第67話 湖北省からの手紙

 東京 日本石油株式会社 社長室


 山本五十六次官は堀口九萬一ほりぐちくまいち氏に再び尋ねた


「堀口先輩、そのソ連の動きと関東軍の動きの情報は、どこから仕入れたのでしょうか」


「山本君、君も長岡中学の卒業生だろう?」


「はい」


蒙古聯盟もうこれんめい察南さつなん晋北じんべいの三つの自治政府を統合して、『徳王デムチュクドンロブ』を担ぎ上げて自治政府をつくろうと関東軍と駐蒙軍ちゅうもうぐんが画策しているのを知っているだろう」


「はい、え、まさか……」

 山本次官は驚いた表情で聞き返す


「もしかして大橋君……」


「さすがだな」


「しかし、彼が口を割るとは」


「大橋熊雄君は今駐蒙軍の高級参謀として諜報活動に当たっている。すべて私のところに入る」


 ※大橋熊雄大佐(最終中将)駐蒙軍高級参謀

 旧制長岡中学校 大正3年卒 陸軍士官学校29期 陸軍大学39期

 山本五十六次官、田中菊松大佐の旧制長岡中学の後輩にあたる。

 関東軍参謀や特務機関で諜報活動を行っていたと思われるが戦死のため詳細不明


「それでは、満州と外蒙古との国境紛争もですか」


「だれが首謀者で誰が作戦を立て、どのような結果になったか、すべてだ」


「堀口先輩、あなたは明倫会の理事というだけでなく……」


「長岡中学の先輩、後輩というものは、そういうものだよ」


「はぁ……」


板垣征四郎いたがきせいしろう(陸軍大臣)君は陛下からこの件でひどく叱責を受けている」


 山本次官はつぶやいた

「板垣陸相は悪い人ではないんだが、米内よない光政みつまさ)海軍大臣とは盛岡中学同士で馬があって」


「関東軍の参謀にいる辻(政信)というやら、なんか下っ端の男に弱みを握られているらしい。だから今回の件の始末に困っている。板垣陸相は自ら辞職して解決を求める方向に動くだろう。平沼(騏一郎)内閣も、こればっかりは潰れるかもしれない、なにかの理由をつけて総辞職する。さらに…」


「さらに、なにか」


「あの駐蒙軍高級参謀の大橋熊雄大佐から『辻政信には最大限気をつけろ』という話を聞いている。彼は世界大戦を起こしかねない者だと」


「もし、米内大臣が辞職したら、私も次官を辞するでしょう」


 日本石油大橋圭三郎社長は言った

「山本君、君に辞めてもらったら困る。陸軍の暴走、特に統制派の東条英機は何をしでかすかわからん。後ろに私ども(日本石油)が付いている君が、東条には一番の目の上のたんこぶだ。山本君、君は自ら動きにくいと思うから、私から田中菊松大佐には話をしておく、察してくれたまえ」


 大橋圭三郎日本石油社長の意図は、山本五十六次官の警護を行うよう田中大佐に依頼するということだった。


 ◇◇◇


 昭和14年6月頃 新潟市


 私(本間花音ほんまかのん)と瞽女ごぜの石崎タツと宝剣乃亜ほうけんのあの3人で、新潟港から広がった騒乱で憲兵隊が港や憲兵分隊などを警護している間に、新潟の町の中心部に入っていった。


 湊稲荷神社で休憩しようとしたところ、拝殿前で熱心に拝んでいる女性がいた。

 よくみたら、一緒に置屋にいた芸妓の「振袖ふりそで」(半玉はんぎょく、見習の芸妓のこと)「あやめ」さんではないか。


 彼女が参拝を終わって振り返った時に、彼女も気がついて「あ!」と声を掛けてきた


「おめさんがた、生きてたんかい!いかったー、何してたん?なじらかね?(大丈夫か)」


「あちこたねぇ(大丈夫)、しかしなんでまたねつく(熱心に)お参りしてたん?」


「あんにゃが、いま満州で新発田16聯隊で行ってるだろも、なんか戦争が始まったみてぇな話で無事を祈ってたんさね、あ、そうら、おめさん方に手紙が来てて、いつ会ってもいいようにもってたんさ」


「手紙?」


「あやめ(川村スイ)」は二通の手紙を差し出した。


 軍事郵便だ。差出人を見ると

「第二一五聯隊 宝剣信一ほうけんしんいち」「第二一五聯隊 折笠巳之吉おりがさみのきち」と書いてある。


 派遣先の中国から手紙を私たちに書いてきてたんだ!


 うれしさと無事であったことに安堵し、涙がこぼれそうになった。


「神様にお礼いわんきゃらね」


※日本石油株式会社には当日長岡藩の牧野家第16代当主牧野忠永子爵も勤務していた

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