第69話 神保町でのテロル

 昭和14年7月 東京神田区神保町 東京堂書店


 出版記念の祝賀会が開かれていた。

 博文館書店の小売部門である東京堂は、越後長岡の大橋佐平により創業し、出版界の大橋財閥を築いていた。


 山本留次やまもととめじは、大橋佐平の甥にあたる。

 大橋は出版、印刷、広告代理店(現在の博報堂)を創業し出版界の巨人となり、博文館書店が軌道にのり、山本(留)自らは博愛社、文進堂を創業した。

 山本五十六次官の長岡中学の先輩にあたる(明治17年卒)

 日本化学工業、オリエンタル写真工業、明治製菓などの監査役、東京商工会議所の会頭なども歴任した。

 娘は海軍御用達の高田商会※常務の高田軍三の元に嫁ぎ、さらに大倉財閥の大倉銀三郎や小西六写真工業副社長の杉浦正二の元に嫁いで、閨閥けいばつを形成していった。


 ※佐渡相川奉行の役人の息子だった高田慎蔵たかたしんぞうが創業した武器輸入代理店。越後三商人(大倉財閥、三井財閥の益田孝)の1人。当初は大倉組、三井物産を上回る取引額だったが関東大震災の被害で倒産。高田万由子はその末裔である。



 この東京堂書店での出版記念パーティーに山本次官は、長岡という縁で呼ばれていた。

 しかし、世の中、陸軍上層部が仕組んだ「反山本」のプロパガンダで山本の周りに、海軍将校の私服の警備が付けられていた。


 新潟で瞽女ごぜを導いた奥山佑おくやまたすく少尉も私服でその警備にあたっていた。胸にはワルサーPPを忍ばせて。


 山本五十六次官は下戸である。酒に弱いので宴席では飲まない。徳利には酒に見せかけた茶が入っている。


 神保町書店での宴が終わったころ、招待客が帰るという段になった。

 主賓だった山本次官のために、このパーティー会場の前に海軍公用車が停められている。


 右翼の動きが不穏である。

 黒塗りの公用車の前に、正式な警備が配置され、その外に私服の警備が配置された。

 奥山少尉もその1人だった。


 山本次官が玄関から出てきた。

 奥山少尉は目つきがおかしい男の姿を認めた。

 その男は右手を懐に入れている。


 拳銃かと思った。明らかに山本次官を狙っているだろう。


 奥山少尉は自らも財布をとるような仕草で懐に手を入れ、ワルサーPPの安全装置を解除した。


 予想的中。


 先ほどの目つきの鋭い右翼と思われる男は走ってきた。


「山本、覚悟!」

 奥山少尉はすでに周りに目線アイコンタクトで不審人物の標的を伝えていた。


 北越戊辰戦争、柏崎で桑名藩服部半蔵(十二代目)の雷神隊らいじんたいの末裔同士、伊賀の血を引き継ぐ者達だ。


 とっさに山本次官を公用車の扉に伏せさせた。


 不審な男は胸から、南部14式拳銃を取出して山本次官を狙う


 奥山少尉はその男にタックルをかました。

 男は腕を振り上げ、拳銃を一発発射


 パーン


 拳銃の発射音が神保町に轟いた。

 上に発射されたので、何事もない。


 集まっている観客一同が、何事かと騒ぐ。


「みんな伏せろ!」警備の海軍将校が叫ぶ。

 そして次官を公用車に押し込みガードした。


「ちくしょう」と右翼の男が叫んだ。

 道に奥山少尉に袈裟固めにされて、顔面を敷石にたたきつけられ、すりむいた男がうめく。


 ……ヤツら、本気で山本五十六次官を「り」に来たか……

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