第50話 密会

この長岡駅での件の数ヶ月前


◇◇◇

昭和13年か14年の頃


・海軍軍令部


「田中(菊松)大佐、山本(五十六)次官から伝言がありました。次官室に来い、とのことです。いったい何でしょうか」

「なんでもこうでもない、少し席をはずす」

「了解しました」


・海軍次官室


コンコンコン……


「田中です」

「入れ」


「山本次官、何の御用でしょうか」

「まあ、ソファに掛けたまえ」


執務室の机の上にたくさんの書類が載っている。


山本五十六次官は「支那事変(日中戦争)が解決するまで煙草(葉巻)は吸わない」と名言していたので、煙草を吸っている形跡はなく、次官室の空気は澄んでいた。


「予算のことで伏見宮ふしみのみや殿下を説得しろという話ではないでしょうね」

「まあ、かしこまるな、君に頼みがある」

「なんでしょうか」

海軍和同会かいぐんわどうかい※の宴会の幹事をやってくれ。オレが会長だけど、準備とか名簿とか忙しくてたまらん」


ズコッ…………



※和同会とは旧制長岡中学校、新制長岡高校の同窓会のこと



「そうだ、秘書官は席を外してくれ。これから3分だ。すぐに終わる」


秘書官が退室した。


「次官、そんな話でしたか……」

「秘書官に席を外してもらうにはこれしかない。君に話がある。打合せ場所を設定してくれないか……」

「わかりました」


◇◇◇


東京銀座4丁目交差点、ここは日本一の繁華街である。

通りも人で溢れ、バスや都電が走って、喧噪の中にあった。

その四つ角に銀行があった。東京山口銀行である。


東京山口銀行※役員室

※銀座4丁目現三愛ドリームセンターの場所にあった。昭和17年に長岡六十九銀行となり、現在の継続行は第四北越銀行である。


役員室には、東京山口銀行頭取の山口誠太郎氏と、田中菊松大佐が待機していた。

そして日本石油株式会社社長の橋本圭三郎氏も同席している。橋本氏は山本五十六次官の長岡中学校の先輩にあたり、大蔵次官などを歴任した。昭和16年に帝国石油総裁に就任している。

山口誠太郎氏は、祖父の山口権三郎氏は日本石油の創立に携わり、第二代新潟県議会議長など、ひろく政財界の重鎮として活躍した。


コンコンコン


「どうぞ」

山本次官が役員室に訪れた

「まあ、頭取や社長まで、長岡の人間が雁首を揃えて」

「次官殿、おかけください」田中大佐が声を掛けて着席する。


「まもなく閣下がお見えになられます」


スーツ姿の紳士が入ってきた。

全員起立する。


飯田貞固いいださがかた近衛師団長このえしだんちょう閣下、お越しいただきありがとうございます」

「同郷の田中菊松君からの頼みだ。山本君、久しぶりだな。前に会ったのは何時だったっけ。『君』といっても学年は一つ上でしかないが、ははは」


近衛師団長・飯田貞固中将は新潟県刈羽郡山横澤村にいがたけんかりわぐんやまよこさわむら(現在の長岡市)の村長飯田貞一の家に生まれた。仙台陸軍幼年学校から陸軍士官学校第17期。席次4である。同期には東条英機がいた。

眉目秀麗びもくしゅうれい成績優秀、シュッとしたスタイルで、閲兵式では女性達からもため息が漏れるほどの美男子だったという。昭和天皇からの信頼も篤かった。

まさに帝国陸軍の「出木杉君」であった。

山本五十六元帥は1884年4月生まれで、飯田中将は1884年2月生まれであり歳も近い。

山口誠太郎頭取は飯田中将の隣村の刈羽郡横澤村かりわぐんよこさわむらに実家があり、1885年生まれで1歳年下である。田中菊松大佐は旧刈羽郡小国町の出身といわれており、この地域は「小國郷おぐにごう」と呼ばれ、飯田中将、山口頭取、田中大佐はすべて同郷である。


「山口君、この場所を設定していただき感謝する」と山本次官が述べた。つづけて

「飯田閣下、田中大佐の後ろにあなたの影が見えましたので」


「次官殿、単刀直入におっしゃいましたな」

「帝国陸軍と海軍は水と油、田中大佐に陸軍の穏健派の影が見え隠れしております」

「どうしてわかる」

「田中大佐の護身用拳銃はワルサーでしょう。どこからあのようなものが手に入いったか」

「まいったな、こりゃ」


「さらに(飯田)閣下の背後にも、あるお方の姿が見えますぞ」


「まあお茶でも飲もうか。(山本)次官殿、お好きな飴最中あめもなかを持って来たので一緒にいかがか」


山本次官と飯田近衛師団長は応接間のテーブルの上に広げられた飴最中を口にした。

そして2人とも1ヶ食べ終え、お茶を口に含んだ。


山本次官が切り出した。

「日独伊三国同盟阻止に、陛下(昭和天皇)が動かれているのでしょう」


「さすがだな……山本殿、カンがいい」

「陸軍内部の動きもこちらでも把握しております。三国同盟反対派が勢いを増している。長州閥、あの『ビリケンの息子』※は四面楚歌となって飛ばされたとのこと……そして巻き返しを図ろうと躍起になっているとも……」


寺内寿一てらうちひさいち大将、元陸軍大臣で陸軍長州閥のトップであり、親独派である。ドイツとの同盟の推進者であった。ビリケンというのは「ビリケン宰相」と言われた陸軍長州閥の寺内正毅てらうちまさたか元首相の息子である。

大阪の通天閣にあるビリケン像に顔かたちが似ていたから、こう呼ばれた。

 寺内寿一の遠縁に歌手の宇多田ヒカルがいる。


「長州閥はダメだ。ドイツと手を結んだら大変なことになる。しかし、今、彼ら長州閥の巻き返しが始まっている。反長州閥だった東条英機とも手を組んで、外務省を飛び越えてドイツと勝手に話を進めている。いま長州閥を潰さないと大変なことになる」


「閣下、そこまでおっしゃっていいのですか、閣下の身に何かあると」山口頭取が話した。


「橋本圭三郎君、あなたの日本石油も、アメリカと関係がこじれたら困るだろう」

「当然です、越後の油田も枯れてきていますし」


「彼らは蘭印らんいん(オランダ領インド・現インドネシア)を獲ると言ってますが」

「石油を掘る機械も何もかもが、オランダと日本は違います。獲ってすぐに油田が使えるわけない。何年かかってモノになるのか、彼らにはわからないのだろう」


山本五十六次官が言った

「田中菊松君のおかげで陸軍と海軍がつながったか」


飯田貞固近衛師団長が答えた

「すべて、陛下の御意志」


山本次官が続けた

「飯田閣下、蒋介石総統と話が出来る軍人はあなただけです。支那事変(日中戦争)を解決できるのは閣下しかおりません」※


※蒋介石中国国民党総統は、新潟県高田聯隊に留学していた経験があり、その時に飯田貞固中将と知り合ったという。日本敗戦時に中国駐留の日本兵を無害で帰国させるという交渉は、当時予備役になっていた飯田貞固氏も行なったといわれている(柏崎日報)

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