第73話 阿鼻叫喚の市街戦

 昭和14年7月 長岡駅


 田中菊松たなかきくまつ大佐は、本間ほんま花音かのん)と石崎いしざきタツの真面目な2人とは裏腹に、傍若無人な宝剣乃亜ほうけんのあに呆れていた。

 これからの「指令」にコイツは本当に大丈夫だろうか。


 長岡大手通おおてどおりを歩きながら、「なにか飯でも食うか?」と聞く。

 近くの蕎麦屋が美味いというので、そこで飯でも食いながら話を聞くことにした。


 瞽女ごぜの大事な仕事は、民衆の噂や社会情勢を把握し、瞽女頭を通じて主君に報告することだ。


「ねえ、ねえ、菊ちゃん」

 宝剣が言う。

 あいかわらず馴れ馴れしいヤツだ。


「新潟の沼垂ぬったりの町は大騒ぎになってんさね」

「なんでだ」


 本間が答える

「あの、日満連絡航路の船で毎日のように白木の箱、つまり戦死者の遺骨がたくさん運ばれているらしくて、満州でだいぶ戦死者が出ているという話しでもちきり」


 外蒙古(モンゴル人民共和国)と満州国との国境紛争は相当激しいというけど、それほど戦死者が出ているのか。新聞では伏せられているが

 そんなにひどいのか?


「そして、遺族が軍に詰め寄って、憲兵隊と殴り合いになって、そして憲兵隊の建物が焼き討ちにあってるってさ。暴動もいくつかあるようだし。新発田の聯隊が出るかどうかという騒ぎにもなっているけど、聯隊長が憲兵隊と大げんかしているという噂まで入っている。軍内部でも不満が高まっているみたい」


 一揆が起こっているような状況か。社会情勢として放置するとまずいが、これは新潟だけに留まっている情報だ。


「ねえ、そば、もう一枚お替わりしていい?」宝剣が言った

(へぎ蕎麦は箱に盛り付けるので、「もう一皿」のことを「一枚」という人もいる)


「ああ、いいとも。君は銃の腕がいいという話しだな」


「それだけは得意のようね」


「シッ……入口の外に特高(特別高等警察)みたいなのが、こっちを見ているぞ」


「チッ、特高め。宝剣、お替わりは辞めとけ。店を出るぞ。大将、お勘定!」


 田中大佐は札を出したときに、本間にこう言った。

「君は目の見えない石崎を連れて、近くの商家で『門付け』をしてくれ。2組に散る。宝剣、お前はオレと来い」


「あら菊ちゃん、優しいのね」

「勘違いするな、アホ。ほらこっちの路地に行くから」


 本間と石崎は、田中大佐と宝剣と別れて、大きな卸問屋の前で、店の者に声を掛けた。行李こうりの荷物は本間が持っていった。


 特高警察の2人は「なんだあの2人、ホンモノの瞽女か。あの怪しい男を追え」という様子で、田中大佐と宝剣を尾行した。


「宝剣君、君は私の後について来い。手ぬぐいを『あねさ被り』にして顔を見えないようにな」

「え、ワクワクする~」



 長岡の坂之上のあたりの細い路地に入った。

 やはり特高の2人は尾行を続けているようだ。

 そして憲兵が2人くらい合流したのがチラと見えた。


 特高2人に憲兵2人か。大佐はコルトを持っている。今は軍服でなく逮捕されるのはマズいと考えた。

 田中大佐は一軒一軒、表札を見て、訪ね先を探すような素振そぶりをした。


 その先で、し尿汲取あっぱくみをしている作業員がいた。

 うーん、臭いがキツいな……7月は夏の始まりで暑くなってきていた。


「あ、懐かしい、アッパ汲みだぁ」

「ばかもん、女の子がそんな言葉を使うな!」

「私、得意だったんさね」

「はい、そうですか、そうですか……」


 肥桶あっぱおけが四つほどある。

 汲み取り作業員は少し休憩にどこかに行ったようだ。


「ねえ、菊ちゃん」

「なんだよ」

「尾行の彼奴あいつららに一泡ひとあわ吹かせてやりましょうよ」


「お前、何を考えているんだ?」

「良い考えがあるから、秘技・肥桶あっぱおけ結界けっかい


 なんじゃそりゃ?


 宝剣は路地の端に寄せてあった、肥桶1つを、少し道の真ん中側に出した。


「お前、何をするつもりだ?」

「この細い路地のかどあるでしょ。向こうで特高2人、憲兵2人が見ている。私の合図でこちらの細い路地に駆け込むと、彼らは急いで追ってくるはず」


「だろうな」

「そこが狙い目。この肥桶をこの位置に置いてっと」

 ズルズルと屎尿しにょうがたっぷり入った肥桶を動かす


 何をするつもりだ、この子は。

 憲兵ら4人はジリジリとこちらに寄ってくる。あと30メートルくらいか。


「タイミングを見計らって、そうね、このたっぷり入った肥桶はこの位置がいいかな?」

 ズルズルと肥桶を位置調整した。


「私が合図するからね……」

「わかった」

 宝剣は肥桶を前に、そして後ろから尾行する特高、憲兵から手元が見えないようにする。


 憲兵は不思議がる

「あいつら、肥桶の前で何をしているんだ?」


 宝剣が取り出したのは、何と!手榴弾だ!

 なんで、そんなものを持っているんだよ!


「いい、いくわよ」

「わかった」


 宝剣はピンを抜いて、肥桶のフチで手榴弾を叩いた。

 擲弾筒てきだんとう用で、若干時間をおいて爆発する手榴弾だ。


 そして手榴弾を、ドロッとした肥桶の中身の中に差し込んだ。


「今よ!、あの路地にダッシュ!」

「わかった!」


 田中大佐と宝剣は急いで路地に駆け込む


 憲兵2人と特高警察官2人は、尾行の標的の男が逃げたと思い、慌てて追いかけて走った。そして、まず肥桶に駆け寄った。


 宝剣は、田中大佐に向かって叫ぶ

「こっちの壁に張り付いて!」

「よし!」


 憲兵2人と特高2人が肥桶に駆け寄った、その瞬間……


 ドーン!

 たっぷり入った肥桶が差し込んだ手榴弾で、木っ端みじんに爆発して吹っ飛んだ


 田中大佐はその阿鼻叫喚たる様子を想像する……

 私は戦場を見たことはあるが、

 これほどむごたらしい戦場は見たことないかもしれない


 あたりに焦げたような、また生のような、ウンチの臭いが強烈に漂う

 あたり一面に何か、凄いモノが飛散したようだ…………


 南無阿弥陀仏……

 南無妙法蓮華経……

 


「田中大佐、早くずらかるわよ!」


「宝剣君、君はなかなか……やるな……私はこれほど、残酷な手口の諜報員は見たことない……」

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