第41話 贛湘会戦

 私(宝剣信一ほうけんしんいち一等兵)たち、この第215聯隊(第1大隊)第3中隊が武昌ぶしょう(現・武漢市武昌区)に上陸したとき、中隊長から以下の訓示があった。すべては省略するが、


 一、中国民衆を愛撫し、皇軍の目的は蒋(介石)政権の撲滅にあるが故に一挙一動、皇軍たる自覚と毅然とたる態度を保持すること。

 一、外国人に対しては絶対に割れ関せずとして権益、権利、対面を傷つけることなきように十分に尊重すべし。

 一、外国旗に対してはこれを尊重せよ。


 藤巻衛生兵の話では、この部隊への医薬品の配給は立派なものだったという。

 中隊長の命令は、中支派遣軍(中国を北、中、南と三分割して中部支那=中国のこと)の命令では住民を宣撫せんぶせよ、ともあるので衛生兵は住民の負傷者、医療の提供を行うこととなっている。

 衛生兵は地元の住民にも医薬品の配布などを行っていた。地元の自治会に予告すると大変な数の人が診療所を訪れ、日本製医薬品は人気があったという。

 普段はほとんど薬がなく、良い薬をつかったことがない住民ばかりなので、治り、効きが良いという。

 担架に乗せられて運ばれて来た1人の少年を診たら、流れ弾に当たったらしく貫通銃創だった。一日おきにくるように伝えると、担架に運んできた一同はお礼だといって、鶏卵をたくさん持って来た。部隊はそれをご馳走になった。その少年は一週間ほどで良くなっていった。

 また住民には淋病が多いという。


 食事は南京米(長粒種、インディカ米のこと)、日本の米が食いたい。


 昭和14年9月 新潟の田舎では稲架はざ(稲を干すためタモの木の並木に網状に縄を結ぶ)の準備が始まるだろう。

 この湖北省というところは非常に暑い。

 こちらも稲の刈り取りが始まるころだ。


 9月4日 通山(現・咸寧市通山県附近)の警備にあたっていた聯隊の主力は、各警備地に一部を残留させて、楠林橋に集結した。

 第33師団が始めて師団総力を挙げて行う会戦 「贛湘かんしょう会戦」の始まりだった。


 第215聯隊 作戦参加部隊

 聯隊本部・直轄部隊

 第1大隊 (欠・第1中隊・崇陽すうよう警備)崇陽は咸寧市崇陽県附近

 第2大隊 (欠・第6中隊楠林橋警備、第8中隊陽山警備)※陽山、地区特定できず

 第3大隊 (欠・第12中隊通城警備)咸寧市通城県附近


 わが第3中隊は、通山警備から転進してきた第1大隊主力に警備地のここ楠林橋で復帰し、4ヶ月ぶりに第1大隊長田中(義成)少佐の指揮に入った。

 大隊長直轄で通山に駐留していた一ヶ小隊も第3中隊に復帰した。

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