第71話 潰えた内蒙古、外蒙古統一の夢

 駐蒙軍ちゅうもうぐん高級参謀 大橋熊雄おおはしくまお大佐

(旧制長岡中学校 大正3年卒 陸軍士官学校29期 陸軍大学39期)は関東軍参謀の辻政信つじまさのぶ少佐の策動であるノモンハン事件に関して激怒していた。


 大橋熊雄高級参謀の狙いは、内蒙古に成立した蒙古聯盟自治政府もうこれんめいじちせいふ徳王デムチュクドンロブにして、ソ連の傀儡となっているモンゴル人民共和国、いわゆる外蒙古そともうことモンゴル民族国家の統一を図ることだった。


 内蒙古は中華民国政府に、外蒙古はソ連の傀儡の社会主義国家になって、分断されており、内外モンゴルの統一はモンゴル民族の悲願である。


 大橋大佐は、ドイツのナチスドイツ、ヒトラー政権がまもなくソ連に対して開戦すると踏んでおり、その時点でソ連を挟撃、外蒙古での決起、内外蒙古の統一を進めるべきと考えていたのである。

 ソ連の傀儡となっているモンゴル人民共和国の内部には、同じく内外蒙古統一を果たすべき、と考える閣僚もおり、その諜報工作活動は成功しつつあった。


 ところが、ここ2年くらい前から、モンゴル人民共和国の内部で対日協力者がソ連に逮捕、粛正される動きが起こっていた。

 大橋大佐は、東京から情報が漏れているのではないか、陸軍内部の情報がソ連に漏れているといぶっていた。


 関東軍の参謀には親しい者がおり、関東軍が外蒙古の国境内部に侵攻して制圧する計画を立てているということはわかっていたものの、それはドイツの対ソ宣戦布告後、弱体化した時を狙う計画であったのだ。


 大橋大佐からは、東京の参謀本部には、外蒙古侵攻は時期尚早との旨は伝わっていたはずである。参謀本部もモンゴル人民共和国への越境攻撃は厳禁という方針を関東軍に伝えていたはずだ。


 この昭和14年5月から始まった満州国とモンゴル人民共和国の国境紛争が、モンゴル人民共和国内部に関東軍らが侵攻している情報が、駐蒙軍高級参謀大橋熊雄大佐に伝わったとき、大佐は激怒した。

 「東京の参謀本部は何をやっている!いますぐ関東軍に攻撃を止めさせろ!」


 ただ辻政信はそのように計画だった行動をするわけでもなく、軽挙妄動、ツメの甘い大馬鹿モノだと知っていた。


 大橋大佐の懸念は的中する。モンゴル人民共和国内にあるタムスクのソ連の飛行場を越境爆撃したのだ。これは関東軍内部からの密告で計画を事前に知った。東京も同じく知った。

 だが、東京の参謀本部から出された中止命令は、現場で無視された。


 そうなれば、ソ連軍大部隊が、モンゴル人民共和国へ駐留することが決定的になる。


 内外蒙古の分断は、10年20年どころか数百年という長きものになるかもしれない……

(実際にそうなります。中国内蒙古自治区では、文化大革命においてモンゴル統一派への大粛正が行われます)


 これは、辻政信少佐への個人的恨みとか、そねみとかではない、モンゴル民族の悲願をつぶしたのだ。


 辻という男は抹殺しなければならない。そう誓った。


 親しくしている徳王は、チンギスハンの末裔……あわせる顔がない。この外蒙古への越境侵攻は、大きな約束違反だった。それも辻政信の無知な作戦計画……


 関東軍の今の参謀はボンクラだ。辻のようなあいつら幼年学校出は、小さいころから陸軍で外の世界を知らない。


 大橋大佐は、赤化将校せきかしょうこう(共産主義者の将校)を抹殺する口実で、長岡中学の人脈を活かし、陸軍ボンクラ幹部どもを粛正し、山本五十六先輩を守るため、行動を一にすると誓った。


 軽挙妄動の陸軍幹部を粛正すべし。

 東京の陸軍内部からソ連のスパイに情報が漏れていると、

 長岡中学の先輩達に伝えたのだ。


 ◇◇◇


 東京市芝区 水交会ビル


 田中菊松たなかきくまつ大佐は、この大橋熊雄陸軍大佐の情報を驚きをもって見ていた。

 「彼は私の長岡中学のいくつか下の後輩で、関東軍の参謀になって、陸軍にすっかり染まっているものかと思っていた。俺たち先輩でも海軍軍人のいうことなんか聞かないものかと・笑」



 「それが中学の先輩、後輩というものだよ。戊辰戦争のあとに、長岡洋学校が出来た理由を覚えているだろ」と佐藤正四郎さとうせいしろう※予備役の少将は答えた。


 「ああ、戊辰戦争のように、二度と戦争を起こすようなことはしてはならない。そのための人材を育てるのが、我が校(長岡中学)の校是」


 「そう、我々の目的に陸軍も海軍もない。平和だ」



 ※ 佐藤正四郎少将(明治38年長岡中学卒 山本五十六次官の2年後輩にあたる。海軍兵学校では病気のため留年、同期に同期生に井上成美、草鹿任一、小澤治三郎らがいた。226事件では海軍陸戦隊の司令官として反乱軍の鎮圧を指揮した)

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