第52話 財閥家の邸宅
長岡の大工町の
私が先頭になり歩いて、目の見えない(弱視)の石崎タツがわたしの荷物を触りながら歩いている。そして宝剣ノアが一番最後に荷物を担いであるいた。
長岡の戦前の町は木造が多く雁木通りが続いていた。
私は昭和20年8月1日の夜に空襲で焼け野原になることを知っていた。
そこに長谷川の旦那様のお屋敷があるので、そこで門付けの唄をして、塚山の町で一晩泊まる道筋だった。
奥山少尉から伺っていたのは、
塚山の長谷川のお屋敷は、家の周りに掘がめぐらされて、まるで小さな城のような屋敷である。
女中さんが15人くらい働いているという。
ここは、令和の私には想像が出来ないお金持ちだ。
医院が横にあるようで、お医者様もこの家の出らしい。
町の人は瞽女さんが来たといって集まってきた。
そしてタツさんが唄を披露した。
これから、田植えが始まる時期で農家は忙しい様子であったが、瞽女さんの唄は縁起が良いと、ご馳走とお風呂をいただいた。
どこのお宅に泊まっても、ご馳走が振る舞われる。
これは太りそうだ、と思うくらいだった。
次の日は
その山口の旦那様といわれるお屋敷の手前の集落で
そのお屋敷は山の上にある。坂を登っていくと驚くことに、この山全体が山口の大旦那さまのお屋敷だという。
入口に立派な長屋門がある。
「電話二番」と書いてある。なんのことか、おタツさんに聞いたら、電話を持っている家はそんなにないので、村役場の電話番号が一番、こちらの旦那様の電話番号が二番だということだ。
前の集落に泊まった時に、山口の旦那様とはどんな人かと聞いたら、
「ああ日本石油を作った人だ。銀行も、新潟鐵工所も、鉄道も、電灯会社も、北越製紙も、みんなみんな、あの大旦那様がつくったんだ。新潟県の産業の大本だ。もう東京に出て時々しか帰ってこないが、新潟では一番か二番のお金持ちだろう」ということである。
屋敷の門の通用門をくぐって中に入ると、それはそれは広大な庭園で、大きな邸宅がある。
たくさんの人が働いていた。
旦那様は山口誠太郎といい、月に1回は東京から帰ってくるという。
東京のお屋敷は、
※山口邸は現在、一般公開されています(要予約)。
ただし現在は昔のような邸宅はありません。
山口育英奨学金の事務局になっており、現在の当主の山口敬太郎氏が理事長となっています。
奨学会の理事には現在でもJXホールディングスの役員や、元大蔵事務次官の田波耕治氏が名前を連ねています。
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