第64話 日満連絡航路、埠頭の騒乱

 昭和14年6月中旬 東京新橋の料亭


「はい、ロバートさんの負け、さあ一杯どうぞ」

 芸者は英国紳士に、おちょこに入ったお酒をすすめる

「こんなに負けたらもう・・・」

 この紳士は扇を投げて的に当てる遊戯で、何回も外してしまっていた。


 駐日英国大使 ロバート・クレイギー卿は、くいっと、すすめられたその酒を飲み干した。

「山本五十六次官、あなたもウイスキーは大分だいぶ回ったでしょう」


 外は梅雨の雨がシトシトと降っている。


 クレイギー卿は有田外務大臣に言う

「有田(八郎)君、天津てんしん本間雅晴ほんままさはる中将は君と同郷の佐渡だっていうじゃないか」

「はい、よく存じております」

「中学校(旧制)の後輩なのかね」

「わたくしは兄の山本悌二郎やまもとていじろう※の援助で早稲田中学に入りました」


※山本悌二郎 有田八郎外相の実兄。佐渡出身。犬養毅内閣で農林大臣を務める。


「英国で勤務の長い本間君が天津の英国租界を封鎖するなんで暴挙に出るとはわたしは信じられん」

「英国租界封鎖は本間君の名前で行われたと思いますが、杉山元すぎやまはじめ司令官か、山下奉文やましたともゆき参謀の指示だと思いますがね……」

「ハリファックス卿(英国外相)は日本との対立は望まないのが真意だ。わかるだろ」


 有田外相は、言う

「私も英国とまみえることなど望みません」

 クレイギー卿は言う

「だれが裏で糸を引いている?」


 有田外相は答える

「これは山下参謀長だけの意思とは思えません」


「では山本君は誰だと思う?」

「それは・・・」


 芸者はいう

「ねえ、ねえ、お堅い話をしてないで、もっと楽しみましょうよ」

「そうだな、英国紳士をお招きして、仕事の話ばっかりだ」

 クレイギー卿は続けた

「山本君、君は大丈夫かね?右翼はさかんに君のことを悪く言っているようだが。堀悌吉ほりていきち君は君の親友だろう、彼はフランス通だったばかりに……」


 山本次官は、

「彼(堀悌吉)は本当の親友です。いまでもそうです。右翼の攻撃にさらされて心を病んで。海軍一の秀才が予備役とは……」


クレイギー卿は言う

「山本君、私は君を信頼している」

「クレイギー閣下、私もです、さあ芸者のみなさんがお待ちかねです。もっと楽しみましょう」


 この宴会の外で護衛の海軍の士官が拳銃を持って外を見張っていた。

 彼は外に様子をうかがう影を見ていた。


 ◇◇◇


 同じ頃


 私(本間花音ほんまかのん)、石崎タツ、宝剣乃亜ほうけんのあの三人は新潟の港町に来ていた。

 町の人々が流作場や竜が島の港で不穏である。様子がおかしい。


 日満連絡航路の貨客船が新潟港に到着するたびに、白木の箱がたくさん下ろされてくる。遺族は受け取りに来て、泣き叫ぶ親子やご婦人の姿を見た。


 その様子を近くに行ってみると、瞽女ごぜの石崎タツは噂話に聞き耳をたてた。

 ソ連との国境付近で多くの兵士が死んだらしいと。


 そこで、遺族の50代くらいの男性が警備の憲兵に詰め寄っている

「いったい何が起こっているんだ!」

「そうだ、そうだ!」

「陸軍は何か隠しているんだろ!正直に言え!」


 ピピーと憲兵が笛を吹く。


「やっちまえ!」


 遺族が憲兵に殴りかかり、まわりの遺族や群衆が新潟港の埠頭で憲兵をボコボコに殴りかかる。

 暴動が発生していた。騒ぎがどんどん大きくなり、遺族達が憲兵隊の車や憲兵を殴りかかっている。


「あぶないから逃げましょう」石崎タツが言う。私達は急いでその場から去った。


 ドボーンと一人の憲兵が埠頭から海につき落とされた。

 大騒ぎに発展していった。


 ノモンハンで日本軍がソ連軍に大敗して大勢の戦死者が出ていたことが、まだ人々の知るところではなかった。

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