかに料亭の「かも川」に行く手はずになっていた。翌日は新潟市に行く計画だ。

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